昭和35年11月の家族写真2023/04/04

昭和35年11月、桜島・古里温泉の林芙美子文学碑前で。

母と姉と。

私は2歳11カ月だ。

「改新」という地名ないのに、なぜ改新小学校?2021/05/01

鹿児島市古里町(桜島)の改新小学校跡。
27日の文学ウォークでは誰も撮っていなかったので、以前写したものです。
平成26年(2014年)に廃校になって、現在は改新交流センターになっています。

ところで、「なぜ改新小学校という名前なのか」がこの日、話題になりました。この地区に「改新」という地名はありません。
話した相手がちょうど卒業生だったので聞いてみると、なんと「分かりません」と言うではありませんか!!

調べてみると、どうやら本当に分からないようです。
しかし、事情は分かりました。

明治6年に「古里小学」という名で創立。同22年に「改新尋常小学校」になっています。
それはなぜか、ということになりますね。

同時代の周辺の小学校の名前にヒントがあります。
明治12年、湯之(東桜島)にできた学校は「啓蒙小学」、同じころ海潟(垂水)にできたのは「協和小学」。地名ではなく、理念を学校名にしています。さすがは志の高い明治というべきでしょう。

「改新」とは、「古里」が「新しく改められる」ことを願って名づけたものでしょうね。

明治22年(1889年)といえば、大日本帝国憲法発布。日本が大国へと歩んでいく、やる気と希望に満ちた時代です。

林芙美子文学ウオークはついにフルコースで2021/04/29

27日、林芙美子没後70年文学ウォークも3回目。
いよいよ桜島まで足を延ばしてのフルコースを実施しました。

いつものように、大正3年、10歳の芙美子が両親と離れて暮らした加治屋町(祖母のフユがいた)をまず訪ね、そのとき通った山下小学校、林家が代々紅屋を営んでいた中町を巡って桜島フェリーへ。

フェリーとバスを乗り継いで、改新小学校跡(改新交流センター)に到着。毎年6月に地元で開催している林芙美子忌の担当者から、コロナでやむなく中止しますとの話を聞く。

そこで林芙美子文学碑に行って、芙美子が昭和11年、32歳のときに書いた、桜島への思いがあふれる「故郷への愛歌」を恵子さんに朗読してもらい、われわれだけの林芙美子忌を行いました❕

再びバスとフェリーで鹿児島市街地に戻り、芙美子が昭和13年に武漢攻略戦従軍の凱旋講演をした中央公民館に立ち寄って、城山公園の遊歩道を登って恒例の城山ホテル鹿児島にある林芙美子文学碑へ。錦江湾を隔てた新旧の文学碑を一日で見学達成。城山を下り、照国神社前の桜島爆発記念碑(芙美子が鹿児島にいたのも大正3年なのです)で解散。お疲れさまでした~

3か月連続、3回おこなった文学ウォークもひとまず完結。
のべ24人が参加。全員女性でした。

鹿児島でも「まち歩き」はしょっちゅうやられてると思いますが、ほとんど全部、歴史・自然関係のまち歩きですよね。文学のまち歩きは珍しいと思います。今まであったとしても、向田邦子くらいじゃないでしょうか。
林芙美子ならもっと面白い文学ウオークができるのに、今まで誰もやったことがなかった。じゃあ、自分がやろうかと。没後70年で本籍地の鹿児島で何もやらないのは寂しいなと思っていましたから。
でも前例がないから、手探りでコースを考えました。試行錯誤できたのも参加者がいたからこそと感謝しています。

まんがを描いてみた2019/10/06

昨日、柳川ゆるり旅、「漫画制作体験しながら田中吉政公を知る」に参加した。

吉政公の菩提寺である眞勝寺で、住職の話を聞いてから、そのイメージをマンガに描くというもの。
指導は柳川在住の漫画家もとむらえりさん。

むちゃくちゃハードルが高かった。
あまりに幼稚な絵に自分で愕然。
なんとかキャラにしたのが上の絵。

サルは、田中吉政が手紙に必ず猿の印を押していたというエピソードから。
吉政は柳川の町づくりに注力したが、なんと自ら作業も行ったというので、こういう絵にした。

思いがけず褒められたので、これからも描こうかなと思っているところ。
しかし、もとむらさんのツイッターを見ると、セミプロのような人も来ていたようだ…。

今年の桜はここ!2019/04/04

わが家の前の歩道には桜並木があり、散歩コースにも見事な桜の木がたくさんあるのだが、今年はどうも唸るほどの桜が見当たらない。

そこで、隣の筑前町の草場川の桜というのを見に行ってみた。
少し前にテレビで紹介されていた(そのときはまだ花がなく、レポーターがきまり悪そうにしていた)。

すると、きれいな小川沿いに、端まで辿り着けないほど桜並木がずっと続いていて圧巻だった。

ここはおススメだ。

なぜウオークでなく「オルレ」?2019/02/21

観光地の「韓国化」歯止めを

本日の産経新聞「談話室」への仙台市69歳男性の投稿である。

韓国人観光客を日本に呼び込みたいという理由で、日本の自然や歴史を巡る散歩道を韓国済州島発祥のトレッキングコース仕様である「オルレ」に改変しようとする動きがある。
すでに九州一円でオルレ化が進み、昨年は宮城県の主導で新たに2カ所がオルレ化されている。
オルレ化には済州島にある認定機関の審査を受け、認定されれば道筋に韓国の国旗「太極旗」を連想させる標識やリボンが設置される。運営などでさまざまな制約を受け、ブランド料も払わなければいけないという。こうなったら、もはや日本の観光地とは言えまい。
問題は、こうした迎合を、地域の文化を守るべき地方自治体が率先して推進していることだ。このままでは取り返しがつかないことになる。
観光行政・文化行政を担う関係省庁に対して、実態把握のうえ早急な対応をお願いしたい。(以上)

ここに「すでに九州一円でオルレ化が進み」とあるように、私は一昨年のフェイスブックに下の記事を書いている。
久留米市の山歩きで最も人気のある高良山である。
このときは遠慮したのか、ハングルを載せるのも嫌だったのか、看板がはっきりとは写ってはいない。

私は3月24日、唐津市の佐賀県立名護屋城博物館主催のウオークに参加申し込みをしているが、3コースのうち最も長い11キロコースは「九州オルレ唐津コース」と銘打たれている。
「静かな侵略」はこんなところにも進んでいる。
本当は抗議したいが、せめて趣旨・狙いを聞いてみたいものである。
この博物館は以前から、秀吉軍の残虐性ばかりを強調して、あまりに韓国寄りの展示であるとして抗議を受けている。

ちょっと素敵な階段2018/11/18

最近、「三韓征伐」の神功皇后への関心が急上昇。

神功皇后が応神天皇を産んだことから「産み=宇美」の宇美八幡宮へ。

うちから車で40分弱なのに初めて。

神功皇后像が25年に一度の御開帳とあって行ってきた。

写真はその像ではなく(!)奥宮である「胞衣(えな)ヶ浦」へと続く階段。