今日のひとこと2021/08/23

林芙美子

軽井沢へ参上のことも果すことなく明日南へ参り候(注=報道班員として蘭印へ行く) 昨日文楽の紋十郎より川端さま人形出来たる由の電話これあり鎌倉の御住所伝へおき候 この旅たち何やらはかなき心地いたし候えども貪らずしては山の金銀を得ることかなわずの理にて天運に任せ旅立ちいたし候 帰国は来春三月頃かとも考えられ候 私のみ少しばかり長びく予定に候 正月女房どのの留守にてはいかばかりかあるじの不自由哀れに思われ候えども何卒よろしくお願い申し上げ候 旅立つとおもえば日本の秋も美しく切なく候て中里[恒子?]さま少々羨しくも思い候
お二人の御あんたい祈りあげ候 かしこ

~川端康成への書簡、昭和17年10月28日、下落合にて 『文藝臨時増刊 林芙美子読本』


文楽人形の注には、「野上彰氏が川端氏へ送った人形の着付を桐竹紋十郎に頼んであった」とある。

また、同読本には、京都の旅館の女将伊藤ナミが「ある時は文楽の人形を求められて、私は文楽の知人におそめ人形を造ってもらい、寝台車で先生にお供して上京した事もありました。/其の人形がとても御気に召して戦時中疎開先信州まで持って行かれたそうです」と思い出を書いている。

そうしたことから、芙美子は川端康成の文楽人形のお世話をしたようだ。

気になるのは中里[恒子?]である。
芙美子はどうして川端と中里を少々羨しく、二人の安泰を祈ったのか?
これより先、昭和12年から翌年まで雑誌連載された川端康成『乙女の港』は、中里の草稿に川端が手を入れたものである。
昭和13年下半期には川端康成選考委員の下、中里は芥川賞を受賞している。

今日のひとこと2021/08/23

徳岡孝夫

絶対に付け加えたいことが一つある。母子の死後(注=ともに餓死した)、亡夫名義、残高百万円の預金通帳が出てきたのである。
老いた母は、痛む足を引きずって銀行の窓口へ行ったであろう。そこで「お客様、これは相続手続きが済んでいませんからお払いできません」と、切り口上で断られたのだろう。では、どうすればよろしいのでございましょうか? 窓口嬢は法定相続人の戸籍謄本、印鑑証明書その他を持って来いと言ったのであろう。だが母はもう歩けなかった。懐中には二十八円しかなかった。
戸籍謄本もなしに住専に何十億何百億貸した銀行の責任者、出てこい! 餓死した母と子に代わって喉笛に食らいついてやる。

~『諸君!』1996年9月号「紳士と淑女」


私も父の相続のとき、鹿児島銀行から戸籍謄本だけじゃだめだ、除籍謄本もとか面倒な指示をされて実に不快な思いをしたからよく分かる。
手続きが終わったら口座を解約して、鹿児島銀行とは縁を切ったくらい頭に来た。