今日のひとこと(話す力)2024/03/06

どうしても声の大きい人や、その会でいちばん偉い人、あるいは地位の高い人、あるいは私のような喋り過ぎる人間を中心に会話は進み、気がつくと、ひと言も発することなくその場を後にする人がでてきてしまいます。
~阿川佐和子『話す力』~


日本の飲み会は必ずこうなる。だから行きたくない。
じっと何時間も人の話を聞いているつらさよ。

イギリスでは違う。
スコットランドを1カ月、ホームステイしながら回ったことがある。
あちらでは多人数の飲み会でも必ず2、3人に分かれてしゃべっている。
そして時々、相手を変えて、そうやって来た人皆と話をする。
全体を仕切る人なんていないし、会の間ずっと言葉を発せずにいる人もいない。

これはいい!と思って日本でもやろうとしたが、これが許されない。
6、7人の飲み会ってよくあると思うが、その全体に向かってしゃべるのは声も張らないといけないし、気後れするので、横の人と話そうとするとそれに介入してきて分派行動を許さないのだ。
全体が一つの話題のほうを向いた集団行動じゃないといけないという思い込み(いわゆる圧)がすごい。

何のためのコミュニケーション(飲みにケーションなんて下らん言葉があるが)なんだろうね。
サラリーマンはつらい。
いや、同級生同士でも同じだ。

これだから酒は一人で飲むに限る。


でも、中には〝分かってる〟人たちもいるようだ。
『話す力』の続き。伊集院静のゴルフ仲間の話だ。
伊集院静は座談の名手だ。

「ところが、そのコンペに集まった人たちは、誰もがそばの人とのお喋りに夢中になっています。伊集院さんがなんの話を始めようとも、誰も黙ろうとはしません。大きな声で伊集院さんが面白い話をしているのに、ろくに聞いちゃいないのです。(略)年齢や地位に関係なく、自由気ままにあちこちで勝手に会話が生まれる集まりほど楽しいものはない。そのとき私は合点しました」

そう、これこれ。
これがもっと日本にも広まるといい。


ところで、『話す力』を読んでいて、これを書いた阿川佐和子自身に話す力があるとは思えないのがこの本の最大の難点だ。

例えば、阿川は「『でも』を冒頭につけて会話をすすめる悪い癖があり、気をつけているつもりなのですが、つい出てしまいます」と書いている。

実は私も、妻に何か言うと、必ず「でも…」から始まる言葉が返ってくるのに長年悩まされてきた。
否定されて面白い人はいないだろう。
阿川も「でも」を「必ずしも逆のことを言おうとして使っていない場合が多い」というが、だったら「そうだね」と肯定の言葉を使ったらどうだろう。

『話す力』の最後の章。
「『そうだね』で家庭内は平和」という見出しがついているので、よしよしと期待して読むと、なんと、こんな夫婦の会話で終わるのだ。
「なんであなたはいつもそうやって私の言うことに反論するわけ?」
「いつもじゃないよ」
「ほら、また否定した」
「いつもってわけじゃないだろう」
「だいたい、いつもです。いつもそうなんだから」
……
やれやれ。

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