藤田嗣治「アッツ島玉砕」2025/12/16

林芙美子が藤田嗣治の「アッツ島玉砕」を見たという記録はないが、私は小説『「花のいのち」殺人事件』(2011年、海鳥社)の中で、次のような一場面をもうけた。


 芙美子は十八年五月、帰国した。
 九月には陸軍美術協会主催の国民総力決戦美術展があり、藤田嗣治が大作を出品するというので東京府美術館に見に行った。
 芙美子は息を呑んだ。
「アッツ島玉砕」という作品だった。
 縦二メートルほど、横二メートル半ほどの暗い画面いっぱいに、死闘を繰り広げ、あるいは既に絶命した兵士たちが重なり合っている地獄絵図だった。アッツ島は北太平洋アリューシャン列島にある。ここの守備隊の全滅は芙美子の帰国直後のことだった。その玉砕は賞揚され、それを指揮した大佐は軍神とあがめられた。しかし、この絵は何の賛美もなく、ただ戦争の凄惨な実相を描いている。こんなものをよくぞ陸軍に提出したものだと舌を巻いた。しかも、藤田は現場に行っていないし、まして玉砕の場面など見ていない。想像だけでこれだけのものを描くとは。これこそ芙美子がやろうとしてできなかったものではなかったか。
 会場にいる藤田を捜して、話しかけた。
「『アッツ島玉砕』すごいです」
 藤田は、もちろん、という風にうなずいて、
「先月、スーチンが死んだんだ」
(以下、略)

日独ともに不遇な戦争画2025/12/12

戦後、戦争画(作戦記録画)の多くは1951年にアメリカが持ち去った。
70年に153点が無期限貸与という形で返却されて東京国立近代美術館に収蔵されている。

宮下規久朗『戦争の美術史』によると、作品の扱いは日本に任されており、77年に50点程度まとめて公開する予定だったが、急遽中止。
77年以降、常設展示の一部として少しずつ展示し、他館への貸し出しにも応じているが、「近隣諸国への配慮」などからいまだに一堂に公開されたことはないという状況なのだ。

実は日本だけではない。
同書によると、ドイツの「もっとも扇動的な」戦争画450点はいまだにワシントンの膨大な陸軍美術コレクションの中にあって、公開も複製もされていない。
また、それ以外の戦争画1600点は1951年に西ドイツに返還され、さらに86年には7000点が返還された。しかし、いまだに全体調査がなされたこともないという。

ドイツの戦争画の「質」は知らない。
しかし、日本の戦争画の「質」が高いのは間違いない。

宮下氏は日本の戦争画について「日本美術史上きわめて重要な意義を持っている」とする。
「日本近代において後にも先にも見られないほど質の高い作品が多く生まれ、特にその画家の頂点を示すものが多いこと」とまで評価しているのだ。

戦争の記録としてだけでなく、日本の美術史上稀な作品の数々を一堂に見たいと思わないか⁉

戦争画はルネッサンスだった2025/12/06

まず、2020年11月11日の記事を再掲したいと思います。


一番好きな画家は藤田嗣治。
いつの時代もいいが、中でも戦争画(戦争記録画)に最も関心がある。
それについて8日(日)、福岡市美術館で同館学芸係長山口洋三さんの話と、RKBが1981年に制作したドキュメンタリー「絵描きと戦争」の上映があった。
戦争画なんて時代の徒花(あだばな)として見向きもされず研究もあまり進んでいないが、驚いたのはドキュメンタリーの中で一人の画家と一人の評論家が口をそろえて「戦争画はルネッサンスだった」と言ったことだ。
言葉は正確には覚えていないが、日本の油絵はずっと西洋の模倣、影響下にあったが、戦争画によって初めて本物のリアリズムになったという趣旨だったと思う。
言われてみればあり得ないことではない。
戦争画は一般に思われているようにプロパガンダではなかった。
学芸係長が語っていたが「日本が負けているシーンもけっこう描いている。事実を誇張している絵は意外とない。むしろ戦争の悲惨さを訴えているようにも見える」。
日本の画家たちが初めて時代と真剣に向き合って腕を磨いた結果、西洋の物真似から初めて脱し、敗戦後、日本の絵画が花開いたと考えてもおかしくない。目から鱗だった。

8日は講演と上映会で3時間余りあったので、10日再び福岡市美術館を訪れて常設展示まで見てきた。
すると関連企画として「藤田嗣治と関わった画家たち」という展示があった。面白かったのは鹿児島出身の二大巨匠の対照的な関わり方だ。
黒田清輝は美術学校で藤田を教えたが、授業で藤田の絵を悪い例として取り上げた。その後、藤田はパリに行ったが、そこでの絵画に衝撃を受け、黒田指定の絵具箱をたたきつけて壊したという。
一方、海老原喜之助は藤田と生涯にわたって交友があり、藤田の臨終をみとって、葬儀では君代夫人に代わって謝辞を述べたという。
ところで、藤田嗣治もまた林芙美子と接点がある。日中戦争の武漢攻略戦の際、従軍作家と従軍画家として出会っている。そのとき藤田が芙美子を描いた絵も残っている。詳しくは拙著で。
(以上、再掲)

このときから5年。
いま大学で学芸員資格を取ろうと勉強中だが、その中で再び戦争画への関心がよみがえってきた。
調べてみると、戦争画を取り巻く状況は変わっていない。

戦後80年の今年も、東京国立近代美術館が所蔵する戦争画(作戦記録画)153点の一括公開はならなかった。
10月下旬まで開催した企画展で展示したのはわずか24点。これでも過去最多という。
しかもチラシも図録もなく、ひっそりと開かれた。
なぜそんなことに?
日本は戦争に関するタブーが多すぎる。
残念でならない。

一方で、戦争画についての新しい本は出ている。読んで勉強し直したい。
晴れて学芸員となったら、戦争画に関する企画をやりたいものだ。

縄文土器に双脚輪状文のルーツを見た2025/03/13

縄文土器の文様は実に興味深いが、装飾古墳の意匠の中でも最も謎であり可愛くもある双脚輪状文に通じるものを見かけた。
(釈迦堂遺跡博物館のXから)
何だろう?
博物館では「イカ」というあだ名が付いているらしいが…

直弧文について②2025/02/14

以前、直弧文について書いたことがあった。

https://restart.asablo.jp/blog/2023/05/16/

現在絶賛開催中の九博はにわ展で、靫の埴輪に描かれてる直弧文を見て驚いた。

直弧文は石棺や石障に彫られたものしか知らなかったからだ。
しかも見事!
(現物は撮影不可なので図録から)

5世紀の靫や盾の埴輪に直弧文。
6世紀になると、埴輪に直弧文は描かれなくなったようだ。

今日のひとこと(日本の漫画)2024/08/11

日本で漫画が発展したのは、何だかんだいって日本人がオリジナリティーを求めるからだと思います。先輩の漫画家に憧れても同じようなものは描かない。次から次に変容し、新しい表現が生まれる。だから世界の読者の期待にも応えられる。(略)
よく「世界の若者は日本よりもハングリーだ」なんていわれますよね。でも実際は日本の若者が一番ハングリーで頑張っています。たとえお金を稼げなくても、自分が描きたいものを描きたい―という気持ちは日本の若者が一番強いと感じます。
~里中満智子さん、本日付産経新聞「昭和100年」特集で~


古代史をやっていると、何でもかんでもすぐれた技術や文化は大陸や朝鮮から伝わってきたのだと学者さんたちは当たり前のようにのたまう。

本当にそうなのか。
たとえ、きっかけはそうだったとしても、創意工夫して元より絶対いいものにしてみせるのが日本人なのだ。

またまた見学OKの装飾古墳へ2024/02/03

自由に見られる装飾古墳、ということで久留米市草野町の前畑古墳に行ってきた。

草野歴史資料館に車を停めて道を尋ねると、職員の男性が親切にも古墳近くまで案内してくれた

のだが…またポカをやってしまった。
どうも装飾古墳とは相性が悪いみたいな…

それにしても「自由に見られる」と言っても、古墳はもろに民家の軒先だった。
挨拶もしないのは気が引けたね。