「いただく」と「与える」2020/03/12

もう十年以上になるだろうか、日本語における「いただく」の氾濫に頭が痛い。

そもそも誰が「いただく」を連発しだしたか。

私がすぐにパッと思い浮かべるのは、政治家の石原伸晃である。
(今調べてみたら、なんと私の同学年だ)
彼は最近全くテレビ等で見かけなくなったが、毎日のように出ていた頃、政治家のくせに、というか、あの慎太郎の息子のくせに、馬鹿丁寧な言葉を使う。
とにかく動詞にはすべて「いただく」を付ける。
「~していただくようにしていただきたい」なんて二重に付けるのも当たり前。
小説家である父親に注意してほしかったが、そんなこともなかったようで、彼のせいばかりでもないだろうがそんな人がどんどん増えて広まり、慇懃無礼が当たり前な世の中になった。

驚いたのはある芸能人(つるの剛士だったか)が、ある食事を「妻に作っていただきました」と言ったことだ。
「いただく」は自分がへりくだって相手を立てる言葉だから、身内に使ってはいけない。
親でもいけない。
他人に対して使う言葉なのだ。
そんな常識がもう分からなくなっている。
ただの丁寧語だと思っている人が多い。
学校の国語の先生は何をやってるのか!
組合運動ばかりか?

もう一つは「与える」。
近年、地震や水害など災害が多いが、その被災者に対してスポーツ選手や芸能人が自分の活躍で「勇気を与えたい」とよく発言している。

「与える」って…絶句するなあ。
人が犬にエサを与えるみたいに。

今朝の産経新聞スポーツ面を見たら、「白鵬 勇気送る白星」とある。
もちろん東北大震災のことだ。
白鵬は「自分が勝って、東北の方に勇気を届けられれば」と語ったという。
モンゴル人の白鵬でさえ、ちゃんと勇気を「送る」とか「届ける」と表現している。
もしかしたら記者が言い換えたのかもしれないが、他の選手の時には「勇気を与えたい」とそのまま書いているので、きっと白鵬はきちんとこう言ったのだろう。

つまらんことには厳しい世の中だが、この「いただく」と「与える」には正そうという意見が出ないのはなぜなんだろう。
繰り返すが、学校の先生はちゃんと教育してほしい。
(教育していただきたい、とは言わないゾ)

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