鹿児島考古資料館に「空襲コーナー」を!2025/12/13

旧鹿児島県立博物館考古資料館。
鹿児島市城山町にある(照國神社至近)。
明治16年(1883年)建築。県内では尚古集成館(鹿児島市吉野町)に次いで古い。石造。

私が子供の頃は県立博物館だった(昭和28年~同55年)。
昭和56年から県立博物館考古資料館となるが、平成14年に閉館し、そのままになっている。

現在、保存活用が計画されているが、整備内容等の検討は令和8年度以降ということなので、ひとつ提言したい。

鹿児島市では昭和20年に米軍の空襲が計8回あり、被害は死者3329人、負傷者4633人に及んだ。
中でも6月17日の大空襲では市街地のほぼ全てが焼け、2316人もの犠牲者が出た。

考古資料館(当時は県商工奨励館)もこのとき被災し内部を焼失したが、石造部分が残ったものである。
すなわち一面の焼け野が原の中に残った、空襲の貴重なモニュメントであるから、ぜひとも内部の一室に鹿児島大空襲についての解説コーナーを設けてほしいのである。

2021年に鹿児島女子興業の「教務日誌」が発見され、空襲当日の様子が書かれた重要な資料だと分かった。
これをメーンの展示物としたい。

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