原田大六の師、中山平次郎2023/06/12

昨日は青山繁晴議員の独立講演会で福岡市に出たので、その前に福岡城内の鴻臚館跡展示館に寄った。

すると思いがけず、原田大六が師事した中山平次郎の記述に遭遇した。

中山こそがそれまでの定説を覆して、鴻臚館は福岡城内にあったと唱えた人だったのだ。
そしてその通りに見つかった。

原田大六も凄いが、その師も凄かった。

鴻臚館の前身、筑紫館2023/06/12



この説明によると、白村江の戦の後まもなく、この地に「筑紫館(つくしのむろつみ)」が造られたという。
そうなると大宰府や水城、大野城・基い城と同じく、防衛施設の性格が強かったと考えられる。大宰府よりも最前線だからなおさらだ。

ところが、20年後の688年には、にっくき相手のはずの新羅の使者をもてなしたという。
日本書紀を確かめると、それ以前から筑紫でもてなしたという記事を散見する。
どうもこのあたりは勉強し直す必要がありそうだ。

筑紫館があった場所