小説に見る「慰安婦」①2017/08/20

 私はこれまで、林芙美子の伝記一冊、林芙美子を主人公にした小説一冊、また林芙美子論を共著と雑誌に各一編発表しているので、林芙美子研究者の端くれのそのまた末席くらいにはいると思う。
 その私が、芙美子最晩年の作品で最高傑作ともいわれる『浮雲』の中に、「慰安婦」の記述があるのを今さらながらに発見した。
『浮雲』は昭和24年から雑誌連載され、没年の同26年に刊行された。つまり、近年の慰安婦論争のバイアスなど全くかかっていない、戦後すぐの第一級資料といえる。紹介する所以である。
 しかも、長編の冒頭、第一章に出てくる。簡単に読めるので、ぜひ一読をお勧めしたい。
 主人公の「ゆき子」は、昭和18年から、日本占領下の仏領インドシナ(現ベトナム・ラオス・カンボジア)のダラットでタイピストとして働いていたが、敗戦で日本に引き揚げてきた。
 満州や朝鮮からの引き揚げのような悲惨さは全くなく、ダラットで付き合っていて先に帰国した恋人のことを考えている。
 敦賀では三日間を収容所で暮らし、調べが終わると故郷に帰っていいのだ。夜更けの汽車が出るまで、ゆき子は宿で休む。
 隣の部屋から、一緒の船だった芸者たち数人の声が聞こえてくる。
 この女たちが慰安婦なのだ。
 季節は冬らしく、「寒くて心細い」と言いながら、「口ほどにもなく、案外陽気なところがあって、何がおかしいのか、くすくす笑ってばかりいる」。
「やがて女達は、お世話さまになりましたと、口々に云いながら、おかみさんの後から廊下を賑やかに通って行った。(略)ゆき子が、船で聞いたところによると、芸者達は、プノンペンの料理屋で働いていたのだそうで、二年の年期で来ていた。芸者とは云っても、軍で呼びよせた慰安婦である。――海防(ハイフォン)の収容所に集った女達には、看護婦や、タイピストや、事務員のような女もいたが、おおかたは慰安婦の群れであった。こんなにも、沢山日本の女が来ていたのかと思うほど、それぞれの都会から慰安婦が海防へ集って来た。――」
 これだけでも、いろんなことが分かる。
 芸者と慰安婦が、ほぼイコールである。つまり、水商売の女たちが年季奉公していたことが分かる。
「苦界」いわゆる奴隷状態にいた暗さはなく、「陽気」「笑ってばかり」「賑やか」と表現されている。
 そして、人数がいかに多かったか、しかも全て「日本の女」である。

 島尾敏雄の戦争ものの中にも、確かに「慰安婦」が出てくる作品があったのだが、どうしても見つからないのが残念である。