俳句をやろうと思う2022/01/22

5日前に安藤サクラと自分との共通点を書いたが、今日は父親の奥田瑛二の登場だ笑

奥田瑛二は俳句が唯一の趣味だという。
ヤフーの記事からちょっと長いが引用させてもらう。


艶俳句。これが本当に楽しい。年齢を重ねるにつれ、たくさんの思い出、経験が蓄積されますよね。恥もあれば、悔しさもあり、つらい別離もありましたけど、もう一度、戯れると、心のコアのところにしまい込んでいた思い、忘れていた場面、言葉がまざまざと思い出され、表情やにおいまでフラッシュバックする。

僕は元来、ひとりが好きで、群れるのが嫌い。それでワインバーのカウンターの片隅でたばこをくゆらせたりするんですけど、そこで品性ある獣となって時空を超え、想像と妄想の翼を広げていく。行くたびに何か紙と書くものを女将さんに出してもらっていたら、それらを置いておいてもらえるようになりました。

 年をとれば、体力は衰えていきます。しごく自然なことですけど、僕はそれと反比例して、心の体力がついてきた。普通は体力と共に気力も落ちるのだそうで、「初めて聞きました」と医者は驚いていた。でも、本当なんです。

「鳴く鳥を抱いて殺すか人の妻」

 そんな官能的な艶俳句を詠んでいるからかもしれない。女性には今も150%、ドキドキですよ。

 もちろん、谷底に突き落とされるようなときもあります。コロナ禍でほとんどの仕事がキャンセルになり、時間が止まってしまったときは心が折れ、昼間から酒瓶に手が伸びた。とても悪い酔い方をして、しばらくしてドラマの話をいただいても、セリフが全く入らないのですから自我亡失、嫌悪に自己軽蔑。このままじゃいけない。また崖に手をかけ、登るつもりで奮闘しました。

 人生、その繰り返し。ひとつ登頂できても、また別の山が見えれば、登るしかない。98歳と決めていた自分の寿命をコロナで3年延ばして、101歳としました。最期を迎えるとき、幸せだったら右手を上げる。そう家族に伝えているのですが、そのためにも、見果てぬ夢、ロマンを追い続けたい。男が、自分ひとりで完結させるべきものがダンディズム。女は宇宙だと思う。いつか生まれてきたところに帰りたい。だからこそ、女性への憧憬の念を強く、抱き続けるのでしょうね。
(以上)

コロナ禍で九州国立博物館のボランティアが延期延期でやることがないので、私も俳句をやることにした。奥田瑛二と同じく、女たちのことを書き残したい。

ちなみに1979年、奥田瑛二が映画「もう頬づえはつかない」に桃井かおりの相手役として出演したとき、当時私がアルバイトしていた雑誌『ぴあ』の編集部でロケがあった。縁があるのだ。

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