今日のひとこと2021/08/23

徳岡孝夫

絶対に付け加えたいことが一つある。母子の死後(注=ともに餓死した)、亡夫名義、残高百万円の預金通帳が出てきたのである。
老いた母は、痛む足を引きずって銀行の窓口へ行ったであろう。そこで「お客様、これは相続手続きが済んでいませんからお払いできません」と、切り口上で断られたのだろう。では、どうすればよろしいのでございましょうか? 窓口嬢は法定相続人の戸籍謄本、印鑑証明書その他を持って来いと言ったのであろう。だが母はもう歩けなかった。懐中には二十八円しかなかった。
戸籍謄本もなしに住専に何十億何百億貸した銀行の責任者、出てこい! 餓死した母と子に代わって喉笛に食らいついてやる。

~『諸君!』1996年9月号「紳士と淑女」


私も父の相続のとき、鹿児島銀行から戸籍謄本だけじゃだめだ、除籍謄本もとか面倒な指示をされて実に不快な思いをしたからよく分かる。
手続きが終わったら口座を解約して、鹿児島銀行とは縁を切ったくらい頭に来た。

悪しか見せないマスコミ2021/07/23

善悪のうち善を切り捨て、悪しか報じないマスコミ。

退歩的文化人2021/07/22

オリンピックのデザインや開会式といった演出面に関わる人たちのスキャンダルが次々に明らかになっている。

今の日本の文化人にはこんなレベルの人たちしかいない、ということだ。


戦後、長く岩波・朝日を舞台に、進歩的文化人といわれる人たちが日本文化をリードした。
当時はイデオロギーを剝き出しにしていなかったため、正しく良心的に見えたものだが、今やその人たちも左翼・共産主義者の正体を自ら剝き出しにして隠さなくなった。
まあ、年を取ったということだろう。分かりやすくなった。

今の若い世代の文化人はどうだろう。
下らないもの、雑なもの、論評に値しないものが多くなった。
大前提として、何でも「表現の自由」で許してくれる世間がいる。
だから平気でそんなものを出してくる。

「進歩的文化人」は長いことじわじわと日本に害をもたらしたが、「退歩的文化人」も今後長く日本に害をもたらしそうだ。

ポンティー上村の思い出2021/03/17

ドラマーの村上ポンタ秀一さんが亡くなった。

1979年、大学生の時、情報誌の『ぴあ』でバイトしていた。
ライブ情報にしょっちゅう、村上ポンタの名前が出ていた。
今70歳で亡くなったということは、当時まだ28歳。
バリバリにライブをやりまくっていたわけだ。

名前が「村上ポンタ」だったり、「ポンティー上村」だったりした。
音楽に詳しい奴が「それ、同じ人なんだよ」と教えてくれた。
森田がタモリになったように、名前もひっくり返していたわけだ。

村上と上村、両方合わせれば、ライブ数はさらに驚異的。
あんまり自分ばっかり出てるのも照れくさいから、名前を二つ使ったのかもしれない。それほど多かった。
さらにバリエーションをつけて、「村上ポンタ」も「ポンタ村上」も、「ポンティ」も「ポンティ―」もあった気がする。

バイト仲間に同じ名字の可愛い女の子がいて、みんなから「ポンタ」と呼ばれるようになった。
そして、その子が僕の初めての彼女になった。
甘い、しかし、胸のつまるような思い出。

宮田という姓2020/12/30

林芙美子の実父は宮田麻太郎という。

奇しくも私と同じ姓だ。

「ご関係は?」と聞かれて、宮田麻太郎は愛媛県周桑郡吉岡村の人だから何も関係ありませんと答えた。

答えてから、宮田という姓が気になって調べてみた。
検索した中では「名字コラム」というのが割と面白かった。
(ホームの正式名称は名字由来netというらしい)

名字ランキング 第181位 宮田

名字博士と愛ちゃんが 宮田姓について話しています。

「宮田さんは、神社の前にあった田んぼのことかな?」

「宮とは神社のことだからね。宮田さんはキミの言う通り神社のそばという意味だ。でも、田は必ずしも田んぼとは限らないよ。場所とかあたりのことを指していることも多い」

「神社のそばに住んでいたということは神主さんかしら?」

「そういう家もあるが、神社の領地も神田とか宮田というからね。神社領の田畑を耕していた氏子(うじこ)も宮田さんと名乗った。いずれにしても神社と深く関わっているのが宮田さんの特徴で、武士になって活躍した家も多い。たとえば兵庫県篠山市宮田からは第五六代清和天皇(八五〇―八一)の流れをくむ清和源氏の宮田さんが出ているし、関東には藤原氏の末裔という家もある。」

以上の記述で一番心に残ったのは、「いずれにしても神社と深く関わっている」という点。
この数年、神道を大事にしたいと思うようになったが、あらためて意を強くした。

亡き父よ2020/08/14

盆だからか、しきりに亡父のことが思い出され、来年、17回忌をしなければ、と思う。

昭和5年生まれ、生きていれば90歳なのだ。

いつかは誰でもこの星にさよならを2020/05/07

竹内まりや作詞「いのちの歌」。

竹内まりやは旦那を「たつろー」と呼び捨てにするんで嫌いなんだけど(達郎のほうは「まりやさん」と呼ぶ)、歌詞の「いつかは誰でもこの星にさよならをする時が来る」にはどきっとした。

ほんと、そうだよな…。