「作家のエージェント」を試してみたら…2018/09/30

「作家のエージェント」というA社。

手持ちの原稿を送ると、「優れた企画・原稿と判断した場合には、詳細な条件などをご説明し、ご承諾を得た上で、弊社があなたのエージェントとして、出版に向け、あなたの企画・原稿にさらに磨きを加え、出版までお手伝いします」という。

O社長が同郷でもあり、ずっと関心を持っていた。

これまでの実績では、応募のあった企画・原稿の中で実際に出版にいたるのは全体の1割程度という。
「厳しい現実という印象を お持ちになるかもしれませんが、見方を変えれば、1割は確実に出版に結びついているのだとも考えられます」
確かにそうだ。

魅力的だが、原稿を見てもらうのに54,000円かかる(400字詰原稿用紙400枚まで。それ以上は、さらに加算)。

おいそれと出せる金額ではない。
合格なら安いが、ダメなら5万4000円はかなり痛い。
なかなか踏み出せなかった。

しかし、この夏、これなら1割のハードルを超えられるかもしれない、という原稿ができた。
得意の林芙美子と大東亜戦争がテーマのノンフィクション。
類書はない。

思い切ってA社に送ってみるか!

7月中旬に送り、一カ月ほどで返事するということだったが、遅れ、催促した揚げ句、8月下旬にようやく待ちに待った返事が来た。

結果は……却下。奈落の底へ突き落とされた。

曰く。大東亜戦争を新たな視点でとらえる本はニーズがある。
しかし、林芙美子がいけないという。

これまでの例から見ても、

女がテーマだと売れない。

ただし、筆力や取材力などは申し分ないので、「専門出版社」なら検討してくれるかもしれない。
弊社は「総合出版社」との取引が中心。「専門出版社」は初版部数や印税などが少なく、著者にも弊社にもメリットが少ない。
自分で直接、専門出版社へ持ち込んだらどうか、という。

つまり、「儲からないから、うちではやりたくない。自分で小さな出版社へ持って行け」というわけだ。

これだけのメール一通で、5万4000円!


添削も何も返ってこないから、ほんとにちゃんと読んだのかも疑わしい。
インチキ商売とまでは言わないが、かなり「楽な」商売をしているなという印象は否めない。

すべてがすべてダメとは言わない。
ベストセラー狙いのビジネス書やハウツー本の企画を持っている人はいいだろう。
つまり、たくさん売って儲けたい人専用だ。
文芸・学芸・ノンフィクションの原稿を持つ人はやめたほうがいい。

雑誌「正論」にメジャーデビューして、初めて頂いた貴重な原稿料の多くが消えてしまった。痛恨。高い授業料だった。

どうか、参考にしていただきたい。

マイルストーン40年後2018/09/11

9月1日に東京であった、早大マイルストーン編集会40周年記念パーティーの3次会での貴重な写真を岡田伸吉さん(左)が送ってくれました。

店は懐かしの馬場の「清龍」です。
昔と趣が違い、チェーン店ぽくなってます。

2次会はこのメンバーで「薩摩の里」という店に行ったのですが、そこでは1枚も撮らず(笑)、貴重な写真です。
一志治夫氏はそこで帰ってしまったので、残念ながらいません。

林福江さんを悼む2018/08/13

林福江さん(2009年4月25日、旧門司三井倶楽部で)
作家林芙美子の姪、福江さんが6日亡くなった。92歳。
葬儀は9、10日、密葬で行われた。

大正14年、鹿児島市生まれ。
同市の三州バスで働いていた昭和26年、林芙美子に母キク(福江さんには祖母)の面倒を見てほしいと請われて上京。東京都新宿区中井二丁目の芙美子宅(現在の新宿区立林芙美子記念館)で一家と暮らした。
ひと月後の同年6月、林芙美子が自宅で急死。47年には、芙美子の夫だった林緑敏氏と結婚した。
緑敏氏は平成元年に死去。同4年、新宿区が旧宅を購入し、林芙美子記念館を開館。福江さんは近くに住んで毎日顔を出し、来館者と接していた。研究者の取材に応じてきたほか、平成25年の「生誕110年 林芙美子展」をはじめ、資料提供に協力してきた。

林芙美子を主人公にした、桐野夏生の小説「ナニカアル」(平成22年)では、語り手の「林房江」として登場している。

ここ数年は体調を崩していた。

元気で働いてます!2012/11/23

2/22付に東京の公益財団法人の採用を断ったと書きましたが、それからなんと3/14になってから再び誘いがあったのです。
2度もお願いされるなんてやはり何か縁があるのだろう。そもそも普通、断った人間にまた声をかけないだろう。それに応えなけりゃ男じゃない、ってわけで、一念発起、上京し、以来、元気に東京は神楽坂で働いているわけであります。