象嵌鉄刀の穴の謎が解けた2023/03/04

2/25付「可愛い魚の象嵌」の続きである。

なぜ関(まち)に目釘穴が開いているのか。

これは「鎺本孔」(はばきもとあな)というそうだ。

またまた難しい専門用語が出てきた。

再び「刀剣ワールド」によると、「鎺」(はばき)とは、刀身と鞘(さや)を固定するほか、鞘に収めた刀身が鞘と直に触れるのを防ぐ役割があるという。
https://www.touken-world.jp/search-habaki/

この、伝群馬県藤岡市西平井出土の象嵌鉄刀は「象嵌鉄刀附鞘」(ぞうがんてっとうつけたりさや)といって、鞘も一緒に出土している(2/25写真の下部)。

言われてみれば、刀身をそのまま鞘に差しても安定しないだろう。
なるほど~ 気づかないものだ。

さらにこの象嵌についてだが、九博の小嶋篤研究員の論文によると、打ち込み鏨(たがね)でまず点線を刻み、次に円弧状の鏨で線を滑らかに整形する。そこに溶けた銀を流し込んで象嵌したと考えられる。鋼素材(刀身)へ鋼工具(鏨)で溝を掘る技術は、21世紀に至っても最難関の技術だという。

また、魚と鳥の象嵌文様は「鵜飼漁」を描いたもので、大型古墳の埴輪にもよく見られるという。
したがって、現実の鵜飼の場面というより、王権儀礼としての意味を持つらしい。

『埴輪』(角川ソフィア文庫)に群馬県高崎市の保渡田八幡塚古墳の例が記されている。同じ群馬県であるのが興味深い。

「八幡塚古墳の3場面の狩猟埴輪の群像は、猪狩り(地上)・鷹狩り(空中)・鵜飼(水面下)のように、王の治める世界観の広がりと連動しています」

「鷹狩りや鵜飼もたんなる獲物を得る手段ではなく、王権を象徴するものとして埴輪に造形されました。
『記紀』には、初代天皇に位置づけられる神武天皇が東征して大和の地に入った際、『鵜飼の伴(とも)』に助力を乞う歌を詠っています。ほかにも、天津神に出雲の国津神が国を護る『国譲り神話』(古事記)にも鵜が登場するなど、鵜は王権の成立に重要な役割を果たしています」

以前、日田で鵜飼を見たときにはそんなことは想像もしなかった…。

写真は宝塚1号墳(三重県松阪市)の船形埴輪(模造)である(現在、九博の加耶展で展示中)。
船上の左側に突き立っているのが「倭装大刀」である(その右に大小の儀仗と翳=きぬがさ)。

うきは市の西ノ城古墳⑤2023/03/04

うきは市の西ノ城古墳を考える上で、同じ双方中円形をしている岡山県倉敷市の楯築(たてつき)遺跡弥生墳丘墓は重要だが、こんな朗報が飛び込んできた。

市長の英断に拍手を送りたい。

早く整備された姿を見たいものだ。