海音寺潮五郎も訪れた真木和泉守幽閉の家2017/12/16

海音寺潮五郎『寺田屋騒動』(昭和51年)に、

「昭和十九年の春、私は真木(和泉守)とその高弟淵上郁太郎のことを調べるために水田村に参りました。唯今ではどうなっているか知りませんが、その頃までは真木の幽居の家がのこっていました。草葺きで、見たところ大へん荒れていましたが、茶室のような感じの一軒家でした。へやはただ一室、それも六畳くらいのごく狭いものでした。水田天満宮に隣り合った大鳥居家の門を入ったところのすぐわきにありました。真木はここに十年余も幽閉の生活を送っていたわけです」

とあって、見たくなった。

調べてみると、海音寺の心配も杞憂で、山梔窩(さんしか)という名で立派に保存されているらしい。

筑後市のホームページによると、「山梔窩という名の由来は、庭にクチナシ(梔)が植えられたことからとも「口なし」(藩への発言を止められた自分の立場)からとったともいわれています」。

行ってみると、保存整備の工事中だった。
来年の維新150年に合わせてのことだろうか。

真木和泉守は文久二年、久留米藩の監視をかすめ、この幽居を脱出して薩摩に行き、島津久光に討幕の建白書を提出している。

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