今日のひとこと2021/08/16

石井英夫

山本[夏彦]さんとはしばしば酒席にお供し、ご一緒した。浜町河岸のあい鴨の鳥安、うなぎの前川や神田川、てんぷらの中清、横浜の中華街へも。評論家の徳岡孝夫さんがご一緒のことが多く、横浜・三渓園の古い料理屋まで足をのばしたこともある。健啖家だった。あんな怖い人とよく一緒に飲めるね、と友人にいわれたこともある。「古井戸ってのぞきたくなるものじゃないか、怖いもの見たさで」と答えた。

~『コラムばか一代 産経抄の35年』(産経新聞社)


文中の徳岡孝夫は先日来、本欄で取り上げている「紳士と淑女」のコラムニストである。
山本夏彦からすると、徳岡が兄弟子、石井が弟弟子の関係である。

石井は「紳士と淑女」を本邦随一のコラムと絶賛し、「この匿名のコラム子は、たぶん七十代半ば、英語に堪能で、どうやら新聞記者上がりらしい」と推測してみせるが、本当に正体を知らなかったのかどうか怪しいものだ。いや、知らないはずがないのだが、石井は最後まで秘密を守り抜いた。

コラムニストの世界というのはどうやら、がっちりギルドを形成しているらしい。

「日本の新聞にはたいがい朝刊一面の下に、コラムと呼ばれるへんちくりんな欄がある」(石井)が、朝毎読に産経、日経、東京などの同業者で「コラムの会」をつくり、年に2、3回集まってわいわい酒を飲んでいたという。

ギルドとは他者排除の仕組みである。だから皆、担当が長い。
石井英夫にいたっては「産経抄」執筆35年である。

こんな幸せな人はいない。
少なくとも新聞業界の中で、こんな幸せな人はいない。

新聞記者とは、給料をもらって原稿を書ける、世の中で唯一の職業である。
世の中に文章を書いて暮らしている人は少なからずいるが、小説家・作家には給料などない。売れた分だけの収入である。だから「売文業」という。

新聞記者は収入の心配などしなくていい。
しかし、サラリーマンだから、中間管理職に進むと、記者に書かせる側になる。人に仕事をさせる、この人事管理が大変なのだ。
私などいまだにデスク時代のつらさを思い出して、夢にうなされる。

それに比べて石井英夫はいい年になっても人事管理に悩みもせず、コラムニストという特権的な地位に35年もいたという。
うらやましい、としか言いようがない。
幸運だけではなかっただろう。
ギルドの中に生き、仲間とともに人に仕事を渡さない知恵を絞り続けたに違いない。有名店で舌鼓を打ちながら。

知覧の富屋旅館2021/08/16



知覧の富屋旅館の話が産経新聞に出ていた。
藤本欣也論説委員は26年前の1995年(平成7年)に取材したという。

ちょうど私も南日本新聞枕崎支局にいて、管内の知覧を取材していた時代だ。

鳥濱トメさんの孫の義清氏には何度か会い、交通事故で亡くなったのも記憶している。
そう、奥さんは初代さんという名前だった。

確か夫婦とも私と同じくらいの世代だったと記憶するが、やはり記事によると初代さんは今60歳で、富屋旅館の女将をしているという。

これは遊びに行かなくちゃと思ってネットで見ると、宿泊のみで食事の提供はしていないようだ。

今度は「富屋食堂」で検索してみると、別の孫が知覧茶屋という食堂をやっている。別に互いの店を薦めてはいないようだ。

そういえば思い出した。
新宿末広亭の斜め向かいに「薩摩おごじょ」という店があって、そこもトメさんの孫がやっているのだ。

キビナゴ(小魚)の塩焼きを頼んだら、皿に5匹くらい寂しく乗ってきて、あまりのぼったくりに驚いたことがある。

今ネットで見ると、評価は決して低くないようだが、写真にはやはり焼いたキビナゴ(小魚ですよ!)が5匹ぽつんと間を置いて皿に盛られている。
東京の人は我慢強い。もし鹿児島だったら客に笑われる(怒られる?)。

つまりトメさんの孫たちは知覧で旅館、食堂、東京で居酒屋をやっているというわけだ。もちろんそれぞれ「鳥濱トメの孫」を謳っている。

余計なことだが、知覧は政争の多いところで、意外と土地柄はよくない。英国紅茶の店を出している女性などはいつもけちょんけちょんにけなしていた。
だからどうというわけではない。余計なお世話だね。