今日のひとこと(林芙美子)2025/03/04

愛する日本の為には、いま、国民はどんな危険に晒されても国土はしっかりと守らなければならないと思います。戦いはここまで来ているのですから、それこそ、泥をつかんでも、祖国の土は厳粛に守らなければならないと思います。私達の民族が、支那兵に雑役に使われることを考えてみて下さい。考えただけでも吐気が来そうです。
~林芙美子『戦線』(1938年12月刊)~


最近また、林芙美子と昭和の戦争についての本を書きたくなって、中公文庫の『戦線』をぱらぱら見ていたら、末尾の「附記」にこんな文章があった。
なんと今の日本の状況に当てはまることか!

今日のひとこと(学徒出陣)2024/10/21

あの日あのスタンド一杯の見送りの学生の中に私もいたのよ。冷たい雨が降りしきって皆ズブ濡れ。出陣学徒が鉄砲かついで歩調とってゲートから出てきた、その時よ、ゲートの近くのスタンドにいた女子学生が競技場に飛び下りて雪崩を打って駆け寄ったの。「ワーッ」って!(二人共に涙)
ねえ、皆青春の友よ。学徒の中に恋人もいたでしょう、兄もいたでしょう! そのスタンドの見送りの中に私はいたの。
~大泉渕インタビュー、池田康子『フミコと芙美子』~

今日のひとこと(前田日明)2024/07/11

よく「民族の誇り」とか言うんですけど、基本的に言うとね、大陸っていうのは易姓革命で、日本みたいに島国でね、色んな民族が残るとかそういうのは無いんですよね。
皆殺しに次ぐ皆殺しで、そんなもの残らないんですよ、ひとつの民族がずーっと。
今韓国にいる人たちだって、民族としての誇りとかそういう考え方自体、朝鮮総督府の義務教育によって植え付けられた遺産ですよ。元々そんなもの無かったんですよ。中国でも半島でも、民族がどうのこうのって言う人なんかいないですよ。
日本は仮にも神武天皇から続く皇室があって、その中でモンゴルが攻めてきたけど、それも跳ね返してずーっと続いてきたっていうのがあるから、そういう民族の誇りっていうのがあるかもわからないけど、大陸は無いですよ。
~Xで拾った前田日明インタビュー~


前田氏は在日三世らしい。
彼の生の言葉で語られると、「中国は易姓革命で、皆殺しに次ぐ皆殺し」ということが知識としてではなく、実に生々しく実感として伝わった。

中国人は民族としてのアイデンティティーがないので限りなく残虐になれるということ。

たまたま今日届いた、加藤康男『通州事件の真実』(草思社文庫)の中に、通州事件を実際に目撃した佐々木テンさんという人の証言がかなり長く引用されていた。

〝南京事件〟で日本人が中国人にやった虐殺というものは、本当は中国人が日本人にやったことをそのまま日本人がやったことにして、すり替えて言ってるんだとよく聞くが、まさにそうだったんだろうとこの証言を読むとあらためて確信する。
ぜひ読んでもらいたい。

そしてこんな中国人が日本を今乗っ取りつつあるというのは、絶対に阻止しなければ大変なことになると思うのだ。

『林芙美子が見た大東亜戦争』2024/07/07

この本はいつか注目されるはずと信じてきましたが、これがきっかけになるといいなと思います。

この徳永信一さんとはXで相互フォローしてます。
反日の左翼弁護士が目立つ中で、徳永さんの歴史認識は共感できることばかりです。
もちろん彼は私の正体を知りませんので、この本に偶然目をつけて取り上げてくれたのはうれしかった。

『浮雲』の舞台はなぜダラットか2023/12/22


こんなXの投稿があった。

寺内正毅、寺内寿一の親子はともに元帥、陸相となった栄光の軍人である。
しかも、ともに光頭。

寺内寿一元帥の南方総軍司令部はサイゴン→シンガポール→マニラ→サイゴンと、戦局の転換に伴って移動を余儀なくされた。
総司令官の移動は極秘であるから、「天下征討」という隠語で呼ばれたという。
「天下征討実施せらる」との飛電が隷下の各軍に伝えられた。

寺内は開戦以来、一度も日本へは帰れなかった。

マニラはわずか半年、レイテ戦の最中の昭和19年11月17日、南方軍総司令部はサイゴンへ移った。

だが、70歳の老将軍は中風に侵されて身動きもままならなかった。
気候の良い避暑地ダラットの高原で療養し、そこで日本の降伏を知った。

ダラットといえば、林芙美子の代表作『浮雲』の前半部分の舞台である。
主人公の男女が戦時中、不倫の恋をするのが仏印のダラットなのだが、なぜダラットなのかは研究者には謎で、林芙美子の描写は見ていないと書けないものないものであり蘭印に行く途中で立ち寄ったのだろうとか、いや想像で書いたのだろうとか些末な論争に明け暮れていた。

いや、違う。
ダラットは敗戦時に南方軍総司令官がいた、南方戦線終了の象徴的な場所だったのだ。

拙著『林芙美子が見た大東亜戦争』p.204-207「ダラットは南方軍の終焉を象徴する場所」を読んでいただきたい。

『南京占領下の作家たち』2023/08/21

林芙美子だけでは売れないと二の足を踏む出版社が多いだろう。

日本軍占領下の南京を訪れた作家を調べると、ほかに大宅壮一、杉山平助、山本実彦、石川達三、木村毅(き)の5人が見つかった(昨年12/19付参照)。
彼らの作品を集成した本を出したい。
以下のラインアップになる。

大宅壮一「香港から南京入城」
杉山平助「支那と支那人と日本」
山本実彦「興亡の支那を凝視めて」
石川達三「生きている兵隊」
木村毅「名曲」
林芙美子「黄鶴」「河は静かに流れゆく」

これなら〝南京戦作品集〟の決定版だと自負する。
出版社に伏してお願いします。

林芙美子の南京従軍記(昭和12―13年) 出版社求む!2023/08/15

林芙美子は昭和12年12月末、占領後の南京に初めて入った日本人女性である。
だから、その記録は極めて重要だ。

私はすでに『林芙美子が見た大東亜戦争』『花に風 林芙美子の生涯』の2冊を世に問い、その中で一連の南京従軍記を紹介してきたが、やはり読者には林芙美子の原文全体を読んでもらいたいという思いが強い。

中華民国の首都・南京は昭和12年12月13日、日本軍によって陥落する。
作家の林芙美子は東京日日・大阪毎日新聞(のちの毎日新聞)の特派員として、すぐに旅立つ。
12月27日、長崎を出港し、29日上海着。翌30日陸路で南京に向かい、大みそかに到着。明けて13年1月3日まで滞在した。南京市内に3泊、前後に露営を1泊ずつ、計5泊6日の従軍である。

目次
【従軍記】
会遊の南京
従軍の思い出
南京
露営の夜
南京行(女性の南京一番乗り)
静安寺路追憶
私の従軍日記
五月の手紙
『私の昆虫記』あとがき
北岸部隊(抄)=南京関係部分のみ
【小説】
黄鶴
河は静かに流れゆく

凡例
一、林芙美子著『私の昆虫記』(昭和13年7月、改造社)の中から、南京従軍に関する文章7編と「あとがき」を選び、『心境と風格』(昭和14年11月、創元社)所収の「南京」を加えた。また、『北岸部隊』(昭和14年1月、中央公論社)の中から南京滞在時の文章を抜粋した。
一、なるべく時系列になるよう並べ替えたが、各編は独立して書かれており、必ずしもそうはできなかった。その際は流れの分かりやすさを重視した。
一、「黄鶴」は小説だが、主人公の重子は明らかに芙美子そのものである。昭和13年3月という早い時期に書かれていることも重要だ。また、「河は静かに流れゆく」(『悪闘』昭15・4)は、芙美子が朝日新聞南京支局長宅のアマ(中国人の女中)に取材したもので、南京で暮らす中国人の視点で書いており、南京戦を別な角度で見ることができる。

これだけの貴重な記録――南京大虐殺があったとされる時期の重要な記録が埋もれているのは不可思議だ。
どうか出版するところが出てきてほしい。原稿はすぐにでも用意できる。
ちなみに今年は林芙美子生誕120年の節目でもある。