九博ボランティア終了しました!2025/03/31

太宰府市の九州国立博物館展示解説ボランティアを昨日30日をもって終えました。

無事、3年間の任期を務めることができました。

コロナ禍でスタートが2年も遅れましたので、それを含めると5年でしょうか。怪我の功名で、待機している間に他の博物館や遺跡・古墳を巡り、講演会を聞いたり本を読んだりとかなり勉強した。

4階の文化交流展示室を来館者の求めに応じて案内する(こちらから口出しすることはない)のが役目。
私は金曜日午前の担当で、つまり1週間に半日だけだが、生活のいい区切りになった。

九博4階は大きな展示室と、その周りの11の小部屋から成る。
旧石器時代~幕末の流れを追う大部屋は、一見、常設展示のようで展示品は毎週ちょこちょこ代わるし、小部屋は特集展示で部屋ごとがらりと変わる。

だから毎回いろんな物を見られるのもいいし、同じものでも何度も見ているうちに新たな発見があったりする。これが滅多に来ない来館者と違うメリットかなと思う。
そして3階で特別展やってるときはボランティアの合間に見られる。これも毎週だ♪

写真は昨年9月13日、台湾の高雄市立林園高中の人たちが来たときのものだ。

この団体は予約ではなく、当日の依頼だった。
金曜午前は5人いて(毎回来るのは4人)、こういう大勢の場合は分けて案内するのだが、このときは日本語ができるのが旅行社のガイド1人だったので私1人で対応することになった。

どうなることかと思ったが、台湾の生徒たちは行儀よく聞いてくれた(理解したかどうかはともかく)。

通常、案内した人と記念写真を撮ったりしないから、3年間でたった1枚の貴重なものになった。

任期3年の後、1年ずつ3年まで更新できるのだが、私は大学の通信であらためて歴史を学ぶことにした。
併せて学芸員の資格も取りたい。
年齢的に人生最後のチャレンジとなる。

今日のひとこと(「ぬ」が思い出せない)2025/02/08

今まで一番ハイペースでやったのは、1日で200ページです。キーボードを打つのも私は相当速いんですよ。
だけどこの間、たまたまペンで書く必要に迫られたんですが、全然スピードが出せないし、漢字が書けないので愕然としました。おまけに、ひらがなの「ぬ」が思い出せないんですよ。これはショックでしたね。
~森永卓郎さん(67)、産経新聞7日付「話の肖像画」⑦~


今、産経新聞で、亡くなった森永卓郎さんのインタビューを連載している。その中の一節。

森永さんは私と全く同い年だ。

だから、ひらがなの「ぬ」が思い出せないというのも他人事ではない。

私は今春から通信制大学に編入して歴史を学ぶ予定だ。
併せて学芸員資格課程も取るつもりなので、4年計画で行こうと考えている。

頭の衰えと、卒業するのと、追いかけっこだ。

今日のひとこと(学芸員資格)2025/01/03

ロックシンガーの相川七瀬さんと、元宝塚歌劇団トップ娘役の美園さくらさんとの対談から(産経新聞)。

ともに高校を中退して芸能人になったが、今では大学を卒業し、さらには大学院で学んでいるという。
その対談の中の、学芸員資格に関する部分を抜き出す。

実は私も今年は学芸員資格を目ざそうと思っている。
だが、なかなか簡単ではないようだ…。


美園 あと大学院では外国人との共同研究もあって、学会での発表のために合宿したりして、人脈がすごく広がりました。今は学芸員の資格取得の勉強もしています。それこそこれから、民俗学の単位も取らなくてはいけないんです。

相川 私も学芸員の資格、持っていますよ。

美園 先輩! 今、大変過ぎて…。授業の量が半端なくて、しんどいです。

相川 学芸員は課程が大変で、挫折してしまう。私の学部の友達もほとんど残らなかった。実習取るまでも大変。でもつい先日まで、ミュージカルのヒロインをなさっていた美園さんが、考古学の現場でハケ使って発掘したら、本当にすごいですよね。そのうち2人でビニール手袋して木簡持っていたりして(笑)。

美園 大喜びで写真撮っちゃいます(笑)。そういうの、ロマンを感じます。

相川 昨秋、奈良国立博物館で催された正倉院展で、1300年前の聖武天皇の大嘗祭の遺物が展示されたんです。その中に、私の研究対象の赤米関連のものがあると聞き、現地に行ったのにない。 悔やんでも悔やみきれず、再度確認したら期間限定の展示と分かって、また慌てて行きました。私も執念ですが、ドロドロの土の中から、木くずと思うような木簡を、史料として復元して展示する、学芸員の執念も感じました。

美園 そこに共感しますよね。学芸員の苦労も分かる。史料は、ただ並べて展示しているのではないし、見やすいよう明るくしたらいいと普通は思うけれども、温度や湿度、照明、いろいろな条件の中で展示されています。(引用おわり)


私は今のところ4年計画で資格を取ろうと考えている。
そうなると71歳の学芸員!
この2人とどこかで互いに学芸員として出会いたいものだ。

15年前の軍艦島(端島)上陸2024/12/23

昨日完結したテレビドラマ「海に眠るダイヤモンド」は、何と言っても、長崎の端島炭坑に正面から取り組んだ骨太さを称賛したい。
下に書いたように、今では「軍艦島」の通り名が定着してしまって、「端島」の名で呼ばれることは少ない。
そこをあくまで「端島」で一貫した。

私は15年前の2009年11月6日に軍艦島に上陸した。
そのときの写真と撮影コメントである。
写真はお見せするようなものではないが、15年前なのでまあいいでしょう。


タイトルは「廃墟と私(軍艦島にて)」です。
 軍艦島は長崎市の沖合に浮かぶ、周囲およそ1200mの小さな、小さな島。1891年から1974年まで、三菱の海底炭坑だった。最盛期には5300人もの人たちが日本初の鉄筋コンクリート造りの高層住宅にひしめき合って住み、学校や病院、商店、映画館からパチンコ屋まであったという。それが無人島となって35年。コンクリートの廃墟と護岸だけになった姿は、本当に軍艦によく似ている。「端島(はしま)」という実の名はかすんでしまった。
 今の私には、そんな究極の廃墟が似合うと思った。
 昨年、50歳で会社を辞めた。リストラでもなく自ら進んで辞めたのだから腐ってるわけではない。でも、どこにも何にも所属していないという心許なさはある。早く第2の人生の明確な姿が見えればいいのだが、まだそれは見えない。だから、廃墟で自分を撮る。
 軍艦島では廃墟の中に入り込んでいけるものだとばかり思っていた。瓦礫を踏みしめて行くつもりだった。ところが、世界遺産暫定リストに載ったせいか、上陸者は厳しく管理されている。わずか300mほどのガードレールの付いた道を歩けるだけなのだ。船に40分ほども揺られてきたのに、とがっかりする。しかも〝軍艦島コンシェルジェ〟という人たちが目を光らせている。その一方では釣り人が勝手に船でやってきて、防波堤の上から糸を垂らしている。その連中のことは見て見ぬふりだ。仕方がない。それも現実だ。撮れるところで撮ろう。
 島で一番高いところが、この夏スコットランドで見たエジンバラ城の城塞にそっくりで気に入った。やっぱりガードレールが邪魔だ。あえてポーズは取らない。愛敬はないが、ぶすっとしてるのが今の私の本当の姿だろう。


以上が当時書いた文章である。

最後に、昨日ドラマの最終回に出てきた言葉。

人は過去に生きることはできない。未来に生きることもできない。
今を一生懸命に生きることだ。

今日のひとこと(森口博子)2024/10/14

加える言葉はない。

国史教科書で教えたい22024/06/22

検定に合格した教科書を展示する「教科書展示会」なるものがいま開かれていると知って、昨日、太宰府市役所に行って見てきた。

お目当てはもちろん竹田恒泰氏執筆の「国史教科書」である。
(奥付には著者名は2人書かれていた)

全体を通して読んでみたが、予想以上の出来だった。
ああいうおしゃべりの人(失礼!)がここまで書けるとは思わなかった。
竹田恒泰すごい!

もちろん根底にこれまでの自虐教育を是正したいという熱い気持ちがあるわけだが、6回検定に落ちて7回目の合格である。執念があっぱれではないか。
他の保守漫談家には決して真似できない。

主義主張以前に、歴史の教科書としてよく目配りされている。
重要なところでは、必要十分な原資料が掲載してある。

かと言って、決して文科省に遠慮、妥協しているわけではない。
慰安婦問題の元凶、吉田清治の実名まで書いている。

ぜひ全てとはいかないまでも多くの中学校で教科書に採用してほしい。

でも、逆に排斥運動が起こる可能性もじゅうぶん考えられる。

なんとか応援していきたい。
早く発売されないかな~

国史教科書で教えたい2024/06/14

竹田恒泰さんから「国史教科書」の講義を5日間くらい聞いて、その修了者は公認の歴史塾を開ける、みたいなイメージかな。
というのも、実際、この教科書を採用する中学校は少ないと思うのよ。特に初めのうちは。だから応援したい。