テレビも地方vs中央2011/03/16

震災のテレビ報道が急速に「紋切り型」になって、中身がなくなってきた。

これは現地のテレビ局に任さず、東京のスタジオ(キー局)がコントロールしようとし過ぎるからだ。

発生当初はとにかく実態が分からないから、東京側も謙虚に地方局の報道に耳を傾けていた。

そのころのほうがずっと内容のある報道だった。

ところが、状況が分かってくると途端に、放送の途中で口を挟むわ、打ち切って切り替えるわ、記者のみならずキャスターやアナウンサーまで送り込んでくる。

もうこうなってくると現地のテレビ局も振り回されて、冷静な報道はできなくなってくる。
それほど中央のエリート意識はすごいのだ。

その証拠に、中央の人材が投入された原発や大津波で壊滅した地域の報道一辺倒になっている。

ほかにも深刻な被害が起こっているはずの長野をはじめ、茨城、千葉、新潟などは全くといっていいほど放送されない。

東京のスタジオに識者を呼んでコメントを積み重ねる、あとは時々現地の映像を挟み込むという得意のパターンばっかりだ。

なにもかも指揮・コントロール下に置こうとせず、現地のテレビ局を切り替えていく調整役に徹してくれれば、今よりずっといい報道内容になるだろう。
(不謹慎を覚悟でいえば、いつも見飽きた面々よりも、おっこの局にはこんな美人がいるんだ、という発見もある)

キー局が思ってるほど地方局に能力がないわけではない。
むしろ日常現地に根ざしているほうが、的確な報道ができるし、無配慮なことも起こりにくい。
(それでもいろんなあつれきが起こるのだから、まして何の知識もなくぽっと来て問題が起こらないはずがない)

私も長年地方新聞にいたのでよく分かるが、全国的なニュースになればなるほど、出張で初めて来た記者たちに現場は荒らされ、むちゃくちゃになる。取材される側も一から根掘り葉掘り聞かれるので疲弊してしまうのだ。そして彼らがさんざん取材したものは、ほんのちょろっとした記事や放送になるだけだ。

よくマスコミをいっしょくたに批判する人が多いが、こういう背景があることを知ってテレビを見れば、きっと気づくことがあると思う。

マスコミも中央集権でなく、地方分権が必要なのだ。

震災復興に失業者を2011/03/16

被災地が落ち着いたら、災害ボランティアに行きたいと考えている人も多いだろう。

もちろん、それはいいことだが、
今回の場合、何千人もの住民を失った自治体は、
町の将来を考えれば住民そのものが欲しいのではなかろうか。

人がいなければ、元の町の姿を取り戻すことはなかなか難しい。

もちろん被災地側が受け入れたいという気持ちになればのことだが、
今の日本には仕事にも就けずにいる人がたくさんいる。
そうした人たちに本格的に住んでもらって、働いてもらうのはどうだろう。
もちろん給料は最低限、食費くらいでいい。当面はただでもいい。
それでも何万人かは喜んで移住してくるのではないだろうか。

特別報道体制はNHKのみに2011/03/16

地震津波被害のニュースのみで通すのは、ついにNHKだけになった。

発生から6日目。
まだ1週間もたってないし、何の解決のめども立っていない。

いいのか、これで。
早すぎないか。