皇極天皇の母孝行 ― 2025/01/15
今、日本書紀を読み進めているのだが、皇極2年(643)9月11日、皇極天皇(女帝)の母、吉備姫王が亡くなったところ。
天皇は母が病に伏せた時から、亡くなるまで側を離れず、看病を怠ることがなかったという。
母が亡くなるまで看病ひとつできなかった私は激しく打たれた。
吉備姫王墓に行ってみたいと検索してみると、たたずまいに記憶がある。
2023年10月9日、飛鳥ガイドの〝たまご〟の案内で訪れていたのだった。
なぜここに猿石があるのかははっきりしていないようだが、いろいろな石造物をつくったことで有名な斉明天皇(皇極の重祚)が、母の墓にお気に入りの石像を置いたとしても、ごく自然なことだと思える。
天皇は母が病に伏せた時から、亡くなるまで側を離れず、看病を怠ることがなかったという。
母が亡くなるまで看病ひとつできなかった私は激しく打たれた。
吉備姫王墓に行ってみたいと検索してみると、たたずまいに記憶がある。
2023年10月9日、飛鳥ガイドの〝たまご〟の案内で訪れていたのだった。
飛鳥の吉備姫王墓。猿石で有名。 pic.twitter.com/HwBLVz8WEa
— コラムニスト-1.0 としどん (@tossiee) January 14, 2025
なぜここに猿石があるのかははっきりしていないようだが、いろいろな石造物をつくったことで有名な斉明天皇(皇極の重祚)が、母の墓にお気に入りの石像を置いたとしても、ごく自然なことだと思える。
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