天智天皇に思いをはせた昭和天皇 ― 2019/06/12
先の大戦で、日本国民は日本の不敗神話を信じて戦ったと教えられてきた。
どうして「白村江の負け」をカウントしないのか疑問があった。
そう、660年、唐・新羅連合軍によって百済が滅亡。百済は再興のため日本に救いを求めた。日本はこれに応じて663年、白村江で戦うが敗れている。
やはり昭和天皇は偉大だ。
昭和21年8月14日、終戦一年で要人を集めて言われたという(「入江相政日記」)。
「朝鮮半島に於ける敗戦の後国内体勢整備の為天智天皇は大化の改新を断行され、その際思い切った唐制の採用があった、これを範として今後大いに努力してもらいたし」
また、保阪正康「昭和天皇」によると、宮内記者会の毎日新聞記者はそのときの天皇の言葉をこう記録しているという。
「終戦記念日にあたって、私はかつて(大正九年の春)太宰府を訪れたときに聞かされた、あの有名な白村江戦の故事を思い出した。あのときは百済の再興を援助するべく、日本軍が出動したが、唐と新羅との連合軍に完敗してしまった。そのあとで、当時の天智天皇がおとりになった国内整備の経綸を、文化国家建設の方策として偲びたい」
どうして「白村江の負け」をカウントしないのか疑問があった。
そう、660年、唐・新羅連合軍によって百済が滅亡。百済は再興のため日本に救いを求めた。日本はこれに応じて663年、白村江で戦うが敗れている。
やはり昭和天皇は偉大だ。
昭和21年8月14日、終戦一年で要人を集めて言われたという(「入江相政日記」)。
「朝鮮半島に於ける敗戦の後国内体勢整備の為天智天皇は大化の改新を断行され、その際思い切った唐制の採用があった、これを範として今後大いに努力してもらいたし」
また、保阪正康「昭和天皇」によると、宮内記者会の毎日新聞記者はそのときの天皇の言葉をこう記録しているという。
「終戦記念日にあたって、私はかつて(大正九年の春)太宰府を訪れたときに聞かされた、あの有名な白村江戦の故事を思い出した。あのときは百済の再興を援助するべく、日本軍が出動したが、唐と新羅との連合軍に完敗してしまった。そのあとで、当時の天智天皇がおとりになった国内整備の経綸を、文化国家建設の方策として偲びたい」
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