今日のひとこと(色覚異常) ― 2025/01/06
新聞社を受けてみようと考えてはいたが、新聞社の募集には当時、「色神異常不可」の条件があった。赤緑色弱の診断があり新聞社はだめかと求人票をながめていると、フジ新聞社にはその項目がない。情けないが、それが志望理由だった。
(中略)
ちなみに、なぜフジ新聞社だけ「色神異常不可」の記載がなかったのか。入社後に聞くと、「忘れていた」のだという。人のその後を左右する偶然や運なんて、まあそんなものだ。
「色神異常」や「赤緑色弱」は今や死語である。呼称は「色覚異常」から「色覚多様性」へと改められた。厚生労働省は平成13年、雇用採用時の色覚検査を原則廃止すると通達した。
~5日付産経新聞「日曜に書く」論説委員・別府育郎~
今あらゆる〝弱者〟が声を上げる時代だが、色覚異常者はおとなしい。
「もっと配慮しろ」と権利を主張するわけでもないし、そもそも〝カミングアウト〟する人も珍しい。
だが、確実に人生の幅は狭まる。
小学生のとき漫画が得意でクラスメイトから「描いて、描いて」とリクエストされ、「怪獣下敷き」は順番待ちの人気だった。漫画家になりたかったが、カラーが描けないので断念するしかなかった。
高校3年で文系・理系のクラスに分かれた時、理系に進む選択肢はなかった。
「赤緑色弱」だから日常生活に大きな不便はない。
ただ、点や線になると識別が難しい。
レーザーポインターの赤い点が見えない。
折れ線グラフを色で表わされるとお手上げだ。
この二つはやめてほしいと思う。
また「紅葉が美しいと感じられない」というのもあるが、紅葉の遅れた昨秋はなぜか美しく感じた。なぜだろう。紅葉がまだら模様で、そのグラデーションがたまらなく美しかった。
私はこの別府育郎氏と同い年だが、当時、新聞社の募集に「色神異常不可」の条件があった記憶はない。
新聞社は文系の典型的な就職先だったから。
そうして私も新聞記者となった。
それにしても今、「色覚多様性」と言うなどとは知らなかった。
(中略)
ちなみに、なぜフジ新聞社だけ「色神異常不可」の記載がなかったのか。入社後に聞くと、「忘れていた」のだという。人のその後を左右する偶然や運なんて、まあそんなものだ。
「色神異常」や「赤緑色弱」は今や死語である。呼称は「色覚異常」から「色覚多様性」へと改められた。厚生労働省は平成13年、雇用採用時の色覚検査を原則廃止すると通達した。
~5日付産経新聞「日曜に書く」論説委員・別府育郎~
今あらゆる〝弱者〟が声を上げる時代だが、色覚異常者はおとなしい。
「もっと配慮しろ」と権利を主張するわけでもないし、そもそも〝カミングアウト〟する人も珍しい。
だが、確実に人生の幅は狭まる。
小学生のとき漫画が得意でクラスメイトから「描いて、描いて」とリクエストされ、「怪獣下敷き」は順番待ちの人気だった。漫画家になりたかったが、カラーが描けないので断念するしかなかった。
高校3年で文系・理系のクラスに分かれた時、理系に進む選択肢はなかった。
「赤緑色弱」だから日常生活に大きな不便はない。
ただ、点や線になると識別が難しい。
レーザーポインターの赤い点が見えない。
折れ線グラフを色で表わされるとお手上げだ。
この二つはやめてほしいと思う。
また「紅葉が美しいと感じられない」というのもあるが、紅葉の遅れた昨秋はなぜか美しく感じた。なぜだろう。紅葉がまだら模様で、そのグラデーションがたまらなく美しかった。
私はこの別府育郎氏と同い年だが、当時、新聞社の募集に「色神異常不可」の条件があった記憶はない。
新聞社は文系の典型的な就職先だったから。
そうして私も新聞記者となった。
それにしても今、「色覚多様性」と言うなどとは知らなかった。
あけましておめでとうございます! ― 2025/01/01
新年あけましておめでとうございます。
— コラムニスト-1.0 としどん (@tossiee) December 31, 2024
今年の初日の出は完璧でした。朝焼けもすごかった。
きっと良い一年になるでしょう。 pic.twitter.com/qQoryZql39
人生の集大成(続き) ― 2024/12/10
昨日の続きになる。
なんと母の日とはね。
なんと母の日とはね。
地久節。皇后陛下の御誕辰。戦前の女学校は学業を休んで奉祝式。そして母の日。 pic.twitter.com/6SpJ8JrA4E
— 和中 光次(わなか みつじ) (@111g0) December 9, 2024
人生の集大成 ― 2024/12/09
誕生花がキクとは知らなかった。
亡き母の名はキク子。
次の墓参りではキクを主体にしよう。
67歳となって、人生の集大成を迎えたと思っている。
亡き母の名はキク子。
次の墓参りではキクを主体にしよう。
67歳となって、人生の集大成を迎えたと思っている。
【12月9日誕生花 キク 二色咲き】
— ︎スティード梅吉︎🎄 (@umekichiume) December 8, 2024
私は賀来千香子さん時代のJJ愛読者
それまで1色だったパンプス👠の
つま先やヒールの色を変えた
2色使い『バイカラーパンプス』が
流行った
斬新で都会的で垢抜けて見えた
足元に目線がグッと行く
菊の世界のバイカラーも
洋風の華やかさを吹き込んだはずだ https://t.co/Ccf8HAiYTW pic.twitter.com/CQIqpfpMdc
今日のひとこと(「無礼」の時代) ― 2024/06/10
次第に日本人の心の質が変わってゆく。いつかやがて「無礼」という言葉の意味さえ分からなくなる日が来るのだろうと思う。だがその日まで生きないで済む老人で良かったよ。あ、済まないが自決する気はない。
~さだまさし、昨日付産経新聞1面日曜コラム~
さだまさしは私より5年上ということは、71か72歳。
私もあと10年~15年は元気でいたいと思う半面、このどんどんおかしくなっていく世の中を見たくないという気持ちがある。
~さだまさし、昨日付産経新聞1面日曜コラム~
さだまさしは私より5年上ということは、71か72歳。
私もあと10年~15年は元気でいたいと思う半面、このどんどんおかしくなっていく世の中を見たくないという気持ちがある。
今日のひとこと(話す力) ― 2024/03/06
どうしても声の大きい人や、その会でいちばん偉い人、あるいは地位の高い人、あるいは私のような喋り過ぎる人間を中心に会話は進み、気がつくと、ひと言も発することなくその場を後にする人がでてきてしまいます。
~阿川佐和子『話す力』~
日本の飲み会は必ずこうなる。だから行きたくない。
じっと何時間も人の話を聞いているつらさよ。
イギリスでは違う。
スコットランドを1カ月、ホームステイしながら回ったことがある。
あちらでは多人数の飲み会でも必ず2、3人に分かれてしゃべっている。
そして時々、相手を変えて、そうやって来た人皆と話をする。
全体を仕切る人なんていないし、会の間ずっと言葉を発せずにいる人もいない。
これはいい!と思って日本でもやろうとしたが、これが許されない。
6、7人の飲み会ってよくあると思うが、その全体に向かってしゃべるのは声も張らないといけないし、気後れするので、横の人と話そうとするとそれに介入してきて分派行動を許さないのだ。
全体が一つの話題のほうを向いた集団行動じゃないといけないという思い込み(いわゆる圧)がすごい。
何のためのコミュニケーション(飲みにケーションなんて下らん言葉があるが)なんだろうね。
サラリーマンはつらい。
いや、同級生同士でも同じだ。
これだから酒は一人で飲むに限る。
でも、中には〝分かってる〟人たちもいるようだ。
『話す力』の続き。伊集院静のゴルフ仲間の話だ。
伊集院静は座談の名手だ。
「ところが、そのコンペに集まった人たちは、誰もがそばの人とのお喋りに夢中になっています。伊集院さんがなんの話を始めようとも、誰も黙ろうとはしません。大きな声で伊集院さんが面白い話をしているのに、ろくに聞いちゃいないのです。(略)年齢や地位に関係なく、自由気ままにあちこちで勝手に会話が生まれる集まりほど楽しいものはない。そのとき私は合点しました」
そう、これこれ。
これがもっと日本にも広まるといい。
ところで、『話す力』を読んでいて、これを書いた阿川佐和子自身に話す力があるとは思えないのがこの本の最大の難点だ。
例えば、阿川は「『でも』を冒頭につけて会話をすすめる悪い癖があり、気をつけているつもりなのですが、つい出てしまいます」と書いている。
実は私も、妻に何か言うと、必ず「でも…」から始まる言葉が返ってくるのに長年悩まされてきた。
否定されて面白い人はいないだろう。
阿川も「でも」を「必ずしも逆のことを言おうとして使っていない場合が多い」というが、だったら「そうだね」と肯定の言葉を使ったらどうだろう。
『話す力』の最後の章。
「『そうだね』で家庭内は平和」という見出しがついているので、よしよしと期待して読むと、なんと、こんな夫婦の会話で終わるのだ。
「なんであなたはいつもそうやって私の言うことに反論するわけ?」
「いつもじゃないよ」
「ほら、また否定した」
「いつもってわけじゃないだろう」
「だいたい、いつもです。いつもそうなんだから」
……
やれやれ。
~阿川佐和子『話す力』~
日本の飲み会は必ずこうなる。だから行きたくない。
じっと何時間も人の話を聞いているつらさよ。
イギリスでは違う。
スコットランドを1カ月、ホームステイしながら回ったことがある。
あちらでは多人数の飲み会でも必ず2、3人に分かれてしゃべっている。
そして時々、相手を変えて、そうやって来た人皆と話をする。
全体を仕切る人なんていないし、会の間ずっと言葉を発せずにいる人もいない。
これはいい!と思って日本でもやろうとしたが、これが許されない。
6、7人の飲み会ってよくあると思うが、その全体に向かってしゃべるのは声も張らないといけないし、気後れするので、横の人と話そうとするとそれに介入してきて分派行動を許さないのだ。
全体が一つの話題のほうを向いた集団行動じゃないといけないという思い込み(いわゆる圧)がすごい。
何のためのコミュニケーション(飲みにケーションなんて下らん言葉があるが)なんだろうね。
サラリーマンはつらい。
いや、同級生同士でも同じだ。
これだから酒は一人で飲むに限る。
でも、中には〝分かってる〟人たちもいるようだ。
『話す力』の続き。伊集院静のゴルフ仲間の話だ。
伊集院静は座談の名手だ。
「ところが、そのコンペに集まった人たちは、誰もがそばの人とのお喋りに夢中になっています。伊集院さんがなんの話を始めようとも、誰も黙ろうとはしません。大きな声で伊集院さんが面白い話をしているのに、ろくに聞いちゃいないのです。(略)年齢や地位に関係なく、自由気ままにあちこちで勝手に会話が生まれる集まりほど楽しいものはない。そのとき私は合点しました」
そう、これこれ。
これがもっと日本にも広まるといい。
ところで、『話す力』を読んでいて、これを書いた阿川佐和子自身に話す力があるとは思えないのがこの本の最大の難点だ。
例えば、阿川は「『でも』を冒頭につけて会話をすすめる悪い癖があり、気をつけているつもりなのですが、つい出てしまいます」と書いている。
実は私も、妻に何か言うと、必ず「でも…」から始まる言葉が返ってくるのに長年悩まされてきた。
否定されて面白い人はいないだろう。
阿川も「でも」を「必ずしも逆のことを言おうとして使っていない場合が多い」というが、だったら「そうだね」と肯定の言葉を使ったらどうだろう。
『話す力』の最後の章。
「『そうだね』で家庭内は平和」という見出しがついているので、よしよしと期待して読むと、なんと、こんな夫婦の会話で終わるのだ。
「なんであなたはいつもそうやって私の言うことに反論するわけ?」
「いつもじゃないよ」
「ほら、また否定した」
「いつもってわけじゃないだろう」
「だいたい、いつもです。いつもそうなんだから」
……
やれやれ。
アサブロ1位! ― 2024/02/05

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