東京裁判史観にどう立ち向かうか ― 2018/09/08
「正論」10月号で、評論家の西尾幹二氏と花田紀凱(かずよし)氏が、「文藝春秋」の左傾化について対談している。
西尾氏は「戦えなくなった左翼勢力は『文藝春秋』のようなところに侵入し、占領していっている」と指摘、「『文藝春秋』は今も半藤(一利)氏に壟断され、牛耳られている」という。
また、「共産主義が潰れて『諸君!』の役割が終わっても対立軸は決してなくなっておらず、東京裁判史観にどう立ち向かうかという課題は依然として残っている」という。
それはかつて、西尾氏と対談した渡部昇一氏が「ソ連解体や、中国がカネ儲けに奔走するようになった後でも、喧嘩する相手は依然としてある。それは東京裁判史観の範囲内で言論を続けるか、これを破ろうとするかだ」と言っていたことに基づく。
共鳴したので、児島襄『東京裁判』(中公新書)を読み始めた。
古い本だが、東京裁判に関する〝古典〟ではあろう。
難点は面白すぎることだ。
まるで見てきたように書いてある。学術書というより、小説のようだ。
下巻末に参考文献をずらずらと並べているので、信憑性はあるのだろう。

西尾氏は「戦えなくなった左翼勢力は『文藝春秋』のようなところに侵入し、占領していっている」と指摘、「『文藝春秋』は今も半藤(一利)氏に壟断され、牛耳られている」という。
また、「共産主義が潰れて『諸君!』の役割が終わっても対立軸は決してなくなっておらず、東京裁判史観にどう立ち向かうかという課題は依然として残っている」という。
それはかつて、西尾氏と対談した渡部昇一氏が「ソ連解体や、中国がカネ儲けに奔走するようになった後でも、喧嘩する相手は依然としてある。それは東京裁判史観の範囲内で言論を続けるか、これを破ろうとするかだ」と言っていたことに基づく。
共鳴したので、児島襄『東京裁判』(中公新書)を読み始めた。
古い本だが、東京裁判に関する〝古典〟ではあろう。
難点は面白すぎることだ。
まるで見てきたように書いてある。学術書というより、小説のようだ。
下巻末に参考文献をずらずらと並べているので、信憑性はあるのだろう。
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