対ソ警戒の皇道派はどうして敗れたか2017/09/28

蕪村句集(角川ソフィア文庫)を読む。

共産主義がなかった時代の本を読むと、ほっとする。

時代小説が読まれているのも、実はそれが理由じゃないか。
共産主義がいかに世界を歪めたか。
イデオロギーなんて大嫌いだ。

昨日、江崎道朗著『コミンテルンの謀略と日本の敗戦』(PHP新書)を途中まで読んだ。

内容は繰り返しが多く、やや期待外れだったが、以前から関心のあった、日本陸軍の皇道派と統制派に触れたところは収穫があった。

第三章「日本の軍部に対するコミンテルンの浸透工作」中の一項、「皇道派という『対ソ警戒派』の没落」である。

昭和の初め、皇道派の小畑敏四郎が主張したのは、対ソ防衛を主として中国とは提携を目指す戦略だった。

これに対し、統制派の永田鉄山は、中国を武力で叩いて資源を確保し、国内では統制経済を徹底させるというもの。
統制経済とは実質的に社会主義経済であり、コミンテルンの影があるという。

そして、両派の対立が始まるのは、日本共産党による日本軍浸透工作が活発化した1932(昭和7)年頃から。

前年に満州事変が勃発し、危機感を抱いたソ連は日本に平和攻勢を仕掛けた。
日ソ不可侵条約を提案してきたのだ。

だが、皇道派の荒木貞夫陸相はこれを一蹴する。
①ソ連の東漸政策は三百年来の国策で、決して変わらない。
②日ソ不可侵条約が成立すれば、軍の一部は北支に矛先を向ける恐れがある。
③海軍が南進政策を押し出してくる。
④スターリンは武力は最後の決定打とし、なるべく武力を使わず敵を内部崩壊させようとする。
――というもので、恐るべき炯眼である。

ところが、1936年、2・26事件は皇道派の荒木や真崎甚三郎が扇動したとして、乱後、軍から排除されてしまう。
扇動説に対しては「皇道派の青年将校たちに期待はされていただろうが、扇動したということはないのではないか」と疑問が呈されている。

ともあれ、ソ連に対する警戒心が強い皇道派が排除され、陸軍の主導権は新統制派に握られる。

そして、近衛文麿内閣の中枢にあってソ連・コミンテルンのスパイだった尾崎秀実らは、朝日新聞などと連携して「主敵は英米だ」と主張し、日本の長期戦略を北進(ソ連との対決)ではなく、南進(英米との対決)へと誘導した。

日本はまんまと第二次大戦に追い込まれた。

共産主義者の謀略は今も終わっていない。
だから、決して共産主義者を許してはならないのだ。

自民大勝の目が出てきた!2017/09/28

一昨日、26日朝の段階では、総選挙の見通しにかなり危機感を持っていた。

私はフェイスブックでコメントした。
「国難に対して国民は一致団結しなくてはならないのに、fb見てると自民党が負けそうな気がしてくる。まずいよ。今、世界と渡り合えるのは安倍総理しかいないのに。日本が滅んでいいのか??」

ところが本日、民進党代表の前原氏が、何を思ったのか、とんでもない敵失をしてくれた。
一気に自民党に流れが変わった(私の感覚では)。

前原代表は、衆院選に民進党から候補者を一人も出さないという!
かと言って、希望の党と一緒になるわけではない。

立候補したい人は、民進党を離党して希望の党に公認申請し、認められたら公認候補として出るというのだ!

こんな話聞いたことがない。

民進党を解党せずに残す理由として、参院議員や地方議員、地方組織、党員・サポーターがいるからだ、というのだが、いかにも奇妙だ。

希望の党の小池氏側は、申請してきた民進党議員に対し、安全保障や憲法改正などに関する党の政策を受け入れるか見極めて公認の可否を判断するという。

しかし、民進党はこれまで、安全保障関連法の廃止を求めてきた。
そのときの政調会長であり、希望の党に移った細野豪志氏は本日、「安保法制の白紙撤回を言っている人の公認は厳しい」と臆面もなく述べたらしい。

ただ、どれだけ厳密に改憲・安保法制を踏み絵にするかは、前原氏も小池氏も言葉を濁しており、今後さらなる混乱が予想される。

いずれにしろ、安倍首相にとっては最大の敵、民進党が選挙前に消えたのだ。こんなやりやすいことはない。
前原氏は偉大だ。安倍さんへのアシスト、最大の功労者だ。
希望の党はしょせん当選目当てのやすっぽい政治家ばかりだから、有権者も今度はさすがに騙されないだろう。

バンザイ!自民党勝利。国難突破だ。