昭和35年11月の家族写真2023/04/04

昭和35年11月、桜島・古里温泉の林芙美子文学碑前で。

母と姉と。

私は2歳11カ月だ。

コメント

_ 幸廣 ― 2023/04/13 16:08

鷹師町社宅の隣に住んでいたゆきちゃんです。お母様の写真懐かしく拝見しました。とても綺麗で明るいお母様でしたね。きみちゃん、とし坊も笑顔で。いい時代でしたね。

_ toshi ― 2023/04/14 07:04

おー、コメントありがとう!
高校で再会して「とし坊」と呼ばれた時は照れ臭かったですが、その後、元気でしたか?
鷹師町、西田小時代が一番楽しかった。町っ子だったよね。漫画を描いてクラスの人気者だったし。
大明丘に家を作って引っ越してから、田舎過ぎて生活が激変、漫画を理解する者もいなくてつまらなかったー笑

_ toshi ― 2023/04/14 07:55

皆から美人だと言われて自慢の母でしたが、私が東京の大学を卒業する年、49歳で亡くなりました。
何一つ孝行も看病も恩返しもできず、今でも後悔しかありません。

_ 幸廣 ― 2023/04/18 13:33

私の母も60歳を待たずに突然死しました。何の予兆もなく、朝みそ汁を作りながら倒れてそのまま。当時の喪失感は今でもトラウマになっています。男子にとって母親は特別すぎる存在ですね。
鷹師町は良い思い出です。社宅は二軒長屋で、隣家とは壁一枚でした。夜台所の壁を「トントン」と叩くと、隣のとし坊が「トントン」と返したことも楽しい思い出です。老後は好きな街で暮らしたいと思い、数年前鷹師町近辺にマンションを見つけ愉しく住み暮らしております。

_ toshi ― 2023/04/19 06:21

とし坊って、もう50年以上呼ばれたことがないのでどうも調子が狂いますなあ。
夜、壁を叩いたなんてことがありましたかね。
鷹師町近くに住んでいるとは羨ましい。懐かしいことでしょう。線路の下や甲突川でよく遊んだものです。
私も鷹師町や、その前にいた上荒田あたりに暮らしたいものです。

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