南北九州の交流(塞ノ神式土器②)2023/05/15

鹿児島市のふるさと考古歴史館を久しぶりに訪ねて驚いた。

こんなに展示が充実しているとは。

リニューアルしたのか、それともこちらの知識が増して面白く感じられるようになったのか。

おそらく両方だろうが、やはり佐賀市の東名縄文館を訪ねていたおかげで、同じ塞ノ神式土器に出会ったりするとより一層興味深いのだ。

ところで、塞ノ神(せのかん)遺跡は伊佐郡菱刈町田中(現在は伊佐市)にある。

発掘調査は行われておらず、縄文土器や弥生土器、多種の石器が表面採集された。
塞ノ神式土器は多くの研究者によって論じられてきたが,1972年河口貞徳氏によってA(a,b)式からB(c,d)式に4細分され、南九州を代表する縄文時代早期の一型式となったという。

菱刈町なら大河・川内川が流れているので、縄文時代の丸木舟でも東シナ海に出るのは容易だろう。、
それから有明海を沿岸や島伝いに北上すれば、佐賀の東名まで行くのはさほど難しくはなさそうだ。

塞ノ神式土器は今や九州一円はおろか中国,四国地方からも発見され、広範な分布が分かっている。

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