吉野ヶ里遺跡北墳丘墓③2023/03/06

現在の立派な墳丘は、築造当時のものではない。

クリックして拡大してもらえば、写真右に「発掘時の地形」と「復元時の墳丘形状」とあるのが分かるでしょう。

吉野ヶ里遺跡北墳丘墓④2023/03/06

どうして北墳丘墓が、歴代の首長など高い身分の人たちのものと考えられるのか、よく説明されている。

甕棺墓列は以前は自由に歩き回れたが、今は公開していないようだ。

吉野ヶ里遺跡北墳丘墓⑤2023/03/06

オベリスクかっ⁉

北墳丘墓の南側。
以前はなかったはず。

「祖霊の宿る柱」だという。

柱穴が一つ見つかったからと言って、そこまで言い切っていいのかなーとは思うが。

案内板より、ホームページの説明のほうが良い。

「立柱の穴跡は径1.4~1.8m、深さ1.1mでした。このことから、立柱の径は50㎝、地上部は概ね7mであったと推定されました。諏訪大社の御柱等の民族事例を参考に、彫刻のないまっすぐな柱として復元しました。」

なるほど。御柱を参考にしたのはいいかもしれない。

吉野ヶ里遺跡北墳丘墓⑥2023/03/06

この墓道の案内も最近までなかった。

というのも、昨年10月9日、発掘体験の場所に行くのに通ったから知っているのだ。

今、吉野ヶ里では、北墳丘墓近くの神社が立ち退いたことでその跡地を発掘調査しているが、その発掘体験ができるというので喜んで申し込み、やって来たものの現場が分からず、さ迷った揚げ句、えーいここを行っちゃえと駆け下りたのが、ここだったのだ。
まさか墓道だったとはね。

その日は雨で、発掘体験は私たちの順番となる直前で中止となった…。

東墳丘墓にも行こう!2023/03/06

吉野ヶ里歴史公園に入る時もらったマップ。

そこに「東墳丘墓」があるのに気づいた。これは…?

東口建物の南、大駐車場の南西角である。

係員に聞いてみると、皆知らないらしく、だいぶ時間がかかった。
ようやく分かったものの、「行かれても、そんな…」と何もないという口ぶり。
公園の人もボランティアもろくに行ったことがないらしい。

北墳丘墓を見て、そのあと弥生くらし館での講座を聞いての帰り、寄ってみた。

説明によると、どうやら「東墳丘墓」はマスコミが勝手に付けたと言わんばかり。だから、公園の人たちも舐めてるわけか。

しかし、墳丘を目にした途端、これは馬鹿にしたもんじゃない‼と思った。

そして墳頂に立つと、パワースポット的な〝何か〟を感じた。
訪れる人が少ないだけに、甕棺の死者たちの念がまだ衰えていないのだ。
吉野ヶ里歴史公園に行ったらぜひ訪ねてみてほしい。

朝鮮系無文土器の意味2023/03/08

朝鮮系無文土器についてはあまり触れたくもないが、図の中にもろにわが地元が出てくるので看過はできない。
1~4と12である。

しかし、過大に評価する必要はないようだ。

公開講座では、吉野ヶ里遺跡から出た朝鮮系無文土器は破片を併せても40~50点で、国産土器の圧倒的な数に比べればごく少数である。出土は遺跡の南側に集中し、北側ではあまり出ていないということだった。

南に行くほど身分の低い人たちが住んでいたので、そういう理由でしょう。

しかし、弥生時代にそんなに渡来人が来たものだろうか。

4世紀(古墳時代)なら、倭は朝鮮に何度も出兵しているので亡命も多かっただろうが。

沖ノ島と竹島2023/03/13

きのう12日、「沖ノ島研究の新地平」と題して世界遺産登録5周年の研究成果報告会が九博であった。

思いのほか内容が濃かったので、何回かに分けて書いていきたい。

まず、秋道智彌さん発表の「航海と海域ネットワークから見た海の世界遺産」で私のアンテナに引っかかったのは、「沖ノ島社務所前遺跡(縄文時代) 大量の二ホンアシカの骨を出土(鬱陵島・竹島)」という部分だ。

何しろ1人30分の持ち時間しかないので、詳しく知りたいところもあっという間に通り過ぎてしまう。

そこで帰ってからネット上で探すわけだが、知りたいことが検索で都合よく出るものではない。
やはりWikipedia程度である。
沖ノ島は「旧社務所跡地での発掘調査で出土した土器や石器から、縄文時代前期には漁民らが上陸し、ミチ(ニホンアシカ)猟の漁業基地として使用していたことが確認された」とある。

また、昨年3月28日付の産経新聞の記事に「竹島にいた悲劇の海獣『ニホンアシカ』の謎」があった。
鳥取大の井上貴央名誉教授の話として、「ニホンアシカはかつて、日本列島全域に住んでいました。各地の縄文時代の遺跡からも、アシカの骨が出土しています」とある。

しかし、二ホンアシカは竹島を最後に絶滅した。

井上さんによると、「明治期の乱獲によるもの。また、韓国の竹島占拠後は、竹島に人が常駐し、生息環境を乱したこと。幼獣を食用にしたこと。学術調査でアシカが確認されているのに、保護策が取られなかった」からだ。

ところが、韓国側は「ニホンアシカをこの世から絶滅させたのは日本人だ」という誤った情報を発信しており、「科学的根拠に基づかない。情報操作されている現実には深い悲しみと怒りを感じる」と井上さんは言う。

またしても、盗っ人(不法占拠)猛々しい韓国人の姿だ。嫌になる。


秋道さんの話ではこのほか、沖ノ島にはオオミズナギドリ(宗像ではオガチという)が10万羽も生息しており、古代人が沖ノ島に行くのにこれを目印にしたのは間違いないというのが面白かった。