沖縄の人たちは特攻隊に何を感じたか2025/06/03

沖縄の人たちは堕ちていく特攻機に手を合わせていた!
貴重な証言です。

今日のひとこと(玉城知事)2024/06/04

――知事、左派勢力の声に流されていませんか
 私は、私を支持してくれる方々に、私が自衛隊を認め、日米安保体制を認める立場であると、明確に話しています。
~玉城デニー、昨日付産経新聞インタビュー~


あれっ、そうなの?

初のXアカウントロック2023/09/30

ツイッター(X)に次の投稿をしたら、アカウントをロックされた。

玉城デニー沖縄県知事が18日、国連人権理事会で「日本政府が新基地建設を強行している」と演説した。 これについて産経新聞の阿比留論説委員は、外患(すなわち中国)の介入を招く恐れがあり、外患誘致罪(罰則は死刑)にもなりかねないと報じたのである。 (以上)

①玉城知事への批判がタブーなのか、②産経新聞の阿比留論説委員がマークされているのか、③「外患(すなわち中国)」という中国批判がタブーなのか、④「外患誘致罪(罰則は死刑)」が刺激的だったのか。

暴力的な発言を禁止するルールに違反(加害や暴力の脅迫、煽動、賛美や、願望を表明したりすることは禁止)ということなので、③か④なのだろう。

これまでも結構好き放題にツイートしてきたのでよく分からない。
アカウントのロックは初めて。これは十数時間(忘れた。12か16)で解除され、繰り返し違反すると、アカウントが凍結される可能性があるとのことだ。

鉄の暴風2022/03/06

八原博通『沖縄決戦』(中公文庫)、今、三分の二ほど。

アメリカ軍の艦砲射撃(海から)、爆撃(空から)、砲撃(地上から)の凄まじさを「鉄の暴風」と表現する。
しかし、「鉄の暴風」で精神に異常をきたしたのは日本軍ではなく、米軍の方だった。

「沖縄作戦中、アメリカ軍は万をもって数える多数の精神病患者を出した。それは自らの激烈な艦砲射撃、爆撃、砲撃に圧倒されアメリカ軍第一線将兵が半狂乱状態に陥ったもので、いかにその大量の火薬の炸裂がもの凄かったかを示す一証左である」

日本軍は地下の陣地に拠って戦闘していたので、こうした患者の発生は稀だったという。

われわれは沖縄戦について何を知っているのか2022/02/28

われわれは沖縄戦について、どれほどのことを知っているのか。

集団自決? 特攻?
悲惨なイメージしかあるまい。

ところが、なんと沖縄での日本軍の戦いは、太平洋戦争の中で米軍に最も高く評価されていたのである。

「彼ら(米軍)が真から例外的に高く評価していたのは自暴自棄のバンザイ突撃に最後まで反対し、冷徹な専守持久作戦で米軍に出血を強い続けた沖縄軍の八原高級参謀だけであったろう。
『虜人日記』にも出てくるが、米軍は一兵士に至るまで『沖縄の作戦はスマートだった』『あれを徹底的にやられたら参るところだった』と言って、出血回避という米軍の弱点を巧みに逆に捕え、緻密な計画通り一歩一歩撤退した見事さを評価していた(中略)結局日本には、世界的定義における『軍人』は存在しなかったのだな。例外をあげれば、疎外されている八原参謀だけだったのかも知れぬ」
(山本七平『一下級将校の見た帝国陸軍』)

ここまで書かれれば八原博通高級参謀について知らねばなるまい。本人自著の『沖縄決戦』(中公文庫)を手に取った。
「序」で早くもノックアウトされた。

昭和20年4月1日朝、米軍の上陸用舟艇千数百隻が嘉手納海岸に殺到する光景を、日本の第32軍首脳部が首里山上から静かに観望している場面から始まる。

首脳部は自信満々、余裕を持って見ている。
ところが、急に重大な不安が生じた。
友軍機が一機も姿を見せない。

「実に奇怪な沖縄戦開幕の序景ではある。(略)アメリカ軍は、ほとんど防備のない嘉手納海岸に莫大な鉄量を投入して上陸する。敵を洋上に撃滅するのだと豪語したわが空軍は、この重大な時機に出現しない」

言われてみれば確かにそうだ。
敵艦に当たるかどうか分からない特攻で多くの若者を死なせたのは何だったのか。戦果なく戦艦大和を沈めてしまったのは何だったのか。

今、嘉手納沖に蝟集する敵輸送船団を集中攻撃すれば、ずっと効率よく損害を与えることができただろう。

戦記を読むといつも、大本営の失敗に次ぐ失敗に頭に血が上るが、さて、ここからどうやって米軍に賞賛されるような戦いをしたのか気を落ち着けて読み進めるとしよう。

今日のひとこと2021/08/15

徳岡孝夫

内地を敵であるかのように罵る沖縄の運動家諸君は、牛島司令官、長参謀長の自決に心うたれたことはないのか。
沖縄を奪還するために、戦艦大和の乗組員たちは欣然、片道燃料で出撃したのではなかったか。第二艦隊司令長官・伊藤整一は、何のために生還の可能性ゼロの作戦に従容として出ていったのか。伊藤司令官の一人息子は、何のために父の艦を護衛して死んだのか。
本土決戦になっていれば、われわれも死ぬ覚悟だったのだ。互いに和解しようではないか。

~『完本 紳士と淑女 1980-2009』(文春新書)


雑誌『諸君!』1982年11月号だ。
1987年10月号にもまた、こう書いている。
「沖縄の死者たちの生命も、また高い。だから沖縄本島南部の古戦場には記念碑が林立し、その中には悪趣味に近いものさえある。沖縄を守り切れなかった非力を恥じて自決した牛島司令官や長参謀長の生命は安い。だから誰も祈らない」

鹿児島市加治屋町の甲突河畔に、「沖縄軍司令官 牛島満大将生い立ちの碑」が建っている。
牛島満とはどういう人だったのか。山岡荘八『小説太平洋戦争』(講談社文庫)第8巻から引くのが最もふさわしい。

「この悲劇の第三十二軍を指揮して果てた牛島満中将は薩摩の出身で、大西郷の崇拝者であり、そのゆえに綽名もまた今西郷と呼ばれていたのだが、彼は自決後、帝国陸軍では最後の『陸軍大将』をおくられ、ここにゆくりなくも、皇軍の最初の陸軍大将であった大西郷と同じ薩州人として、その首尾を飾ることになったのもふしぎな因縁を想わせる。
私は戦後沖縄をたずねたおり、さまざまな人々から、牛島大将を思慕する回顧談を聞かされた。大将のことを口にする時、それらの人々はそのほとんどが眼を赤くして、高潔な人格と温容ににじむ徳を讃えた。おそらく大西郷の敬天愛人の至誠を師表として厳しくおのれを鍛えた武将であったのに違いない。そう云えば、自決の直前にも、長参謀長と、城山における大西郷の死について淡々と語り合っていたという……」

誰も祈らないのなら、6月23日の自決の日、甲突河畔の碑の前に行って祈ろうではないか。

今年7月10日、長参謀長の出身地、福岡県粕屋町で初めての慰霊祭が行われた。

沖縄は腐っている2018/11/03

「正論」12月号の特集「沖縄新知事誕生の闇」の中の、古是三春氏(軍事評論家)の「北朝鮮シンパ『主体思想』の支配」は、驚くべき情報の連続だ。

沖縄の金秀グループは、本社内に「辺野古基金」事務局を置いて辺野古埋め立て反対運動を支援している。
その「辺野古基金」の共同代表に外交評論家の佐藤優がいるというのだ。
佐藤はいかにもうさんくさい風貌だが、産経新聞に連載を持っており、保守には違いないと思っていた。やはり、うさんくさい。

辺野古埋め立て反対運動で悪名高い、山城博治(沖縄平和運動センター議長)だが、全駐労(基地従業員労組)などから「山城は那覇軍港の浦添移設や軍民共用那覇空港の大規模な埋め立て拡張による基地強化から県民の目をそらすために沖縄防衛局と通じて辺野古の座り込み運動を利用している」と非難されているという。

そして、中心テーマである、北朝鮮シンパだ。

北朝鮮崇拝運動である「主体思想研究会」は1971年に創設された。
日教組の組合員や退職者、労働運動、脱原発の市民運動に影響を広げていく。
1990年代後半からは沖縄を活動の重点にする。

主体思想研究会に近い「自主の会」は全国で結成され、教員退職者などを募って辺野古に派遣している。
北朝鮮にとって目障りな沖縄の米軍基地をなくすか、機能をマヒさせることが真の目的だ。

玉城県政の今後の火種。
一つ、辺野古区に建てられた小沢一郎の豪華な別荘。
一つ、辺野古埋め立て事業の知事権限による承認取り消しだが、実は知事権限は国が代行できるという最高裁判決が大田知事時代に出ているため、事業は粛々と進めることができるということ。

以上が論考の内容だが、私が特に注目したのは、脱(反)原発の市民運動が「主体思想研究会」の影響を受けているということ。
実際、思い当たる節がある。私の同級生でもある反原発運動家の出版社社長が、拉致被害者を取り戻す交渉に向かった小泉訪朝に合わせて北朝鮮擁護・日本非難の本を出したのだ。
反原発運動なんて、放射能汚染から国民を守るためではなく、反日・反政府の運動であるのだということを善良な国民の皆さんによくよく知ってもらいたい。