「改新」という地名ないのに、なぜ改新小学校? ― 2021/05/01

鹿児島市古里町(桜島)の改新小学校跡。
27日の文学ウォークでは誰も撮っていなかったので、以前写したものです。
平成26年(2014年)に廃校になって、現在は改新交流センターになっています。
ところで、「なぜ改新小学校という名前なのか」がこの日、話題になりました。この地区に「改新」という地名はありません。
話した相手がちょうど卒業生だったので聞いてみると、なんと「分かりません」と言うではありませんか!!
調べてみると、どうやら本当に分からないようです。
しかし、事情は分かりました。
明治6年に「古里小学」という名で創立。同22年に「改新尋常小学校」になっています。
それはなぜか、ということになりますね。
同時代の周辺の小学校の名前にヒントがあります。
明治12年、湯之(東桜島)にできた学校は「啓蒙小学」、同じころ海潟(垂水)にできたのは「協和小学」。地名ではなく、理念を学校名にしています。さすがは志の高い明治というべきでしょう。
「改新」とは、「古里」が「新しく改められる」ことを願って名づけたものでしょうね。
明治22年(1889年)といえば、大日本帝国憲法発布。日本が大国へと歩んでいく、やる気と希望に満ちた時代です。
27日の文学ウォークでは誰も撮っていなかったので、以前写したものです。
平成26年(2014年)に廃校になって、現在は改新交流センターになっています。
ところで、「なぜ改新小学校という名前なのか」がこの日、話題になりました。この地区に「改新」という地名はありません。
話した相手がちょうど卒業生だったので聞いてみると、なんと「分かりません」と言うではありませんか!!
調べてみると、どうやら本当に分からないようです。
しかし、事情は分かりました。
明治6年に「古里小学」という名で創立。同22年に「改新尋常小学校」になっています。
それはなぜか、ということになりますね。
同時代の周辺の小学校の名前にヒントがあります。
明治12年、湯之(東桜島)にできた学校は「啓蒙小学」、同じころ海潟(垂水)にできたのは「協和小学」。地名ではなく、理念を学校名にしています。さすがは志の高い明治というべきでしょう。
「改新」とは、「古里」が「新しく改められる」ことを願って名づけたものでしょうね。
明治22年(1889年)といえば、大日本帝国憲法発布。日本が大国へと歩んでいく、やる気と希望に満ちた時代です。
最近のコメント