「日本ドラフト文学賞」今村翔吾さんの発想に万歳! ― 2024/11/23
作家の今村翔吾さんが20日に発表した「日本ドラフト文学賞」。
いろいろ共鳴する点があった。
私は前身の「九州さが大衆文学賞」に応募したことがある(一次は通過)。
同賞はそれから間もなく終わってしまった。
今村翔吾さんは同賞の受賞者で、日ごろ佐賀への恩返しを公言しており、佐賀駅に「佐賀之書店」を開業したばかりだが、さらに同賞の流れをくむ文学賞を復活するというのだ。
まずこの「恩返し」という人柄が律儀でいいではないか。
そしてこの文学賞、従来にない素晴らしい特長2つを持っている。
まず「複数の出版社によるドラフト制度」。
つまり、選考委員ではなく、いきなり出版社が気に入った作品をドラフトするのだ。
世の中には悪辣な出版エージェントがある。
私も7年ほど前、Aエージェンシーに原稿を送ったことがある。
300枚の原稿を見てもらうのに5万円(税別)、50枚増すごとに1万円(税別)加算という手数料。有望なら出版社に紹介するという。
ちょっと高すぎると思ったが、社長が同郷ということもあり信用して原稿を送った。
返ってくるまで数か月かかった(途中、催促した)挙げ句、ごく簡単な講評と「出版社は紹介できません」とのことだった。
講評に具体性は一切なく、読んでいないんじゃないかと思った。
これで5万5000円‼
ホームページを見ると、こんな悪どい商売をまだ続けているようだ。皆さん、ご注意を!
これが日本ドラフト文学賞に応募すれば、同等のことを無料でやってもらえるのだ! 素晴らしいでしょう?
もう一つ素晴らしいのは、多くの文学賞が禁止している【過去に賞に応募した原稿】も受け付けるという点だ。
私はこれについてはまさに、本ブログの2017/9/21付で「応募作の使い回しは非難すべきことなのか」を書いている。
バックナンバーから読んでいただきたいところだが、そんな面倒なことをする人はいないだろうから、ちょっと長くなるが全文をコピペする。
(はじまり)
第21回「日本ミステリー文学大賞新人賞」の候補作4つが決まったそうだ。
予選委員7氏=円堂都司昭、香山二三郎、新保博久、千街晶之、細谷正充、山前譲、吉田伸子+光文社文芸局が10点満点で採点、討議のうえ選定したという。
予選委員の名前が出ているのも初めて見たが、
【予選委員からの候補作選考コメント】として、応募者の姿勢へのかなり強い批判が書かれていて驚いた。異例ではないか。
香山二三郎氏は「しつこいようだけど、次の二点にはくれぐれも気を付けて。応募作品は新作で。既応募作品での再応募は本賞では控えましょう。原稿の印字は字間を詰めて。読みにくいと端から印象が悪くなります」。
これくらいはいい。気をつけよう、という気になる。
新保博久氏は、ある作品(原文では明記)に「次にどう展開するのだろうとワクワク感を覚えた」が、「二年前の他賞の落選作という凶状が判明して支持を撤回した。再応募作が絶対に不可というわけではないが、以前の応募状況を問い合わせてもダンマリだったのは、作者も後ろめたいのだろう。その作品での落選歴を秘匿していても、予選委員はたいてい複数の賞を兼任しているから十中八九、露顕すると覚悟しておいてもらいたい」。最後に「恥じ入れ」とまで付け加えた。
確かに今回、予選の読み手は相当にいらいらした様子だ。
細谷正充氏は「他の新人賞に投稿して落ちた作品を、そのまま送ってくる“使い回し原稿”問題も、クローズアップされた。二重投稿ではないので応募規約に違反しているわけではないが、今回、同じ内容で四度目の投稿という作品があり、さすがに問題視せざるを得なかった。自分の作品が可愛いのは分かるが、プロの作家になりたいのだったら、見切る勇気も必要だろう」。
吉田伸子氏も「二重投稿はないものの、いわゆる“使い回し”(過去に別の賞に応募した作品)が目立ちました。過去に応募した時のタイトルと変えられていることから、故意だと推察しますが、これは止めていただきたい。過去の作品に拘る気持ちも分からなくはないですが、フェアではないと思います。それよりも、新しい作品へ気持ちを向けたほうがいい。新人賞が求めているのは「新しい芽」である、ということを心に留めておいて欲しいです」という。
ただ、応募者の立場から言わせてもらうと、自分では結構自信のあった原稿が一次予選も通過しない場合、「これ、ほんとに読んでもらったんだろうか」と疑ってしまうのは自然な心理だ。
悪気があってやっているのではない。自分の作品が可愛いのだ。
だから、別の賞に応募して、もう一度読んでもらおうとする。
書いた人ならわかるが、長編小説を書くのは本当に大変だ。
日々、部屋に引き籠るという孤独と、いくら時間を費やしても報われない巨大な徒労感と才能のなさに長時間耐えなければならない。
こうして出来上がった作品が可愛いのは当たり前だ。
ちゃんと読んでもらっているのか、読まれたとしても本当に正しい評価なのか、疑ってしかるべきだ。
業界人の評価があてにならない例は枚挙にいとまがない。
最も有名なものでは、ハリーポッターが十数社の出版社に断られたという例がある。
「恥じ入れ」とまで非難すべきことなのだろうか。
読むほうはせいぜい数時間だろうが、書くほうはどれだけの時間を費やしていることか。
これでは、書かずに読者でいるほうがずっと楽でいい、と思ってしまう。
(おわり)
どうでしょう。
今村翔吾さんの考えとほぼ同じだと思います。
私は日本ドラフト文学賞に応募し続けるつもりです。
(もちろん第1回でうまくいけばいいのですが)
いろいろ共鳴する点があった。
私は前身の「九州さが大衆文学賞」に応募したことがある(一次は通過)。
同賞はそれから間もなく終わってしまった。
今村翔吾さんは同賞の受賞者で、日ごろ佐賀への恩返しを公言しており、佐賀駅に「佐賀之書店」を開業したばかりだが、さらに同賞の流れをくむ文学賞を復活するというのだ。
まずこの「恩返し」という人柄が律儀でいいではないか。
そしてこの文学賞、従来にない素晴らしい特長2つを持っている。
まず「複数の出版社によるドラフト制度」。
つまり、選考委員ではなく、いきなり出版社が気に入った作品をドラフトするのだ。
世の中には悪辣な出版エージェントがある。
私も7年ほど前、Aエージェンシーに原稿を送ったことがある。
300枚の原稿を見てもらうのに5万円(税別)、50枚増すごとに1万円(税別)加算という手数料。有望なら出版社に紹介するという。
ちょっと高すぎると思ったが、社長が同郷ということもあり信用して原稿を送った。
返ってくるまで数か月かかった(途中、催促した)挙げ句、ごく簡単な講評と「出版社は紹介できません」とのことだった。
講評に具体性は一切なく、読んでいないんじゃないかと思った。
これで5万5000円‼
ホームページを見ると、こんな悪どい商売をまだ続けているようだ。皆さん、ご注意を!
これが日本ドラフト文学賞に応募すれば、同等のことを無料でやってもらえるのだ! 素晴らしいでしょう?
もう一つ素晴らしいのは、多くの文学賞が禁止している【過去に賞に応募した原稿】も受け付けるという点だ。
私はこれについてはまさに、本ブログの2017/9/21付で「応募作の使い回しは非難すべきことなのか」を書いている。
バックナンバーから読んでいただきたいところだが、そんな面倒なことをする人はいないだろうから、ちょっと長くなるが全文をコピペする。
(はじまり)
第21回「日本ミステリー文学大賞新人賞」の候補作4つが決まったそうだ。
予選委員7氏=円堂都司昭、香山二三郎、新保博久、千街晶之、細谷正充、山前譲、吉田伸子+光文社文芸局が10点満点で採点、討議のうえ選定したという。
予選委員の名前が出ているのも初めて見たが、
【予選委員からの候補作選考コメント】として、応募者の姿勢へのかなり強い批判が書かれていて驚いた。異例ではないか。
香山二三郎氏は「しつこいようだけど、次の二点にはくれぐれも気を付けて。応募作品は新作で。既応募作品での再応募は本賞では控えましょう。原稿の印字は字間を詰めて。読みにくいと端から印象が悪くなります」。
これくらいはいい。気をつけよう、という気になる。
新保博久氏は、ある作品(原文では明記)に「次にどう展開するのだろうとワクワク感を覚えた」が、「二年前の他賞の落選作という凶状が判明して支持を撤回した。再応募作が絶対に不可というわけではないが、以前の応募状況を問い合わせてもダンマリだったのは、作者も後ろめたいのだろう。その作品での落選歴を秘匿していても、予選委員はたいてい複数の賞を兼任しているから十中八九、露顕すると覚悟しておいてもらいたい」。最後に「恥じ入れ」とまで付け加えた。
確かに今回、予選の読み手は相当にいらいらした様子だ。
細谷正充氏は「他の新人賞に投稿して落ちた作品を、そのまま送ってくる“使い回し原稿”問題も、クローズアップされた。二重投稿ではないので応募規約に違反しているわけではないが、今回、同じ内容で四度目の投稿という作品があり、さすがに問題視せざるを得なかった。自分の作品が可愛いのは分かるが、プロの作家になりたいのだったら、見切る勇気も必要だろう」。
吉田伸子氏も「二重投稿はないものの、いわゆる“使い回し”(過去に別の賞に応募した作品)が目立ちました。過去に応募した時のタイトルと変えられていることから、故意だと推察しますが、これは止めていただきたい。過去の作品に拘る気持ちも分からなくはないですが、フェアではないと思います。それよりも、新しい作品へ気持ちを向けたほうがいい。新人賞が求めているのは「新しい芽」である、ということを心に留めておいて欲しいです」という。
ただ、応募者の立場から言わせてもらうと、自分では結構自信のあった原稿が一次予選も通過しない場合、「これ、ほんとに読んでもらったんだろうか」と疑ってしまうのは自然な心理だ。
悪気があってやっているのではない。自分の作品が可愛いのだ。
だから、別の賞に応募して、もう一度読んでもらおうとする。
書いた人ならわかるが、長編小説を書くのは本当に大変だ。
日々、部屋に引き籠るという孤独と、いくら時間を費やしても報われない巨大な徒労感と才能のなさに長時間耐えなければならない。
こうして出来上がった作品が可愛いのは当たり前だ。
ちゃんと読んでもらっているのか、読まれたとしても本当に正しい評価なのか、疑ってしかるべきだ。
業界人の評価があてにならない例は枚挙にいとまがない。
最も有名なものでは、ハリーポッターが十数社の出版社に断られたという例がある。
「恥じ入れ」とまで非難すべきことなのだろうか。
読むほうはせいぜい数時間だろうが、書くほうはどれだけの時間を費やしていることか。
これでは、書かずに読者でいるほうがずっと楽でいい、と思ってしまう。
(おわり)
どうでしょう。
今村翔吾さんの考えとほぼ同じだと思います。
私は日本ドラフト文学賞に応募し続けるつもりです。
(もちろん第1回でうまくいけばいいのですが)
南北九州の交流(塞ノ神式土器②) ― 2023/05/15
鹿児島市のふるさと考古歴史館を久しぶりに訪ねて驚いた。
こんなに展示が充実しているとは。
リニューアルしたのか、それともこちらの知識が増して面白く感じられるようになったのか。
おそらく両方だろうが、やはり佐賀市の東名縄文館を訪ねていたおかげで、同じ塞ノ神式土器に出会ったりするとより一層興味深いのだ。
ところで、塞ノ神(せのかん)遺跡は伊佐郡菱刈町田中(現在は伊佐市)にある。
発掘調査は行われておらず、縄文土器や弥生土器、多種の石器が表面採集された。
塞ノ神式土器は多くの研究者によって論じられてきたが,1972年河口貞徳氏によってA(a,b)式からB(c,d)式に4細分され、南九州を代表する縄文時代早期の一型式となったという。
菱刈町なら大河・川内川が流れているので、縄文時代の丸木舟でも東シナ海に出るのは容易だろう。、
それから有明海を沿岸や島伝いに北上すれば、佐賀の東名まで行くのはさほど難しくはなさそうだ。
塞ノ神式土器は今や九州一円はおろか中国,四国地方からも発見され、広範な分布が分かっている。
こんなに展示が充実しているとは。
リニューアルしたのか、それともこちらの知識が増して面白く感じられるようになったのか。
おそらく両方だろうが、やはり佐賀市の東名縄文館を訪ねていたおかげで、同じ塞ノ神式土器に出会ったりするとより一層興味深いのだ。
ところで、塞ノ神(せのかん)遺跡は伊佐郡菱刈町田中(現在は伊佐市)にある。
発掘調査は行われておらず、縄文土器や弥生土器、多種の石器が表面採集された。
塞ノ神式土器は多くの研究者によって論じられてきたが,1972年河口貞徳氏によってA(a,b)式からB(c,d)式に4細分され、南九州を代表する縄文時代早期の一型式となったという。
菱刈町なら大河・川内川が流れているので、縄文時代の丸木舟でも東シナ海に出るのは容易だろう。、
それから有明海を沿岸や島伝いに北上すれば、佐賀の東名まで行くのはさほど難しくはなさそうだ。
塞ノ神式土器は今や九州一円はおろか中国,四国地方からも発見され、広範な分布が分かっている。
南北九州の交流(塞ノ神式土器) ― 2023/05/15
木製仮面 ― 2023/05/12
一昨日、佐賀市金立町にある縄文時代早期、8000年前の東名(ひがしみょう)遺跡を訪ねた。
東名縄文館という瀟洒な建物の中で、人面状木製品なる不思議な出土品を見た。
縁に6か所の穴が開き、裏には棒をあてがうような削り込みがあることから、棒にくくり付けて掲げたのではないかとみられており、いわゆる仮面かどうかは分からない。
それから6000年も後の木製仮面によく似ているのが興味深い。
東名縄文館という瀟洒な建物の中で、人面状木製品なる不思議な出土品を見た。
縁に6か所の穴が開き、裏には棒をあてがうような削り込みがあることから、棒にくくり付けて掲げたのではないかとみられており、いわゆる仮面かどうかは分からない。
それから6000年も後の木製仮面によく似ているのが興味深い。
3世紀前半の木製仮面、大阪の遺跡で出土 農耕儀礼で使用か
— 産経ニュース (@Sankei_news) May 11, 2023
https://t.co/3oFEttDs6v
炭化した鍬や水をためる容器などの木製品もあわせて見つかっており、水と火を駆使した農耕儀礼で使われたとみられるという。
原寮さん死去 ― 2023/05/10
原寮さんの作品はすべて新刊で読んだ。
直木賞を受賞した『私が殺した少女』(1989年)を2014年、ちょうど四半世紀ぶりに再読したときの感想が残っている。
やや、ネタバレかもしれない。
「四半世紀ぶりに読んだが、面白かった。(私は本を読むと眠くなるのだが)一度も眠くならなかった。こんな意外な結末だったとはね。まあ、これだけ長い紙数追ってきた誘拐殺人事件が最後の最後に茶番というか、消失してしまうとは。作家とは何と根気のいる作業だろう」
私は2008年夏に福岡県小郡市に越して来て、隣の佐賀県鳥栖市に住む原寮さんに会いたいと思って、お兄さんがやっているジャズ喫茶「コルトレーン、コルトレーン」には何度か行った(時々原さんも顔を見せるという話だったので)。
原さんは講演をしない人だったが、一度だけ、福岡市中央区の赤煉瓦の文学館で話をするということで勇んで申し込んだ。
ところが当日、当時書いていた小説のアイデアが浮かんで、そっちをどうしても書かなければと思って、原さんの方は断念した。
というわけで、一度もお会いできなかったのは残念である。
直木賞を受賞した『私が殺した少女』(1989年)を2014年、ちょうど四半世紀ぶりに再読したときの感想が残っている。
やや、ネタバレかもしれない。
「四半世紀ぶりに読んだが、面白かった。(私は本を読むと眠くなるのだが)一度も眠くならなかった。こんな意外な結末だったとはね。まあ、これだけ長い紙数追ってきた誘拐殺人事件が最後の最後に茶番というか、消失してしまうとは。作家とは何と根気のいる作業だろう」
私は2008年夏に福岡県小郡市に越して来て、隣の佐賀県鳥栖市に住む原寮さんに会いたいと思って、お兄さんがやっているジャズ喫茶「コルトレーン、コルトレーン」には何度か行った(時々原さんも顔を見せるという話だったので)。
原さんは講演をしない人だったが、一度だけ、福岡市中央区の赤煉瓦の文学館で話をするということで勇んで申し込んだ。
ところが当日、当時書いていた小説のアイデアが浮かんで、そっちをどうしても書かなければと思って、原さんの方は断念した。
というわけで、一度もお会いできなかったのは残念である。
庚申堂塚古墳 ― 2023/03/27
赤漆玉鈿装鞘銅剣? ― 2023/03/27
「とす弥生まつり」の遺跡ポイントラリー、2か所目のポイント、柚比本村遺跡。
赤漆玉鈿装鞘銅剣(あかうるしぎょくでんそうさやどうけん、長さ41.5cm!)。
こんなすごいものが出ていたのか。
ボランティアガイドの人とも話したが、鳥栖市や久留米市にはこうした遺物を展示する場所が一つもない。
どちらも大きな町なのに。
どこが所蔵しているのか、どこに行けば見られるのかさえも分からない。
わが小郡市には幸い、九州歴史資料館(県立)があるし、市埋蔵文化財調査センターに小さいながらも展示室がある。
佐賀の武雄図書館や、福岡県福津市のカメリアステージ歴史資料館のように、図書館併設でよい。
展示室をつくるべきだ、と大いにガイドさんと意見が一致した。
鳥栖市長(自民党県議出身)は代わったばかり。期待したい。
赤漆玉鈿装鞘銅剣(あかうるしぎょくでんそうさやどうけん、長さ41.5cm!)。
こんなすごいものが出ていたのか。
ボランティアガイドの人とも話したが、鳥栖市や久留米市にはこうした遺物を展示する場所が一つもない。
どちらも大きな町なのに。
どこが所蔵しているのか、どこに行けば見られるのかさえも分からない。
わが小郡市には幸い、九州歴史資料館(県立)があるし、市埋蔵文化財調査センターに小さいながらも展示室がある。
佐賀の武雄図書館や、福岡県福津市のカメリアステージ歴史資料館のように、図書館併設でよい。
展示室をつくるべきだ、と大いにガイドさんと意見が一致した。
鳥栖市長(自民党県議出身)は代わったばかり。期待したい。




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