北方領土問題の始まり2019/05/20

維新の先生方に、拙著『林芙美子が見た大東亜戦争』第五章「北方領土問題の始まり」を読んでいただきたい。
       ◇
加藤聖文著『「大日本帝国」崩壊』(中公新書)に、意外な事実が書いてある。
「一般住民を巻き込んだ国内唯一の地上戦は沖縄戦という表現は正しくない。『内地』であった樺太で行われた戦闘が住民を巻き込んだ最後の地上戦であって、しかも八月十五日を過ぎても続いていた」
満州にソ連軍が侵攻した8月9日の朝、ソ連軍は南樺太にも武力行使した。国境警察を襲撃して巡査2人を殺害し、監視哨を砲撃したのである。
そして、同11日から、本格的な樺太侵攻作戦が始まった。
不意打ちの侵攻に直面しながら、日本軍は頑強に抵抗した。
しかし、14日午後6時にポツダム宣言受諾が伝えられ、15日には玉音放送が流れた。
停戦と戦闘という相反する命令で、現場では混乱が生じていた。
一方、ソ連軍は16日、恵須取(えすとる)近郊に上陸、住民で組織した義勇戦闘隊員を巻き込んだ市街戦となり、17日に占領された。その過程で、ソ連軍に追われた太平炭鉱病院の看護婦による集団自決が起きた。
20日未明、ソ連軍艦が真岡に艦砲射撃を加えた後、上陸して市街を制圧した。真岡郵便局の女性交換手9人が服毒自殺した。
22日、ようやくソ連との間に停戦協定が成立した。ところが、その直後、ソ連軍機が豊原を爆撃する。「日本内地に対する最後の無差別爆撃」である。ソ連軍機は爆弾を投下した上で、避難民に機銃掃射した。これによって100人以上が死亡したとみられている。
ソ連軍は23日豊原、25日大泊に進駐し、南樺太全土を占領した。そして大泊を拠点に、南千島占領へ向かった。
28日択捉島に上陸し、翌日日本軍を武装解除。9月1日国後島と色丹島、同5日歯舞諸島を占領した。
以上が、北方領土問題の始まりである。
樺太と千島で拘留された日本軍兵士はシベリアへ送られた。
       ◇
この事実に怒りを覚えない日本人がいるだろうか。

正直言って、維新には期待していた。
改憲勢力として。
次の参院選では少なくとも比例では維新に入れようと思っていた。

ところが、今回の丸山穂高発言への対応に驚いた。

速攻で切り捨て。
誰一人、同僚をかばわない。

丸山議員の発言を録音で聞くと(何でも録音される嫌な時代であるというのは別問題として)、確かにひどく酔っ払っている。
国会での理路整然とした様子はない。

しかし、まず、大前提として、上記のようにソ連が日本のポツダム宣言受諾・天皇の終戦の詔勅後、半月以上も領土を奪い取る野心満々に攻撃を続けた結果、不法・違法に力で北方四島を奪い取ったのだ。
その過程でたくさんの日本人が死んでいる。

維新の松井代表は、
「丸山議員の発言は酒を飲んでの不適切なものではありました。しかし、これを機会にソ連、そして今のロシアがどうして北方領土を不法占拠しているのか歴史をよく知っていただきたいと思います」
と言うべきであった。

ところが正反対に、ロシア大使館に謝罪に行くという、政治家としてあってはならないこと(反国家行為)をしてしまった。

一事が万事。
維新への期待は失墜した。
なぜ大阪都構想を急ぐのかまで裏があるように思えてきた。

やっぱり「腐っても自民党」に入れるしかないようだ。

野党は全部滅んで、自民党一党政治になり、自民右派と自民左派でやり合い、調整して日本の政治は進めるしかないようだ。

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