電子書籍を公開しました!2024/04/23

『城山崩壊』

オドケンとトリキョウの新聞記者同期コンビが難事件を解決する!

鹿児島県霧島市の花丸製菓が倒産した。負債総額は800億円超。同じ日の午後、突然、鹿児島市は未曽有の豪雨になる。中心部の城山が崩れ、花村製菓の常務宅が埋まる。倒産の当日、鍵を握る財務担当重役が崖崩れで死ぬとは!不思議だが、天災だ。偶然としか言いようがない。家を寸前で飛び出し、難を逃れた同社社長秘書の地頭園は大学で地質学を学んでおり、前年も崩れた城山の危ない状態は分かっていたはず。南国日日新聞記者の踊橋健一と鳥原恭子の同期コンビは、「崖崩れで人を殺せるか」と推理を展開するが次々と覆されていく。

330円ですので、お気軽にどうぞ💛
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クドカンは喫茶店が好きだね2024/04/03

この息苦しい令和の世に、ちょっぴり風穴を開けてほっと一息つかせてくれた宮藤官九郎のドラマ「不適切にもほどがある」。

きょう録画してあったのを見返したら、やっぱり笑ってしまう。
半分見たので、あとの半分が楽しみだ。

クドカンは喫茶店が好きだね。
今回の店名は「スキャンダル」。

喫茶店「マンハッタン」を舞台にした「マンハッタンラブストーリー」のDVDを貸してくれたのは、会社のだいぶ年下の女子社員(美人)だった。もう16年くらい前の話か。
クドカンや音楽、あんなに話の合う子はいなかったなあ。

横穴の装飾に感激2024/03/17

横山古墳の双脚輪状文2024/03/17

熊本の春の装飾古墳一斉公開に行ってきた。

チブサン古墳→オブサン古墳→鍋田横穴→岩原双子塚古墳→横山古墳→岩原横穴→長岩横穴→江田船山古墳と回った。

横山古墳には、彩色画のスター、双脚輪状文がある。
これまで見た弘化谷古墳、王塚古墳のそれははっきりしなかったが、横山古墳のはよく見えた。

特に左袖石の双脚輪状文はけっこうくっきりしている。
右袖石も肉眼では見えた。

しかも写真撮影OKはありがたい。

靫の擬人化2024/03/06

装飾古墳の絵の中で、靫(ゆぎ)への執着がすごい。
靫とは矢を入れる道具。
もちろん戦場では重要だろうが、弓や大刀より熱心に描く理由がよく分からない。
たとえば王塚古墳は靫の絵で埋め尽くされている。


靫は石人にもなる。
たとえばチブサン古墳の石人がそうだ。
靫が擬人化されているのだ。


X(旧ツイッター)の古墳王子の投稿で、見事な靫の埴輪を見た。
本庄早稲田の杜ミュージアムにあるらしい。
古墳王子が「靫形埴輪4姉妹」と名づけているように、これも靫の擬人化だ。



今日のひとこと(話す力)2024/03/06

どうしても声の大きい人や、その会でいちばん偉い人、あるいは地位の高い人、あるいは私のような喋り過ぎる人間を中心に会話は進み、気がつくと、ひと言も発することなくその場を後にする人がでてきてしまいます。
~阿川佐和子『話す力』~


日本の飲み会は必ずこうなる。だから行きたくない。
じっと何時間も人の話を聞いているつらさよ。

イギリスでは違う。
スコットランドを1カ月、ホームステイしながら回ったことがある。
あちらでは多人数の飲み会でも必ず2、3人に分かれてしゃべっている。
そして時々、相手を変えて、そうやって来た人皆と話をする。
全体を仕切る人なんていないし、会の間ずっと言葉を発せずにいる人もいない。

これはいい!と思って日本でもやろうとしたが、これが許されない。
6、7人の飲み会ってよくあると思うが、その全体に向かってしゃべるのは声も張らないといけないし、気後れするので、横の人と話そうとするとそれに介入してきて分派行動を許さないのだ。
全体が一つの話題のほうを向いた集団行動じゃないといけないという思い込み(いわゆる圧)がすごい。

何のためのコミュニケーション(飲みにケーションなんて下らん言葉があるが)なんだろうね。
サラリーマンはつらい。
いや、同級生同士でも同じだ。

これだから酒は一人で飲むに限る。


でも、中には〝分かってる〟人たちもいるようだ。
『話す力』の続き。伊集院静のゴルフ仲間の話だ。
伊集院静は座談の名手だ。

「ところが、そのコンペに集まった人たちは、誰もがそばの人とのお喋りに夢中になっています。伊集院さんがなんの話を始めようとも、誰も黙ろうとはしません。大きな声で伊集院さんが面白い話をしているのに、ろくに聞いちゃいないのです。(略)年齢や地位に関係なく、自由気ままにあちこちで勝手に会話が生まれる集まりほど楽しいものはない。そのとき私は合点しました」

そう、これこれ。
これがもっと日本にも広まるといい。


ところで、『話す力』を読んでいて、これを書いた阿川佐和子自身に話す力があるとは思えないのがこの本の最大の難点だ。

例えば、阿川は「『でも』を冒頭につけて会話をすすめる悪い癖があり、気をつけているつもりなのですが、つい出てしまいます」と書いている。

実は私も、妻に何か言うと、必ず「でも…」から始まる言葉が返ってくるのに長年悩まされてきた。
否定されて面白い人はいないだろう。
阿川も「でも」を「必ずしも逆のことを言おうとして使っていない場合が多い」というが、だったら「そうだね」と肯定の言葉を使ったらどうだろう。

『話す力』の最後の章。
「『そうだね』で家庭内は平和」という見出しがついているので、よしよしと期待して読むと、なんと、こんな夫婦の会話で終わるのだ。
「なんであなたはいつもそうやって私の言うことに反論するわけ?」
「いつもじゃないよ」
「ほら、また否定した」
「いつもってわけじゃないだろう」
「だいたい、いつもです。いつもそうなんだから」
……
やれやれ。

新聞の見出しは体言止めで2024/02/24