断捨離!2023/08/03

人からかまわれるのが何より嫌いだ。

ここ数年、急に粘着してきた旧友がいて困っている。

私などは「去る者は追わず」の性格だから、一度でも無視したらかまわないでもらいたいが、どうも分かってくれないようだ。
60代には若い時みたいな暇も余裕もないのだ。

昨年7月5日付で取り上げたIKKO(60)の言葉をもう一度。

「これから先、私らしく生きていくために、嫌なものや肩の荷を断捨離して落とす。自分の生き方だけ一筋にエネルギーを費やさないと追いつかないなって思っちゃった。いろんな断捨離をし始めたときに、ちょっと楽になって『60代っていいかも』と思った。そこにロックな気分のパンチも持たないと弱っちゃう。それを思いました」

林芙美子の南京従軍記(昭和12―13年) 出版社求む!2023/08/15

林芙美子は昭和12年12月末、占領後の南京に初めて入った日本人女性である。
だから、その記録は極めて重要だ。

私はすでに『林芙美子が見た大東亜戦争』『花に風 林芙美子の生涯』の2冊を世に問い、その中で一連の南京従軍記を紹介してきたが、やはり読者には林芙美子の原文全体を読んでもらいたいという思いが強い。

中華民国の首都・南京は昭和12年12月13日、日本軍によって陥落する。
作家の林芙美子は東京日日・大阪毎日新聞(のちの毎日新聞)の特派員として、すぐに旅立つ。
12月27日、長崎を出港し、29日上海着。翌30日陸路で南京に向かい、大みそかに到着。明けて13年1月3日まで滞在した。南京市内に3泊、前後に露営を1泊ずつ、計5泊6日の従軍である。

目次
【従軍記】
会遊の南京
従軍の思い出
南京
露営の夜
南京行(女性の南京一番乗り)
静安寺路追憶
私の従軍日記
五月の手紙
『私の昆虫記』あとがき
北岸部隊(抄)=南京関係部分のみ
【小説】
黄鶴
河は静かに流れゆく

凡例
一、林芙美子著『私の昆虫記』(昭和13年7月、改造社)の中から、南京従軍に関する文章7編と「あとがき」を選び、『心境と風格』(昭和14年11月、創元社)所収の「南京」を加えた。また、『北岸部隊』(昭和14年1月、中央公論社)の中から南京滞在時の文章を抜粋した。
一、なるべく時系列になるよう並べ替えたが、各編は独立して書かれており、必ずしもそうはできなかった。その際は流れの分かりやすさを重視した。
一、「黄鶴」は小説だが、主人公の重子は明らかに芙美子そのものである。昭和13年3月という早い時期に書かれていることも重要だ。また、「河は静かに流れゆく」(『悪闘』昭15・4)は、芙美子が朝日新聞南京支局長宅のアマ(中国人の女中)に取材したもので、南京で暮らす中国人の視点で書いており、南京戦を別な角度で見ることができる。

これだけの貴重な記録――南京大虐殺があったとされる時期の重要な記録が埋もれているのは不可思議だ。
どうか出版するところが出てきてほしい。原稿はすぐにでも用意できる。
ちなみに今年は林芙美子生誕120年の節目でもある。

『南京占領下の作家たち』2023/08/21

林芙美子だけでは売れないと二の足を踏む出版社が多いだろう。

日本軍占領下の南京を訪れた作家を調べると、ほかに大宅壮一、杉山平助、山本実彦、石川達三、木村毅(き)の5人が見つかった(昨年12/19付参照)。
彼らの作品を集成した本を出したい。
以下のラインアップになる。

大宅壮一「香港から南京入城」
杉山平助「支那と支那人と日本」
山本実彦「興亡の支那を凝視めて」
石川達三「生きている兵隊」
木村毅「名曲」
林芙美子「黄鶴」「河は静かに流れゆく」

これなら〝南京戦作品集〟の決定版だと自負する。
出版社に伏してお願いします。

関東大震災と林芙美子2023/08/31

〝島の男〟岡野軍一と別れた大正12年(1923)の9月1日、林芙美子は関東大震災に遭う。本郷の西片町に下宿していた。震災発生時について『一人の生涯』に書いている。

拙著『花に風 林芙美子の生涯』p.87~88に該当部分を引用していますので、ご覧になってください。

「井戸水に毒がはいっているから注意をしろとか、××人が革命をおこしたとか、さかんに流言が飛んでいました」という一節もある。