人生の集大成2024/12/09

誕生花がキクとは知らなかった。
亡き母の名はキク子。
次の墓参りではキクを主体にしよう。

67歳となって、人生の集大成を迎えたと思っている。

人生の集大成(続き)2024/12/10

昨日の続きになる。

なんと母の日とはね。

今日のひとこと(小倉智昭さん)2024/12/10

年を取ったら、余生をゆっくり好きなことに時間を費やしてって思っていたんです。でも、体が弱くなって病院に通うようになって、自分の残された時間がどのぐらいなのかと考えるようになると、そっちに目が向かなくなるっていうことがある。
だからね、「年を取ってからこれをやりましょう」って思ってる人は、絶対に年を取る前にやったほうがいい。お金も老後のためにっていうよりも、若い時や使える時に使った方が僕はいいと思う。残すなんていうことは考えないで、若いうちに遊ばないと。年を取ると、僕みたいに目は見えづらくなってくるし、耳は聞こえにくくなってくるし。もう眼鏡の度数なんか毎月のようにどんどん変わるんだから(笑)。
~小倉智昭さん11月8日のインタビュー(12月9日77歳で死去)、Yahooから~


私などはまさにこれを実践した。
50歳でさっさと勤めていた新聞社を辞め、退職プレゼントの旅行券でかつてロータリークラブからの派遣で訪れた英国スコットランドを再訪。京都造形芸術大学に編入して学び直し、2年で卒業。学生時代を過ごした東京で働くという夢を実現。本も何冊も出すなど、好きなように生きてきた。

しかし新聞社の看板を失うと人間関係もゼロになり、虚しさも存分に味わったから、結局よかったのか悪かったのか半々だな。

「最後に笑うのは俺だ」と思っていろいろやってきたけど、人生を味方にできたかというと、そうはなっていない。

釣りもゴルフも賭け事もやらない、酒もノンアルになった、出会いもない。
だから学ぶしかない。学び続けるしかない。
また大学に行く。今度は2年というわけにはいかない。
4年計画で卒業しようと思う。それが集大成となる。

鉄挺は鉄斧か2024/12/21

継体天皇は物部麁鹿火に磐井討伐を命じたとき、斧と鉞(まさかり)を授けた。

どうして斧鉞なのか、と分からなかったが、よく博物館に展示してある「鉄挺=鉄素材」、あれは鉄斧、しかも祭祀用の鉄斧なのかもしれない。だから、継体天皇は物部麁鹿火の勝利を祈念して鉄斧を授けたと考えられないだろうか。

15年前の軍艦島(端島)上陸2024/12/23

昨日完結したテレビドラマ「海に眠るダイヤモンド」は、何と言っても、長崎の端島炭坑に正面から取り組んだ骨太さを称賛したい。
下に書いたように、今では「軍艦島」の通り名が定着してしまって、「端島」の名で呼ばれることは少ない。
そこをあくまで「端島」で一貫した。

私は15年前の2009年11月6日に軍艦島に上陸した。
そのときの写真と撮影コメントである。
写真はお見せするようなものではないが、15年前なのでまあいいでしょう。


タイトルは「廃墟と私(軍艦島にて)」です。
 軍艦島は長崎市の沖合に浮かぶ、周囲およそ1200mの小さな、小さな島。1891年から1974年まで、三菱の海底炭坑だった。最盛期には5300人もの人たちが日本初の鉄筋コンクリート造りの高層住宅にひしめき合って住み、学校や病院、商店、映画館からパチンコ屋まであったという。それが無人島となって35年。コンクリートの廃墟と護岸だけになった姿は、本当に軍艦によく似ている。「端島(はしま)」という実の名はかすんでしまった。
 今の私には、そんな究極の廃墟が似合うと思った。
 昨年、50歳で会社を辞めた。リストラでもなく自ら進んで辞めたのだから腐ってるわけではない。でも、どこにも何にも所属していないという心許なさはある。早く第2の人生の明確な姿が見えればいいのだが、まだそれは見えない。だから、廃墟で自分を撮る。
 軍艦島では廃墟の中に入り込んでいけるものだとばかり思っていた。瓦礫を踏みしめて行くつもりだった。ところが、世界遺産暫定リストに載ったせいか、上陸者は厳しく管理されている。わずか300mほどのガードレールの付いた道を歩けるだけなのだ。船に40分ほども揺られてきたのに、とがっかりする。しかも〝軍艦島コンシェルジェ〟という人たちが目を光らせている。その一方では釣り人が勝手に船でやってきて、防波堤の上から糸を垂らしている。その連中のことは見て見ぬふりだ。仕方がない。それも現実だ。撮れるところで撮ろう。
 島で一番高いところが、この夏スコットランドで見たエジンバラ城の城塞にそっくりで気に入った。やっぱりガードレールが邪魔だ。あえてポーズは取らない。愛敬はないが、ぶすっとしてるのが今の私の本当の姿だろう。


以上が当時書いた文章である。

最後に、昨日ドラマの最終回に出てきた言葉。

人は過去に生きることはできない。未来に生きることもできない。
今を一生懸命に生きることだ。