大宰府の前身2022/06/07

いや~、庵野秀明セレクション「ウルトラマン」4K特別上映、つまらんかった~(笑) わざわざ博多駅まで行ったのにー(いつもは筑紫野イオン)

いや、まあ、見たい人は見ればいいし、そうでない人は見なくていい、という映画。
4話のうち「怪獣殿下(前篇)」に出てきた怪獣好きな少年は、まるで自分を見るようで(年もあの頃の私と同じ小4くらい)少しじーんと来たよ。

あとはとにかく馬鹿馬鹿しい。
まあ時代が時代だからしょうがないよね。

Tジョイ博多から南に歩いて、比恵遺跡・那津官家に行った。
写真を拡大して説明を読んでね~
案内板以外、何もないところです。

また、この近くに比恵環溝住居遺跡というのがあって、小さな公園みたいに見られるようになっているのだけれど、カラスの縄張りになっているらしくあまりに鳴き声が凄まじいので早々に退散した。

鹿児島市に戦争博物館を2022/06/08


旧鹿児島県立博物館考古資料館。
鹿児島市城山町にある(照國神社至近)。
明治16年(1883年)建築。県内では尚古集成館(鹿児島市吉野町)に次いで古い。石造。

私が子供の頃は県立博物館だった(昭和28年~同55年)。
昭和56年から県立博物館考古資料館となるが、平成14年に閉館し、そのままになっている。

現在、保存活用が検討されているようだが、西南戦争から太平洋戦争までの戦争博物館にしてはどうだろうか。

西南戦争については熊本の激戦地田原坂に立派な資料館があるが、肝心の鹿児島には何一つない。

日清・日露戦争では鹿児島出身の大山巌や東郷平八郎が大活躍している。

また、太平洋戦争の真珠湾攻撃では、鹿児島湾(錦江湾)が飛行機の突入訓練に使われたのは有名な話だ。

特攻隊は鹿児島の知覧、万世、鹿屋から飛び立った。
沖縄戦の司令官は鹿児島出身の牛島満大将。
最後の陸軍大将である(最初の陸軍大将は西郷隆盛)。

これまでなら戦争嫌いの連中から「けっ」と言われただろうが、ロシア・ウクライナ戦争で国防意識の高まっている時である。
今でしょ。

鹿児島県立戦争博物館を!2022/06/09

鹿児島県の「知事へのたより」と、所管の文化財課に次の提案を送った。

旧考古資料館の保存活用として「戦争博物館」を提案します

前略
閉館中の旧鹿児島県立博物館考古資料館について現在、保存活用が検討されているようです。
今週それを知り、公開されている保存活用計画にざっと目を通しましたが、整備内容等の検討は令和8年度以降ということで、まだ間に合うのではないかと取り急ぎ提言いたします。

それは薩英戦争(1863年)から太平洋戦争に至る、近現代80年余りの「県立戦争博物館」にしてはどうだろうかということです。
まず第一に、類似の施設がありません。個別には知覧特攻平和会館等いくつかありますが、鹿児島が関わってきた幾多の戦争、その全体をテーマとする施設はありません。
今、ダークツーリズムといって、歴史上の「負の遺産」も積極的に見ようという動きがあります。また、進行中のウクライナ戦争によって国民全体の戦争への関心が高まっていることは言うまでもありません。

西南戦争については熊本の激戦地田原坂に立派な資料館がありますが、肝心の鹿児島には何一つありません。
西郷軍終焉の地、鹿児島市城山町にある本館はまことにふさわしいのではないでしょうか。

日清戦争では大山巌が陸軍の司令官。連合艦隊初代司令長官の伊東祐亨も薩摩出身です。
日露戦争では大山巌が引き続き陸軍を指揮し、そして海軍は何と言っても東郷平八郎です。日本海海戦でバルチック艦隊を破って世界を驚かせました。
姶良市にある日露戦争の凱旋門は国の登録有形文化財で、全国で二つしか残っていないうちの一つです。静岡県浜松市の凱旋門はレンガ造りで、姶良市のものは現存する唯一の石造凱旋門といわれています。

太平洋戦争の真珠湾攻撃では、鹿児島湾(錦江湾)が飛行機の突入訓練に使われたのは有名な話です。

特攻隊は鹿児島の知覧、万世、鹿屋、串良から飛び立ちました。戦艦大和の慰霊も毎年、枕崎や徳之島で行われています。

鹿児島市加治屋町の甲突河畔に、「沖縄軍司令官 牛島満大将生い立ちの碑」が建っています。
沖縄戦で自決した最後の陸軍大将で、最初の陸軍大将である西郷隆盛を崇拝し、「今西郷」と呼ばれていたそうです。

鹿児島大空襲は昭和20年に計8回、死者3,329人、負傷者4,633人の被害を出しました。鹿児島女子興業の「教務日誌」に空襲の様子が書かれていたと昨年話題になりましたが、調査結果が待たれます。
以上、ざっと挙げただけでもこれだけの後世に伝えるべき史実があります。ぜひ戦争博物館の開設を検討下さるようお願いいたします。

鹿児島県立戦争博物館を!(続き)2022/06/10

今春、北九州市小倉北区に戦争をテーマにした「平和のまちミュージアム」が開館した。
これは大いに参考になるだろう。

https://www.kitakyushu-peacemuseum.jp/index.php

私も近く行ってみるつもりだ。

また、今春から高校の必修科目「歴史総合」がスタートした。
これまで別々だった世界史Aと日本史Aを融合させて、近現代史を学ぼうというものだ。

なぜか始まってみての評判を聞かないが、近現代史といえば戦争は切り離せない。どころかメーンテーマと言っていい。
どう教えているのか、非常に興味深いところだ。

この点からも戦争博物館で学校の授業を補完する意味は大きい。

林芙美子忌に思う2022/06/16


林芙美子門司生誕説を初めて唱えたのは、門司で外科医院を開業していた井上貞邦だ。
昭和47―48年に「北九州医報」に発表した。
芙美子が亡くなった昭和26年から21年もたってからのことだ。

林芙美子の実父宮田麻太郎の店で働いていた横内種助の娘佳子は、芙美子の幼なじみである。
昭和4年の芙美子の門司での講演会をきっかけに、佳子と芙美子の交流は復活し、以来、折を見てはかなり頻繁に会うようになった。
(『現代日本文学アルバム 林芙美子』の足立巻一の論考に詳しい)

佳子は井上貞邦の養母で、井上自身も何度も芙美子に会い、写真も残っている。

私の疑問は、なぜ、井上は生前の芙美子に門司生まれかどうかを確認しなかったのか、ということだ。
なぜ、没後21年もたってから発表したのか。

井上が昭和4年に初めて芙美子に会ったとき、門司中学四年生だったというから15歳だろうか。
翌昭和5年に出た『放浪記』を読むと下関生まれと書いてあるので、祖父の横内種助に確認すると、「下関はその後よ。生まれたのは小森江じゃがいの」と言われたのが、門司・小森江出生説の根拠である。
と言っても横内種助が芙美子の出生を身近に見聞したのではなく、宮田麻太郎に後から聞いた話だという。

林芙美子が亡くなった時点で、井上貞邦は37歳ほどである。
その間、じゅうぶん自分の疑問を解く時間があったのに、それをしなかったのが不可解である。

芙美子の母キクにいたっては昭和29年まで生きていた。
芙美子の出生地を100%知っているのは、母親のキクである。
面識のあるキクに聞く機会もいくらもあったはずである。

そして昭和48年に突如として出てきた、この門司生誕説を同52年刊行の林芙美子全集(文泉堂)が無批判に採用してしまった。

編集と年譜を担当したのは今川英子(現・北九州市立文学館館長)。
当時、私立女子校の国語教諭だった。
日本女子大学大学院のゼミの担当教官だった吉田精一から頼まれた(丸投げされた?)もので、特に林芙美子を研究していたわけではない。

下関説と門司説との両論併記ならまだしも、門司生まれと断定してしまったのはいかにも愚かだったと言わざるを得ない。研究者として失格である。

このあと全集は出ていない。
林芙美子の最後の全集の年譜に門司生まれだと記載されてしまった影響は計り知れない。

今川さんも今さら門司説を訂正するのは勇気がいるだろうが、ぜひとも何らかの方法で訂正してもらいたいと願うばかりである。

「危機の宰相」たり得るか2022/06/26

岸田総理は2月14日にロシアがウクライナに侵攻するとすぐ「侵略」だと断じてロシアを非難し、ウクライナへの支持を表明した。

このロシアに対する毅然とした強気の姿勢には、いい意味で驚いた。

この素早く明確な意思表明は、岸田さん以外にも可能だっただろうか。
そうは思わない。

日本の首相は国際問題で、世界に先駆けて態度を表明することなど今までなかったのだ。

保守層に今でも人気の高い安倍元総理でも、こうはいかなかっただろう。
何しろ安倍さんはロシアのプーチン大統領と22回も首脳会談をやって、けっきょく手のひらの上で転がされただけだった。
また、2020年春に中国の習近平国家主席を国賓として招こうとしたように、党内の親中派に配慮するなど脇が甘いところがある。

その点、今回、フランスの外交シンクタンクの研究員は「日本の変化に驚いた」という(一昨日24日付産経新聞)。

迅速にロシアへの制裁を決め、ウクライナには自衛隊の装備品を送った。
また、首相は防衛費の「相当な増額」を表明。
選挙中にもかかわらずNATOの首脳会議に出席するという。

※そして速報だが、NATO首脳会議に同じく参加する韓国大統領と会談はしない、略式会談(立ち話)もやらないという。
これは徴用工訴訟や慰安婦問題などで韓国側が具体的な解決策を示していないからで、日本の尊厳と国益を護る会(青山繫晴代表)の申し入れに対しても力強く約束していた通りだ。素晴らしい。

実はこの未曾有の危機の時代に、岸田首相でよかったのかもしれない。

あとは憲法改正で自衛隊を明記し、原発再稼働を強力に推進してくれれば言うことはない。
やってくれると信じている。

〇〇新聞をぶっこわーす!2022/06/30

NHK党党首の立花孝志氏の政見放送を見て、この人は偉いなと思った。

私もかつて勤めていた地方新聞社の問題の数々、社屋移転に伴う不正疑惑や私自身が受けたパワハラの数々をこのブログに詳しく書いてきた。

また、『取材ノートのマンモス』という小説にして、『現代鹿児島小説大系』(ジャプラン刊)第2巻に発表した。

しかし、反響は皆無に近い。

まあ、NHKが巨大組織だから面白いんだけどね。
地方の新聞社じゃあね…

立花氏のNHKに対する恨み(ルサンチマン)は相当に深いのだろう。
氏は20年NHKに勤めたという(私は26年)。

その恨みの晴らし方が鮮やかである。
「NHKをぶっこわーす!」
かつて小泉首相が「自民党をぶっ壊す」をキャッチフレーズに選挙を戦ったのをヒントにしたのは明らかだが、やはり秀逸だ。

私はこんなに明るく、破壊的にはできない。
ある意味、天才的である。

政見放送で立花党首は参院選の1票で250円、2票で500円の政党助成金がNHK党に入るという。
NHK党は個人・企業からの寄付を受け取っていない。
250円カンパするつもりで投票してほしいという。

それ以前に2%の得票を取らないとNHK党は消滅する。
変な候補者も多いが、対中国の姿勢などいいところもあるから250円くらいカンパしてやるか、となるよ。
うまいね。2票は入れないけど。

【注意!】
立花党首ゲキ推しのガーシーの正体が分かりました。
NHK党に入れてはいけません。
今回の選挙は後からいろいろ出てくるので、期日前投票するにしてもギリギリ前日まで待って!