直弧文について2023/05/16

直弧文について、熊本県立装飾古墳館にあった説明である。

ここには、岡山県楯築(たてつき)弥生墳丘墓の特殊器台や弧帯文石に描かれた文様が直弧文の源流だろうと書かれている。

この写真はピントが甘くてよく分からないので、次の文書で鮮明な文様を見てほしい。

https://www.city.okayama.jp/kurashi/cmsfiles/contents/0000005/5424/000361489.pdf

確かに驚嘆する複雑な文様である。

しかも、この楯築弥生墳丘墓の近くには有名な造山古墳(全国4位の大きさ)があって、その陪塚の一つに直弧文で有名な千足古墳がある(写真下部参照)ので、デザインが受け継がれていったとみてほぼ間違いないだろう。

直弧文について②2023/05/16

今度は王塚装飾古墳館(福岡県桂川町)の説明を使わせてもらう。

ご覧のように、広川町の石人山古墳が装飾古墳の中で最も早い(古い)。
ここにはなぜか前回述べた岡山の千足古墳が記入されていないが、同古墳は5世紀前半なので、石人山古墳と同じく直弧文の古墳としては最も古い。

故原田大六氏も直弧文のルーツを吉備の弥生式器台(前回で言う特殊器台)と見た。
縄文様(なわもよう)は立坂型→向木見(むこうぎみ)型→宮山型と変化するが、この宮山型にX線を加えたら石人山古墳の直弧文になると考えた。

原田氏ならではの言い回しでこう表現している。
「直弧文は吉備の宮山型縛縄の上にさらに筑紫のX状の一本線で呪術をもって再縛して生まれてきた」(『新稿磐井の叛乱』)。

現在の研究では、岡山の都月坂1号墳の特殊器台形埴輪の文様を都月型といい、これにはX字形があらかじめ見られる(前回URLを挙げた資料を参照ください)。

双脚輪状文について2023/05/16

直弧文についてはもっといろんな実例を集めるとして、双脚輪状文に話題を変えよう。

双脚輪状文は装飾古墳5カ所にしかない。
すなわち福岡の王塚、弘化谷、佐賀の田代太田、熊本の釜尾、横山である。

そのうち実物を見たのは弘化谷古墳1カ所だ。
といっても写真のような状態で、色が落ちているうえに暗いから、しばらく見ていると何となく見えてくればOKというものだ。
それでも実物を見るに越したことはない。

この双脚輪状文が一体何を表わしているのか謎なのだ。

双脚輪状文について②2023/05/16

右が可愛すぎる、王塚古墳の双脚輪状文だ。

これは何を基にデザインしたものか?

スイジガイ説があるが、どうも形が似ていない。
私は内行花文鏡(左)だと思う。
ここに挙げたのはほぼ地元の筑前町のもので、王塚古墳にも近い。

ただ、鏡には二つの脚がない。

鏡を乗せる台か。

はたまた、勾玉かとも思う。

というのも、日本人にとって3つの大事な宝、鏡と剣と勾玉。
特に勾玉は金属器が伝わる前の縄文時代から弥生、古墳と、日本人が最も長く作り続けてきた宝である。
それなのに、装飾古墳に鏡(円文、同心円文)や刀剣は描かれているのに勾玉だけないのはおかしいからだ。

直弧文について(番外編)2023/05/16

これって、直弧文じゃないですか。

しかも1939年に1400年前って、1939-1400=539、6世紀!
日本の古墳時代とぴったり合うじゃないか!