朝鮮系無文土器についてはあまり触れたくもないが、図の中にもろにわが地元が出てくるので看過はできない。
1~4と12である。
しかし、過大に評価する必要はないようだ。
公開講座では、吉野ヶ里遺跡から出た朝鮮系無文土器は破片を併せても40~50点で、国産土器の圧倒的な数に比べればごく少数である。出土は遺跡の南側に集中し、北側ではあまり出ていないということだった。
南に行くほど身分の低い人たちが住んでいたので、そういう理由でしょう。
しかし、弥生時代にそんなに渡来人が来たものだろうか。
4世紀(古墳時代)なら、倭は朝鮮に何度も出兵しているので亡命も多かっただろうが。
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