島尾敏雄について2017/08/21

前回の最後が島尾敏雄で終わったので、ついでに少し彼について書きたい。

島尾敏雄は昭和61年11月に鹿児島市で亡くなっている。
私が南日本新聞で文芸担当をしていたのは63年4月から平成2年3月の間なので会っていない。

もちろん鹿児島にとって重要な作家なので、自前で晶文社の全集を購入して読んだ。
文章のうまさ、みずみずしさに感嘆した記憶がある。

ただ、そのころも文芸評論では盛んに取り上げられる作家であるに関わらず、一般的な人気はなかった。文庫本にもほとんどなっていなかった。

評論での評価と、世間での人気がかけ離れた作家だと感じていた。しかし、評価は高いのだから、ある意味、幸福な作家だという気がした。

その後、平成12年4月から2年間、新聞社の大島支社(名瀬市、現在の奄美市)に転勤した。

新聞社OBのM氏が島尾敏雄の生前から夫妻とだいぶ親しくしていたらしく、当時名瀬市に暮らしていたミホさん宅に連れて行ってくれた。

ミホさんは夫の死後ずっと喪服で暮らしているという噂だったが、確かそのときも黒っぽい服だったように記憶する。文鳥だったと思うが、飛び回る鳥を「ナントカちゃん」と呼んで可愛がっていた。

好意的で、私に「昔の吉行淳之介に似ている」と言ってくれたのを覚えている。

2年目に名瀬市で島尾敏雄シンポジウムが開かれた。
もちろん取材に行ったが、数人のパネリストの1人が「私は島尾敏雄を一作も読んだことがない」と自己紹介したので、あきれた。
そこで文化面に「パネリストが一作も読んでいないというシンポジウムには、島尾敏雄が現在日本文学で置かれている状況、つまり忘れ去られつつあるという事実が如実に表れている」というような一節を書いた。
すると、しばらくして、その主催者が個人で発行している雑誌に、私の記事を批判していることを知った。

しかし、何と言おうが、一つも作品を読んでいない人間がその作家を語れるのか疑問を持たないほうがおかしい。

昔、「エセ文化人」という言葉があったが、文化部の先輩に小説や映画になんでもケチをつける人がいて、最後に「ぼくはそれは読んでいない(見ていない)けどな」と付け加える人がいた。朝日新聞かなんかの評を受け売りしているだけなのだ。それを聞くたびに「エセ文化人め!」と思っていた。

それ以来、奄美における島尾敏雄の持ち上げ方が、虚飾に満ちたものに思われて、島尾文学自体への興味もすっかり失った。

最近読むものが無くなってしまったので、気まぐれで、本棚にあったナント平成元年発行の「新潮」臨時増刊「この一冊でわかる昭和の文学」を読み始めた。

その中の対談で、勝又浩という評論家が、島尾敏雄は「兵隊にとられた太宰治だ」と言っていて、炯眼だと思った。

「太宰が兵隊に行ったらどうなったかと想像すると、島尾さんになるんだな。そして兵隊に行った不幸が小説の強みになっている。馬鹿にしていた俗物がいかに怖いかって鍛えられたのが島尾さん。つまり、俗物嫌悪が屈折していて、それが幻想をふくらませ、夢の形になる」

文章は美しいが、どこがいいのか非常に分かりにくい島尾文学がぐんと理解できた気がした。私は太宰が嫌いなので、島尾敏雄に感じる違和感もそこなのだと合点がいったのだ。
文芸評論家も侮れないものである。

もう一度、餃子楼のカツ丼が食べたい2017/08/21

ああ、もう一度、餃子楼のカツ丼が食べたい!

オヤジは出前専門。料理は大人しそうな奥さんが黙々と作る。
上はいつもメリヤスの肌着。下は作業ズボンだったか……。
大きな岡持ちをがしっと握って、自転車を片手で操縦する。
カツ丼は出前で運ばれる間に味が沁みて旨くなるという。
まさにこのこと。食べるといつも幸せな気分になった。あんな旨いカツ丼にはその後巡り会わない。日本一の味だった。だみ声で「ゴーゴー」(五百五十円のこと)と代金を請求し、食券を無造作にポケットに突っ込んでいた。
※働いていた新聞社から食券が支給されていた(半額は自己負担)。

編集の人間は出前で食べるが、昼に覗いたことが何度かある。
すると狭い店内は会社の営業の連中でびっしり! 皆、ここで外回りのエネルギーを注入していたのだ。営業にはカツ丼がよく似合う。

出前といえば、ラーメンと定食のKも忘れられない。
こちらはあまりおいしいメニューがなく(カツラーメンは秀逸だった)、餃子楼が十往復する間に一回程度しか出動はなかったが、オヤジのキャラは引けを取らない。
上はやはり下着のランニング姿で、さらに頭には鉢巻きを締め、同じく自転車の片手乗りだ。「へい、おまち!」と吃驚するような大声で登場する。

驚くほどいつも出前が遅いグリルMのカツスパ、コロンボのハンバーグ弁当、ひょうたん寿司(ここはがらりと業態を変え、昼はちゃんぽん屋、夜は居酒屋で頑張っている)……そして、一階のエリートいけだの鉄板焼き定食、地階の南国ラーメンは飲んだ翌日に食べると決めている人も多かった、コーヒー志門の話好きの女の子はどうしているだろう……。

どうして、あの愛すべき空間がなくなってしまったのだ。
ああいうものを愛せない人たちが、無味乾燥で殺風景な埋立地への引っ越しを望んだに違いない。