『徹底検証「森友・加計事件」――朝日新聞による戦後最大級の報道犯罪』を読む2017/11/01


さて、小川栄太郎『徹底検証「森友・加計事件」――朝日新聞による戦後最大級の報道犯罪』が届いたので、読むことにする。

この事件にはずっと関心がなく(どうせ下らんだろうと思い)、新聞もテレビもネットも見なかったが、「朝日新聞による戦後最大級の報道犯罪」と銘打たれたら読まないわけにはいかない。

いきなり扉裏に「無双の情報ギャング 朝日新聞に敬意をこめて捧ぐ」とあり、「いいぞ、いいぞ。喧嘩ふっかけてる」と声援を送りたくなる。

「はじめに」が衝撃的だ。

安倍晋三は「報道犯罪」の被害者である。
半年以上、まるで「安倍疑惑」であるかのような攻撃が執拗に続いた森友学園問題、加計学園問題は、いずれも安倍とは何ら全く関係のない事案だった。
森友問題は、大阪府豊中市の零細な幼稚園経営者と地方の役所の間で生じた、交渉や駆け引きに纏わる不明朗処理の問題に過ぎない。安倍に関係ないどころか、国政案件とさえ言えない。利権がその背後にあるわけでもない。
加計学園問題に至っては「問題」すら存在しない。(以上、引用)

さて、期待できそうだ。

あすは還暦同窓会2017/11/02

あす3日は高校の還暦同窓会が、鹿児島市の城山観光ホテルである。

還暦の同級生たちに会いたいような、会いたくないような(笑)。
妙な緊張がある。

「城山崩壊」の舞台を訪ねて①2017/11/07

鹿児島市の城ケ谷(長田町)
小説「城山崩壊」は現代を舞台にしているが、実は昭和61年(1986)7月10日の豪雨災害を基にしている。もう30年以上前だ。

私は当時、社会部の遊軍記者。
まだ28歳で、初めて遭遇する大災害だったため非常に印象深い。

世間的には、その後の1993年(平成5年)の「8・6水害」にかき消されて忘れ去られてしまったが、私にとって水害といえば「7・10」なのだ。

データは「鹿児島ぶら歩き」というブログによくまとめてあったので、後ろのほうに引用させてもらった。

私はこのうち、午後4時ごろ発生した長田町城ヶ谷の崖崩れ現場に行くよう指示された。
主人公のオドケン(踊橋健一)と同じだ。

還暦同窓会で帰郷したついでに、一昨日(5日)、30年ぶりに現場を訪ねてみた。

昨年放送された連続テレビ小説「あさが来た」で五代友厚が注目され、誕生地の城ケ谷に記念公園が整備されたと聞いていたので、さっと行けると思っていた。

ところが、驚くべき道の狭さ。

離合できない。

そして、今も崖下に住宅が立ち並ぶ。
よくこんな危ない所に住んでるなと思う。

名所は多い。
五代友厚のほかにも、横山安武・森有礼生育の地(表札も森さん!)、椋鳩十も35年も住んでいたという(失礼ながら、よくこんな所に)。

こんな狭い所で崖が崩れて5人が生き埋めになり、消防や警察が大勢集まったわけだが、車を停めるのも容易ではなく、大変な混乱だっただろう。

私などは遠くに停めて歩いてきたのだろうが、記憶にない。

地元のおばちゃん2人に聞いたが、「30年前はいなかったから…」と、正確な場所は分からなかった。

「五代友厚誕生地」はただのがらんとした空き地。
あんなものを造るくらいなら、7・10の碑(標柱でもお地蔵さんでもいい)を建てるべきだろう。

以下、ブログ「鹿児島ぶら歩き」から抜粋

【鹿児島市を襲った、昭和61年7月10日のゲリラ豪雨】

■ 豪雨による被害状況の時系列
この日の大雨は、局地性が極めて強く、短時間に多量の降水量を観測。
被災地も鹿児島市中央部の急傾斜地や山際の危険地域で、災害が発生しました。

12時50分 大雨洪水雷雨波浪注意報発令
13時46分 田上町で「道路冠水、敷地内に流入」の通報を皮切りに通報が相次ぐ。
13時50分 大雨洪水警報に切り替え
15時00分 消防局への通報、1時間に72本(15時~16時)に達し、合計279本の通報があった
15時15分 郡元町唐湊、カクイわた前の新川が氾濫、住民に避難命令。
      新川の氾濫によって、住宅地は深い所で腰のあたりまで水に浸かる。
      同時刻、市内42両の全消防車、救急車が出動。ガケ崩れの通報が頻繁に入る。
15時57分 長田町城ヶ谷でガケ崩れ、5人生埋め2人死亡、3人救出。
      生後8ヶ月の男の子は、5時間後に救出。
16時10分 上竜尾町常安団地バス停付近で、高さ80m・幅50mにわたるガケが崩れ、5人が生き埋めとなり全員死亡。
16時15分 平之町城山観光ホテルビアガーデン下一帯の住民に避難命令。
      同時刻、市水防本部設置。
16時20分 1時間雨量74.5ミリを記録。
16時27分 平之町三育保育園裏でガケ崩れ、家屋倒壊。
16時30分 新照院町前の谷で3人生埋め、2人死亡・1人救出。
      武2丁目、武岡荘附近でガケ崩れ、1人生埋め・死亡。市災害対策本部設置。
17時40分 平之町三育保育園裏で再びガケ崩れ。6人生埋め、5人死亡・1人救出。
18時20分 西別府町海江田団地でガケ崩れ。5人生埋め、全員救出(1人重傷)。
18時26分 田上1丁目でガケ崩れ。1人生埋め・死亡。
20時30分 吉野町三船でガケ崩れ。3人生埋め、2人死亡・1人救出
22時00分 自衛隊の出動要請

■ 被害状況
鹿児島市内では午前10時半ごろから雨が降り出し、1時間降水量が46ミリ(12時40分~13時40分)を記録した頃より床下浸水や道路冠水などの被害が発生し始めました。
14時半頃には、小さなガケ崩れも起き始めていました。
1時間降水量が50ミリを超えた(14時40分~15時40分に57ミリ)頃から小河川が氾濫し、人的被害を含む大きなガケ崩れが次々に発生しました。
1時間降水量が75ミリ(15時10分~16時10分)を記録した頃が災害のピークであったようです。

雨が降り止んだ17時過ぎに3件の大きなガケ崩れが発生。とくに吉野町三船の場合は、雨が降り止んだ3時間後に発生しています。

この大雨による死者は18人、重傷者5人、軽傷者10人。
また、住家全壊66棟・半壊28棟、床上浸水263棟・床下浸水694棟にものぼりました。

【 川と化した町通り 】
この大雨では甲突川が氾濫することはありませんでしたが、濁流によって通りという通りは川と化し、商店街や飲食店などは軒並み水びたしになったそうです。
朝日通りや天神馬場、文化通り、山之口本通、二官橋通り一帯などの繁華街では、深い所で膝上まで達しました。
軽石や木切れが濁流とともに流れてきたため、通行人は逃げ惑ったそうです。

「朝日新聞による戦後最大級の報道犯罪」の衝撃2017/11/08


小川栄太郎『徹底検証「森友・加計事件」――朝日新聞による戦後最大級の報道犯罪』を読んだ。

誠に吐き気のする話だが、とんでもない事実の数々に驚きながら最後まで読むことができた。

まず、森友学園騒動。

朝日新聞の情報源は、木村真・豊中市会議員。
連帯ユニオン議員ネット副代表で、主体となる関西生コンは極左活動団体。沖縄の反基地闘争に注力し、委員長の武健一は逮捕歴三回、辻元清美に1千万円の献金をしたことでも知られる。

もう一人の取材源は菅野完(たもつ)という、やはり極左活動家。
首都圏反原発連合や、「レイシストをしばく」と称する「しばき隊」のメンバー。朝日新聞は「作家」としている。

次に加計学園。

キーマンの前川喜平・元文科事務次官と、NHKの社会部出身幹部との長年にわたる親密な関係が背景にあるらしい。

私は知らなかったが、NHKの組合はユニオンショップ(全員加入が義務)の日本放送労働組合(まるで放送業界全体の労組のような名称だがNHKの労組)といい、放送業界で最も過激な労組として知られているという。社会部は特に思想的、人的につながる。 NHK社会部の過激分子と、社会部出身左派幹部との線上に前川喜平が浮かび上がった。

驚くべきことに、朝日新聞とNHK幹部らは今年3月以来、密議を繰り返し、5月16日深夜11時にNHK、翌17日朝日新聞一面トップで文科省文書をスクープし合ったのだという。

さらに保守系と思われてきた文藝春秋がこれに加わる。
昨年就任した現社長の松井清人(きよんど)は、有田芳生(よしふ)と親しいという。

加計学園と同じ国家戦略特区でも、42年ぶりの医学部として開学した国際医療福祉大学は、マスコミで全く問題にならなかった。
なぜなら、日経新聞、読売新聞、朝日新聞のOBが6人も教授にしてもらっているのだ。

加計学園獣医学部新設の広島県・今治市共同提案は、すでに国家戦略特区ワーキンググループが機関決定している。
しかも「総理の意向」が文科省文書に現れる1年以上も前なのだ。

一方、石破茂は安倍内閣の地方創生担当大臣でありながら、政権の政治意図に真っ向から反して、業界団体の意向のまま、岩盤規制を強化する側に回っていた。

前川喜平はそれに胡坐をかいて、サボタージュを決め込んでいた。
何も仕事をしないから、「早くやれ」という趣旨の文科省文書が出たのである!いやはや。

私が新聞記者だった頃、誤報で「おわび・訂正」を出すのは何よりも恥ずかしかった。
今の朝日新聞には誤報・虚報を反省している様子さえない。言いっぱなしで責任を取らないという最低の姿勢である。
しかし、呆れているばかりではいけない。
この腐ったマスコミを何とかしなければ、著者も言うように国の存立が危うくなる。

「城山崩壊」の舞台を訪ねて②2017/11/08

昭和61年(1986)7月10日、鹿児島市長田町城ヶ谷でのがけ崩れ取材。

翌日の紙面はこうなりました。
写真をクリックして下さい。救出された赤ちゃんの表情までわかります。

「城山崩壊」の舞台を訪ねて③2017/11/08

2年前の鹿児島市平之町
2年前、鹿児島市平之町の現場を歩いてみた。
小説では鳥原恭子記者が活躍する所である。

そこかしこに「7・10」の傷跡が残っている気がした。
いや、30年もたっているのだから、別な台風や大雨のせいかもしれない。

しかし、相変わらず崖ぎりぎりに民家やマンションが建っているのは、長田町と同じだ。

崖に近づいてみると、「急傾斜地崩壊危険箇所」の看板が立っている。

崩壊したら、どうやって防ぐというのか。