差異と不平等との区別2018/08/11

新渡戸稲造は、1899年に書いた『武士道』で、男女平等について論じている。
全17章の中の、第14章「婦人の教育および地位」だ。

新渡戸稲造は38歳で、病気療養のためアメリカ滞在中だったという。
日清戦争の4年後、日露戦争の5年前だ。

当時、アメリカではすでに女権拡張論者の活動が盛んだったことが、次の一文でうかがえる。しかも、日本の社会にまで口出ししていた。

「あるアメリカ人の女権主張者が『すべての日本の女子が旧来の習慣に叛逆して蹶起せんことを!』と叫んだ軽率なる見解を、我が国の社会は納得しないであろう」

新渡戸は「女権主張者」が「叛逆」を呼びかけていることに反論する。

「かかる叛逆は成功しうるか。それは女性の地位を改良するであろうか。かかる軽挙によって彼らの獲得する権利は、彼らが今日受け継いでいるところの柔和の性質、温順の動作の喪失を償うであろうか。ローマの主婦が家庭性を失ってより起りし道徳的腐敗は、言語に絶したではないか」

最後の、ローマの主婦云々は何を指しているのか分からない。

それはともかく、新渡戸は「今しばらく、武士道の制度下における女性の地位は果して叛逆を是認するほどにじっさい悪しくあったか否かを見ようではないか」と問題提起する。

そして、「軍事社会においては婦人の地位は必然的に低く、それは社会が産業的となるに伴いてのみ改良せられる」というハーバート・スペンサーの説は日本にも当てはまるとして、婦人の自由が最も少なかったのは武士階級で、社会階級が下になるほど――例えば職人――夫婦の地位は平等だったと述べる。

だから、「私は女子が男子と同等に待遇せられなかったと述べるに躊躇しない」と、新渡戸は旧来の日本における男女の待遇差を認める。

しかし、その次が重要だ。
現在の男女平等論議は結局、120年前と全く同じであることに驚く。

「しかしながら吾人が差異と不平等との区別を学ばざる限り、この問題についての誤解を常に免れないであろう」

男女には「差異」があり、「不平等」とは問題が違う。
これを認識しない人たちとは永遠に平行線のままだ。


ところで、『武士道』の先見性はすごい。
世界は、キリスト教と唯物主義(共産主義と言い換えてもいい)とに二分されるだろうと、最終章で予言しているのだ。

では、「武士道はいずれの側に与(くみ)するであろうか」。

「それは何らまとまりたる教義もしくは公式の固守すべきものなきが故に、全体として身を消失に委ね、桜花のごとく一陣の朝風に散るを厭わない」

まさに予想通り、武士道は大東亜戦争で桜花のごとく散った。

「武士道は一の独立せる倫理の掟としては消ゆるかも知れない。しかしその力は地上より滅びないであろう。その武勇および文徳の教訓は体系としては毀れるかも知れない。しかしその光明その栄光は、これらの廃址を越えて長く活くるであろう。その象徴(シンボル)とする花のごとく、四方の風に散りたる後もなおその香気をもって人生を豊富にし、人類を祝福するであろう」

これが『武士道』の結論である。