ほぜどん事件 ― 2017/08/23
当時36歳。
支局に出てみてようやく、世の中には七人の敵がいるという言葉の意味が分かった。しかも、社外ばかりでなく、社内にいるのだということを。
支局は事件事故も大事だが、日常取材の中心は行政・議会上の問題や、町の話題、選挙だ。管内は一市三町、一人で回らなければならない。夜が明けないうちから「新聞が来ていない」という苦情の電話が来るし(「申し訳ありませんが、それは販売所に連絡してください」と答える)、休日には祭りやイベントが集中するので休めない。二十四時間三百六十五日支局に縛り付けられている。
支局に赴任したとき、汚元(きたもと)は社会部長だった。支社支局は組織上、地方部に属するが、事件事故については社会部が指示する。
台風のとき、汚元が電話してくる。
枕崎台風なんて昭和20年、終戦直後だが、いまだに台風=枕崎と思っているのだ。
デスクの仕事だが、私に対してだけなのか、部長自ら電話してくる。
「そっちの様子はどうだ」
支局は高台にあって、南側に開けた海が見える。
「まだ何も。風もないし、波もありません」
すると、
「そんなはずはなか!」
と一喝だ。
「見てこい!」
と言われても、台風はまだはるか南方海上にある。そんなことは天気予報を見ればわかるはずだ。個人的な嫌がらせでなければ、天気図の基本も知らない馬鹿だ。
汚元は次の年、編集局ナンバー2の局次長になった。
その日、管内の小さな海沿いの集落で「ほぜどん」という秋祭りが行われた。京の祇園祭がはるばる伝わったもので、集落にある八坂神社から御神幸行列が練り歩くのだが、中でも十二冠女(かんめ)という晴れ着で着飾った少女たちがしずしずと歩く姿が一番絵になる。
しかし、気候の良い秋の休日にはイベントが集中する。その日も管内の各地で秋祭りが行われており、前の年「ほぜどん」を取材していたのでバランスを失しないよう、別の地区の祭りに行っていた。
「ほぜどん」は町の広報課に後で写真をもらって地方面に掲載するつもりだった。支局は手が足りないので、よくやることだ。
ところが、翌日の紙面を見て目を疑った。
頭に賽銭箱を載せて歩く可愛い少女たちが、一面ど真ん中にカラーで写っている。
「ほぜどん」だ。
気が動転した。
その管内の全責任を任されている支局長にひと言の断りもなく、こんなことはあり得ない。
写真部だろうか。
写真部は紙面のビジュアル化の至上命令を受けて、毎日一面用のカラー写真を探し求めている。しかし、支局管内にやってくるときは必ず支局長に声をかける。今回はその一言を失念したか。
写真部に電話した。気持ちを抑えて聞いた。
「あの写真はそちらですか」
違った。
犯人は汚元だった。
汚元が休日にわざわざ会社に上がってきて、自分の撮ってきた写真を載せるように整理部に売り込んだという。
何の目的があったのか、たまたま見物に行ったのか知らないが、「ほぜどん」に行ってみたら支局長の姿が見えない。
だからといって、局次長が取材したり原稿を書いたりすることはない。ましてや当の支局長には知らせず、自分の撮った写真をその日にわざわざ一面の写真に売り込むことなどあり得ない。
それを敢えてしたのだから、これほどの侮辱はない。
局全体に対して俺に恥をかかせるためだけにやったことだ。
こんな悪意を見せられてがっくりした私には対抗手段も浮かばなかった。
支局に出てみてようやく、世の中には七人の敵がいるという言葉の意味が分かった。しかも、社外ばかりでなく、社内にいるのだということを。
支局は事件事故も大事だが、日常取材の中心は行政・議会上の問題や、町の話題、選挙だ。管内は一市三町、一人で回らなければならない。夜が明けないうちから「新聞が来ていない」という苦情の電話が来るし(「申し訳ありませんが、それは販売所に連絡してください」と答える)、休日には祭りやイベントが集中するので休めない。二十四時間三百六十五日支局に縛り付けられている。
支局に赴任したとき、汚元(きたもと)は社会部長だった。支社支局は組織上、地方部に属するが、事件事故については社会部が指示する。
台風のとき、汚元が電話してくる。
枕崎台風なんて昭和20年、終戦直後だが、いまだに台風=枕崎と思っているのだ。
デスクの仕事だが、私に対してだけなのか、部長自ら電話してくる。
「そっちの様子はどうだ」
支局は高台にあって、南側に開けた海が見える。
「まだ何も。風もないし、波もありません」
すると、
「そんなはずはなか!」
と一喝だ。
「見てこい!」
と言われても、台風はまだはるか南方海上にある。そんなことは天気予報を見ればわかるはずだ。個人的な嫌がらせでなければ、天気図の基本も知らない馬鹿だ。
汚元は次の年、編集局ナンバー2の局次長になった。
その日、管内の小さな海沿いの集落で「ほぜどん」という秋祭りが行われた。京の祇園祭がはるばる伝わったもので、集落にある八坂神社から御神幸行列が練り歩くのだが、中でも十二冠女(かんめ)という晴れ着で着飾った少女たちがしずしずと歩く姿が一番絵になる。
しかし、気候の良い秋の休日にはイベントが集中する。その日も管内の各地で秋祭りが行われており、前の年「ほぜどん」を取材していたのでバランスを失しないよう、別の地区の祭りに行っていた。
「ほぜどん」は町の広報課に後で写真をもらって地方面に掲載するつもりだった。支局は手が足りないので、よくやることだ。
ところが、翌日の紙面を見て目を疑った。
頭に賽銭箱を載せて歩く可愛い少女たちが、一面ど真ん中にカラーで写っている。
「ほぜどん」だ。
気が動転した。
その管内の全責任を任されている支局長にひと言の断りもなく、こんなことはあり得ない。
写真部だろうか。
写真部は紙面のビジュアル化の至上命令を受けて、毎日一面用のカラー写真を探し求めている。しかし、支局管内にやってくるときは必ず支局長に声をかける。今回はその一言を失念したか。
写真部に電話した。気持ちを抑えて聞いた。
「あの写真はそちらですか」
違った。
犯人は汚元だった。
汚元が休日にわざわざ会社に上がってきて、自分の撮ってきた写真を載せるように整理部に売り込んだという。
何の目的があったのか、たまたま見物に行ったのか知らないが、「ほぜどん」に行ってみたら支局長の姿が見えない。
だからといって、局次長が取材したり原稿を書いたりすることはない。ましてや当の支局長には知らせず、自分の撮った写真をその日にわざわざ一面の写真に売り込むことなどあり得ない。
それを敢えてしたのだから、これほどの侮辱はない。
局全体に対して俺に恥をかかせるためだけにやったことだ。
こんな悪意を見せられてがっくりした私には対抗手段も浮かばなかった。
窃盗と暴行の犯罪者 ― 2017/08/23
だいたい汚元は、自分に甘く他人に厳しい男だ。
私は本を勝手に持ち去られた。
昭和六十二年(一九八七)、私が文化部記者のとき、初めてのパソコンが編集局にやってきた。ちょうど三十年前だ。
デモ機として自由に触ってもらおうとNECのPC―9801が編集局の一角に入れられた。デスクトップの名機だ。
一太郎もまだ走りで、今調べるとヴァージョン3だ。
私はいち早くキーボードに飛びついた。
私の書き文字は上手だと褒められるが、筆圧が強くて手首が痛くなるので閉口していたのだ。
一段落分ほども打って一発変換すると、ほとんど正確な漢字仮名交じりとなって驚いた。
誤変換率は今よりむしろ低かったような気がするが、どうだろう。
のちに社長となるゴリ(汚元の兄貴分)が隣にやってきて、「俺にもやらせろ」と言って打った。あまりうまくいかず、電源をいきなりバチッと切って去っていった。
まだコンピューターを終了させるのはソフトを終了させてからと知らなかったのだ。そんな時代である。
私は本屋で格好の本を見つけた。
JICC出版局が出した一太郎についての画期的な解説書だった。
MS―DOSから解説するという画期的な本だった。難しいことを分かりやすく面白く、そのころ類を見ない本だった。
私は首っ引きで学んだ。
ところがある日、机の本棚に大事に立てていた本がない。
愕然とし呆然とした。
すると、汚元(当時は政経部記者)がやって来て、
「あん本は借りたでね」
と有無を言わさない態度で一方的に告げた。
大変な痛手を受けた。
毎日毎日その本を頼りにパソコンを一太郎を学んでいたのだ。
大切な大切な本が奪われた。
人の机上の物を勝手に抜き取って読むだけでも罪。それを勝手に持ち帰る。
そんな男なのだ、汚元は。
それから三十年、本を返さない。30年分の損害賠償を請求したい。
それどころか、私に多大な屈辱を与え続けるなんて。
汚元は支社支局に一日四度、警察に警戒電話(警電)しろと命じた。
「事件事故は何か起こってませんか」と早朝、昼、夕方、夜の四回、当直に聞け。警察の御用聞きをやれというのだ。これでは仕事にならない。
ちゃんちゃらおかしい言い草だった。
汚元はかつて国分支局長をしていたとき、とある事件を自分に教えなかったと文句をつけて地元の警察署次長を殴った。
警官を殴るとは尋常ではない。
ところが、暴行は立件されなかったし、新聞にも載らなかった。
手打ちがあったのか。他紙にも載らなかったのだから、警察が握り潰してくれたらしい。
汚元は頭を丸坊主にし、支局から本社に戻されただけで、それ以上のお咎めはなかった。
そしていつの間にか出世している。
それなのに警察の犬になれという。
いや、それだからこそ、か。
私は本を勝手に持ち去られた。
昭和六十二年(一九八七)、私が文化部記者のとき、初めてのパソコンが編集局にやってきた。ちょうど三十年前だ。
デモ機として自由に触ってもらおうとNECのPC―9801が編集局の一角に入れられた。デスクトップの名機だ。
一太郎もまだ走りで、今調べるとヴァージョン3だ。
私はいち早くキーボードに飛びついた。
私の書き文字は上手だと褒められるが、筆圧が強くて手首が痛くなるので閉口していたのだ。
一段落分ほども打って一発変換すると、ほとんど正確な漢字仮名交じりとなって驚いた。
誤変換率は今よりむしろ低かったような気がするが、どうだろう。
のちに社長となるゴリ(汚元の兄貴分)が隣にやってきて、「俺にもやらせろ」と言って打った。あまりうまくいかず、電源をいきなりバチッと切って去っていった。
まだコンピューターを終了させるのはソフトを終了させてからと知らなかったのだ。そんな時代である。
私は本屋で格好の本を見つけた。
JICC出版局が出した一太郎についての画期的な解説書だった。
MS―DOSから解説するという画期的な本だった。難しいことを分かりやすく面白く、そのころ類を見ない本だった。
私は首っ引きで学んだ。
ところがある日、机の本棚に大事に立てていた本がない。
愕然とし呆然とした。
すると、汚元(当時は政経部記者)がやって来て、
「あん本は借りたでね」
と有無を言わさない態度で一方的に告げた。
大変な痛手を受けた。
毎日毎日その本を頼りにパソコンを一太郎を学んでいたのだ。
大切な大切な本が奪われた。
人の机上の物を勝手に抜き取って読むだけでも罪。それを勝手に持ち帰る。
そんな男なのだ、汚元は。
それから三十年、本を返さない。30年分の損害賠償を請求したい。
それどころか、私に多大な屈辱を与え続けるなんて。
汚元は支社支局に一日四度、警察に警戒電話(警電)しろと命じた。
「事件事故は何か起こってませんか」と早朝、昼、夕方、夜の四回、当直に聞け。警察の御用聞きをやれというのだ。これでは仕事にならない。
ちゃんちゃらおかしい言い草だった。
汚元はかつて国分支局長をしていたとき、とある事件を自分に教えなかったと文句をつけて地元の警察署次長を殴った。
警官を殴るとは尋常ではない。
ところが、暴行は立件されなかったし、新聞にも載らなかった。
手打ちがあったのか。他紙にも載らなかったのだから、警察が握り潰してくれたらしい。
汚元は頭を丸坊主にし、支局から本社に戻されただけで、それ以上のお咎めはなかった。
そしていつの間にか出世している。
それなのに警察の犬になれという。
いや、それだからこそ、か。

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