現代とは? ― 2011/10/06
時代には発展過程というものがあって、
古代→中世→近世→近代→現代
と進んできた。
では、
現代の次は何が来るのか。
来ないのである。
現代はずっと現代である。
現代とはつまり、歴史の停滞した時代である。
われわれは、歴史の停滞した時代に生きている。
天皇制をぶっつぶそうという動きはもう出てこないだろうし、
(ごく一部の人たちを除いては)
侍が登場したときのような、劇的な新しい階級も現れないだろう。
だから、回帰したり、元に戻したりすることしかやることはない。
スポーツはサムライ精神を鼓舞し、
町づくり、地域づくりはひたすら江戸時代の町並みをお手本にする。
原発はやめて、なるべく電気を使わない、質素な社会を目指す。
あるいは、破壊された環境を大変な労力を使って元通りにする。
今後も携帯電話やパソコン、インターネットなどのように、
新しい技術は出てくるだろう。
でもそれは別にどうしても必要なものではなく、
一面ではあれば便利なようだが、他面ではそれと引き換えに弊害の大きい、むしろなかった方が良かったようなもの(原発みたいに)ばかりだろう。
古代→中世→近世→近代→現代
と進んできた。
では、
現代の次は何が来るのか。
来ないのである。
現代はずっと現代である。
現代とはつまり、歴史の停滞した時代である。
われわれは、歴史の停滞した時代に生きている。
天皇制をぶっつぶそうという動きはもう出てこないだろうし、
(ごく一部の人たちを除いては)
侍が登場したときのような、劇的な新しい階級も現れないだろう。
だから、回帰したり、元に戻したりすることしかやることはない。
スポーツはサムライ精神を鼓舞し、
町づくり、地域づくりはひたすら江戸時代の町並みをお手本にする。
原発はやめて、なるべく電気を使わない、質素な社会を目指す。
あるいは、破壊された環境を大変な労力を使って元通りにする。
今後も携帯電話やパソコン、インターネットなどのように、
新しい技術は出てくるだろう。
でもそれは別にどうしても必要なものではなく、
一面ではあれば便利なようだが、他面ではそれと引き換えに弊害の大きい、むしろなかった方が良かったようなもの(原発みたいに)ばかりだろう。
最近のコメント