ここにも被害者がいた!(神田伯山公演でアクシデント)2022/02/03

俳句をやろうと思う2022/01/22

5日前に安藤サクラと自分との共通点を書いたが、今日は父親の奥田瑛二の登場だ笑

奥田瑛二は俳句が唯一の趣味だという。
ヤフーの記事からちょっと長いが引用させてもらう。


艶俳句。これが本当に楽しい。年齢を重ねるにつれ、たくさんの思い出、経験が蓄積されますよね。恥もあれば、悔しさもあり、つらい別離もありましたけど、もう一度、戯れると、心のコアのところにしまい込んでいた思い、忘れていた場面、言葉がまざまざと思い出され、表情やにおいまでフラッシュバックする。

僕は元来、ひとりが好きで、群れるのが嫌い。それでワインバーのカウンターの片隅でたばこをくゆらせたりするんですけど、そこで品性ある獣となって時空を超え、想像と妄想の翼を広げていく。行くたびに何か紙と書くものを女将さんに出してもらっていたら、それらを置いておいてもらえるようになりました。

 年をとれば、体力は衰えていきます。しごく自然なことですけど、僕はそれと反比例して、心の体力がついてきた。普通は体力と共に気力も落ちるのだそうで、「初めて聞きました」と医者は驚いていた。でも、本当なんです。

「鳴く鳥を抱いて殺すか人の妻」

 そんな官能的な艶俳句を詠んでいるからかもしれない。女性には今も150%、ドキドキですよ。

 もちろん、谷底に突き落とされるようなときもあります。コロナ禍でほとんどの仕事がキャンセルになり、時間が止まってしまったときは心が折れ、昼間から酒瓶に手が伸びた。とても悪い酔い方をして、しばらくしてドラマの話をいただいても、セリフが全く入らないのですから自我亡失、嫌悪に自己軽蔑。このままじゃいけない。また崖に手をかけ、登るつもりで奮闘しました。

 人生、その繰り返し。ひとつ登頂できても、また別の山が見えれば、登るしかない。98歳と決めていた自分の寿命をコロナで3年延ばして、101歳としました。最期を迎えるとき、幸せだったら右手を上げる。そう家族に伝えているのですが、そのためにも、見果てぬ夢、ロマンを追い続けたい。男が、自分ひとりで完結させるべきものがダンディズム。女は宇宙だと思う。いつか生まれてきたところに帰りたい。だからこそ、女性への憧憬の念を強く、抱き続けるのでしょうね。
(以上)

コロナ禍で九州国立博物館のボランティアが延期延期でやることがないので、私も俳句をやることにした。奥田瑛二と同じく、女たちのことを書き残したい。

ちなみに1979年、奥田瑛二が映画「もう頬づえはつかない」に桃井かおりの相手役として出演したとき、当時私がアルバイトしていた雑誌『ぴあ』の編集部でロケがあった。縁があるのだ。

おしっこの話2022/01/18

先日の情熱大陸は矢沢永吉。
面白いことを言ってた。

ジンクスっていうかね、ライブの前にはおしっこに行ってね、出るわけないんだけど、ちろっと出して行くわけよ。

こんなこと言う人いないよね笑
さすが矢沢。

でも、大事(本番)の前におしっこを絞り切っておくというのはよく分かる。
矢沢も同じなんだね。

それで、おしっこの話をもう一つ。

普通の人なら気にして言わない、極めて個人的な下(しも)の話を平気でする面白い男が会社にいた。

職場で堂々と、「どうしておしっこって二本に分かれるの?」と後輩相手に聞いている。

耳にした私は、ほう、みんなそうなんだ!と、こんなこと誰にも言えないからうれしかったね。

おしっこの線が二本になって出るので、どうしても便器がびしゃびしゃになるわけだ。
一本が狙い通りに行っても、もう一本はよそを向いてるんだから。
特に昔の和式トイレで、立っておしっこするともう大変。
お母さん、本当にすみませんでした。

この男は「おしっこって、座ってするよね」とも言っていた。
洋式トイレになって何十年たっても、男は「小」をするときには立つのが当たり前と考えられていた時代だ。
ところが、便器を汚さないために秘かに座る男たちが現われていたのだ。
私も「だよね」と思った。
誰も、実は座ってしているなんて言わなかった。この男が日本で初めて(たぶん)明かしたのだ。

このあとだ。
洋式トイレは男も座って「小」をすべきだと言われ出したのは。

頭の中で会話を済ませてしまう症候群2022/01/17

NHKの「チコちゃんに叱られる」は、土曜午前の再放送でたまたま見ることがある。15日もそうだった。

テレビをつけた時は、もう番組のメーンの質疑応答バトルは終わって、ゲストの安藤サクラが岡村隆史に何やら相談するコーナーになっていた。

安藤は、人が大人数でわいわいやっているとき、「話の輪に入れない」というのだ。

ここでまず私は、あー、自分と同じだと思った。
さらに続きが私にとってある意味、衝撃的とも言っていい内容だった。

安藤は、自分が話に入れない間、「自分の頭の中では皆と会話している」というのだ。
つまり、相手がこう言って、それに自分がこう答えて、と頭の中で組み立てているわけだ。

だから、やっと機を見て発言したとき、実際に進行している会話と、自分の頭の中で進行している会話は違うわけだから、皆は「は?」とびっくりするというのだ。

私と全く同じ問題について語られるのを初めて聞いた。

私も人との会話をあらかじめ頭の中でシミュレーションする癖がある。
その結果、結論だけを言ってしまって、相手は「?」となって伝わらず、こちらはどうして伝わらないのかといらいらし、人との会話を避けるようになってしまう。

安藤は笑って話していたが、彼女にとっては結構深刻な悩みなのだろうと推察した。
そのあたりをもっと深く知りたいと思うが、とりあえずウィキペディアには「女優という職業については、普段思ったことや感じたことを言葉にするのが苦手で、だからこそ脚本や監督があって身体を使って表現する職業に興味があるのかもしれないと明かす」とあった。

この「普段思ったことや感じたことを言葉にするのが苦手」で、私は会社でのハラスメントに反駁も弁明もせず、会社勤めがうまくいかなくなった。退職の最大の理由だ。
だから人生を左右する深刻な問題なのだ。

安藤サクラが初めてと書いたが、以前といってももう大分前になるが、白人女性(確かアメリカ)で、高名な学者でありながら、人と雑談や日常会話ができないという人がいるのを知った。

これは教育テレビの放送テキストを書店で見て、あっと思ったものだった。
そのテキストを買っておかずに後悔している。

以来ずっと探し求めていて、NHKにも問い合わせたが、「それだけでは分かりません」とすぐに返信が来て、親身になって捜した様子もなく不親切だと思った。

誰かこの女性学者の名を知りませんか?

思うに、世の中にはどうでもいい話をだらだらといつまでもしゃべっている人がいるが(それを世間話というのだろう)、我々はそういう話は頭の中で終わっているから、ぺちゃくちゃとお喋りを楽しむなんてことができないのだ。

何か役に立てる自分でいたい2021/12/30

年を取っていくのは別に嫌じゃなかったのだが、今になって急に時間がたつのが早くなって恐ろしい。

今年なんか何もしないうちにあっという間に終わってしまった。

あと10年なのか、20年生きられるのか、運命だからこればかりは分からないが、あっという間に過ぎ去るのは間違いなさそうだ。

今年夏にやった断捨離は、Facebookをやめたこと。
知り合いのいいねをもらうために、せっせと近況報告してる場合じゃない。

だからと言って何ができるのか。

井の中のFacebookでは抑え気味にしていた政治的発言を、大海のTwitterで思う存分やっているが、これにも疲れてきた。
やっぱりリアルを充実させないと面白くない。

世のため人のために何ができるのかといつも考えている。
来年こそは。。。

(次なる断捨離は、使ってないのに十数年リビングを占領しているマッサージチェアだが、71㎏もあるので自分で処分場に運び込むのは難しそうだ…)

では、よいお年を❕

今日のひとこと2021/09/07

ピンク・レディー
ウォンテッド(指名手配)

両手に鉄の手錠を 足には重い鎖を
私のそばにいつでも つないでおいてあげるわ
あんちくしょうの噂を きいたらすぐに教えて
地球の果ての町でも 逮捕に向うつもりよ

~阿久悠

今日のひとこと2021/08/25

きいろのらんどせる

わたしははじめは
みどりがよかった
けれど
つぎはあかがよかった
つぎはくろがいいと
いった
つぎはきいろがいいと
いった
わたしのいけんは
もうかわらない。

~東京都清瀬市の5歳の女の子、産経新聞8月10日付「朝の詩(うた)」