早大マイルストーン創刊40周年! ― 2018/09/04
「正論」編集長と鰻食う ― 2018/09/04
「天皇力」 ― 2018/09/06
9月1日にあった早大マイルストーン創刊40周年記念パーティーに、同じ創刊メンバーの坪内祐三(文芸評論家)が来ていなくて、ほっとした。
というのも、10年前、30周年パーティーの時に、目の前にいながら完全無視されて非常に不快な思いをしたからだ。
大学時代から小生意気な奴だったが、そんな仕打ちをされる覚えはない。
彼が東京人、私が薩摩人だから、維新の恨みでもあるのか、それくらいしか思い当たる節がない。
まあ、いい、誰にでもいけ好かない奴はいる。悪口を言うために書いているのではない。
上京する前、たまたま図書館から借りた「新潮45」(例の杉田水脈議員のLGBT論文が載った号)に坪内の文章があった。
読んでみて、ほう、さすがに40年近く業界で飯食ってれば少しはうまくなるもんだな、と思った。
どうして上から目線かというと、彼の初めての単行本『ストリートワイズ』が1997年に出たときに買って読んで、あまりに下手くそで驚き、東京にいてコネがあればこんなレベルでも大手から出してもらえるんだと妬ましかったからだ(その後、講談社文庫にもなった)。
さて、新潮45。
「平成三十年に私は還暦を迎えた」という、彼らしい偉そうなタイトルだ。
自分のこれまでを振り返っているのだが、枚数が足りなかったのか、最後に話題が変わってこんな文章が出てくる。これこそが印象に残るのだ。
「天皇というのは代々、天皇霊を持っているのではないか。
天皇霊とは自然に対しての力のことである。その点で今上天皇は天皇霊(天皇力)が弱いのではないか。
平成に入ってからあまりにも天災が多く続いている。」
これを読んでから、「天皇力」という言葉が頭を離れなくなった。
もちろん、平成になって大災害が頻発するから(阪神淡路も3・11も)と言って、それが天皇陛下のせいであるはずがない。
しかし昨日の台風21号の関西国際空港をはじめとする大災害に続いての、今日の北海道の震度6強(のち7に訂正)である。
「天皇力」……。そんな理屈に合わないことも考えてしまう。
というのも、10年前、30周年パーティーの時に、目の前にいながら完全無視されて非常に不快な思いをしたからだ。
大学時代から小生意気な奴だったが、そんな仕打ちをされる覚えはない。
彼が東京人、私が薩摩人だから、維新の恨みでもあるのか、それくらいしか思い当たる節がない。
まあ、いい、誰にでもいけ好かない奴はいる。悪口を言うために書いているのではない。
上京する前、たまたま図書館から借りた「新潮45」(例の杉田水脈議員のLGBT論文が載った号)に坪内の文章があった。
読んでみて、ほう、さすがに40年近く業界で飯食ってれば少しはうまくなるもんだな、と思った。
どうして上から目線かというと、彼の初めての単行本『ストリートワイズ』が1997年に出たときに買って読んで、あまりに下手くそで驚き、東京にいてコネがあればこんなレベルでも大手から出してもらえるんだと妬ましかったからだ(その後、講談社文庫にもなった)。
さて、新潮45。
「平成三十年に私は還暦を迎えた」という、彼らしい偉そうなタイトルだ。
自分のこれまでを振り返っているのだが、枚数が足りなかったのか、最後に話題が変わってこんな文章が出てくる。これこそが印象に残るのだ。
「天皇というのは代々、天皇霊を持っているのではないか。
天皇霊とは自然に対しての力のことである。その点で今上天皇は天皇霊(天皇力)が弱いのではないか。
平成に入ってからあまりにも天災が多く続いている。」
これを読んでから、「天皇力」という言葉が頭を離れなくなった。
もちろん、平成になって大災害が頻発するから(阪神淡路も3・11も)と言って、それが天皇陛下のせいであるはずがない。
しかし昨日の台風21号の関西国際空港をはじめとする大災害に続いての、今日の北海道の震度6強(のち7に訂正)である。
「天皇力」……。そんな理屈に合わないことも考えてしまう。
東京裁判史観にどう立ち向かうか ― 2018/09/08
「正論」10月号で、評論家の西尾幹二氏と花田紀凱(かずよし)氏が、「文藝春秋」の左傾化について対談している。
西尾氏は「戦えなくなった左翼勢力は『文藝春秋』のようなところに侵入し、占領していっている」と指摘、「『文藝春秋』は今も半藤(一利)氏に壟断され、牛耳られている」という。
また、「共産主義が潰れて『諸君!』の役割が終わっても対立軸は決してなくなっておらず、東京裁判史観にどう立ち向かうかという課題は依然として残っている」という。
それはかつて、西尾氏と対談した渡部昇一氏が「ソ連解体や、中国がカネ儲けに奔走するようになった後でも、喧嘩する相手は依然としてある。それは東京裁判史観の範囲内で言論を続けるか、これを破ろうとするかだ」と言っていたことに基づく。
共鳴したので、児島襄『東京裁判』(中公新書)を読み始めた。
古い本だが、東京裁判に関する〝古典〟ではあろう。
難点は面白すぎることだ。
まるで見てきたように書いてある。学術書というより、小説のようだ。
下巻末に参考文献をずらずらと並べているので、信憑性はあるのだろう。

西尾氏は「戦えなくなった左翼勢力は『文藝春秋』のようなところに侵入し、占領していっている」と指摘、「『文藝春秋』は今も半藤(一利)氏に壟断され、牛耳られている」という。
また、「共産主義が潰れて『諸君!』の役割が終わっても対立軸は決してなくなっておらず、東京裁判史観にどう立ち向かうかという課題は依然として残っている」という。
それはかつて、西尾氏と対談した渡部昇一氏が「ソ連解体や、中国がカネ儲けに奔走するようになった後でも、喧嘩する相手は依然としてある。それは東京裁判史観の範囲内で言論を続けるか、これを破ろうとするかだ」と言っていたことに基づく。
共鳴したので、児島襄『東京裁判』(中公新書)を読み始めた。
古い本だが、東京裁判に関する〝古典〟ではあろう。
難点は面白すぎることだ。
まるで見てきたように書いてある。学術書というより、小説のようだ。
下巻末に参考文献をずらずらと並べているので、信憑性はあるのだろう。
陛下のご退位は良かったのか ― 2018/09/11
NHKは二年前、天皇陛下のご退位意向(「生前退位」と称した)をスクープした。
その結果、天皇の「自主的な」退位が認められてしまったのである。「今回限り」と取り繕おうが、前例となる。スクープがなければ、安倍総理ら政府首脳がもっと最善の対応策を取れただろう(摂政を置くよう陛下を説得するとか)。
スクープされれば、世間は「ご高齢でこれまで頑張ってこられたのだから、おっしゃる通りにさせてあげるべきだ」という情緒的な意見が大勢を占めるに決まっている。もう対応策はない。
これから先も天皇陛下のご退位表明はあり得る。陛下に「そうおっしゃらず、我慢してください」と言える者がいるのか。
天皇の代替わりという、日本にとって最重要なことが、ふわふわとあいまいな軽いものになった。
もし皇位継承者全員が即位を断ったらどうなるか。日本から天皇がいなくなれば、それはもう「日本」ではない。ただの国だ。
そう危惧していたら、案の定、とんでもない意見を吐く識者が出てきた。
八幡和郎氏という、かつては歴史家(その頃の著作は私も何冊か持っている)で近年は政治評論?をやっていて一応、保守派のようだがよく分からない人だ。
以下、氏のfacebookへの投稿である。
【悠仁様を皇太子が教育すべきという週刊誌報道と私のコメントについて】女性セブン2018年9月20日号に『小室さんの件を受け悠仁さまに「皇太子ご夫妻下で帝王学」計画』という記事が載っていて、そこに私のコメントが載っている。そこで、少し解説をしておきたい。女性セブンの記事は、「ニュースポストセブン」で見ることができます。
記事の内容の主要点は、以下のようなことである。
①眞子さまと小室圭さんの結婚の行方。小室家の“不都合な事情”が次々に明らかになり、「なぜ眞子さまは小室さんを選んだのか」「なぜ秋篠宮ご夫妻は結婚を認めたのか」ということが話題となり、 「最初に上がったのは、小室氏が“天皇の義兄”にふさわしいのかということでした。さらに、もっと根本的な問題として、秋篠宮家の教育方針を案じる声も出始めた。たとえば、まだ先の話ではありますが、悠仁さまがお妃として、まさか小室氏のような複雑な事情を持つ人物を選びはしないかと。そんな中で、まことしやかに『計画』が囁かれるようになりました」(宮内庁関係者)。
②「その計画とは、悠仁さまを、皇太子さまご夫妻のところへ預けるというものです。皇室典範で認められていない『養子』にするわけではなく、天皇皇后両陛下と生活を共にし、直々に、将来の天皇としての教育を受けてもらおうと考えてのことです。
③もし帝王学を学んでいただくならば、このタイミングしかないと考える有力な皇室関係者もいます。政治的な話にもなりかねないので、事前に政治家にも相談がいっているようで、一部の国会関係者の間でもそのような計画が俎上に上がっているようです」(前出・宮内庁関係者)
そのあとに私のコメントが載っているのだが、取材のときに申し上げた話をコンパクトにまとめたものなので、この問題についての私の見解を少し詳しく書いておきたい。私はそういう話があるがどうかという質問を受けてだいたい、このようなことを申し上げた。
①悠仁さまの帝王教育について、皇太子殿下のときの浜尾侍従のような帝王教育を施す養育係がいないのはよろしくない。多忙な秋篠宮両殿下だけにお任せするのは無理がある。(浜尾侍従については下記のwikipedia 記事がある)。
東京大学工学部応用化学科卒業。熱心なカトリック信者で、1946年(昭和21年)12月21日に東京の世田谷教会で受洗した。洗礼名はセバスチアノ。1951年(昭和26年)に東宮傅育官として皇太子明仁親王に仕え、その後東宮侍従となってからは浩宮徳仁親王・礼宮文仁親王兄弟の幼少時の教育に当たった。多忙な皇太子夫妻に代わって、親王の学校行事・面談に出席することもあった。浩宮・礼宮からは「オーちゃん」の愛称で慕われていた。1971年(昭和46年)に退官する。
②秋篠宮殿下はご自分でも皇太子殿下と違って天皇になるための教育は受けていないと仰っている。殿下は皇太子殿下に比べて世間のことはよくご存じであり、フランクな性格であるのは長所だが、陛下や皇太子殿下のようなほのぼのとしたしゃべり方とか所作とはまた違うのはそういう教育の違いに起因する。そういう意味では、将来の天皇になるべき悠仁さまは、皇太子殿下との接触の機会を多くして皇太子らしさ、天皇らしさを身につけていただく必要はあると思う。
③特に紀子さまは孤軍奮闘の状態である。悠仁さまには、雅子さまの不調から本来は皇太子妃が行うものまで含めた公務の過剰負担に加え、悠仁さまの母親としてだけではなく、皇太子になるための“教育係”の責任も果たされようとしているが、これは過大であり、それが、眞子さまの婚約問題の迷走の原因ではないかと思われる。これは、少し整理した方がよい。
そのためにも、皇太子ご夫妻、秋篠宮ご夫妻、そして、専任の養育係が役割を分担しつつ協力して悠仁さまの帝王教育にあたるべきだ。
④仮に皇太子殿下、秋篠宮殿下、悠仁様が健在でおられたとして、皇太子殿下が今上陛下と同じ85歳で退位されるとすれば、80歳の秋篠宮殿下が即位され、5年後に悠仁様が即位されることになる。しかし、これは、合理的でない。
そこで解決策はふたつある。ひとつは、皇太子殿下から悠仁さまに直接継承することであり、もうひとつは、皇太子殿下が早めに退位され、たとえば、秋篠宮殿下が最低でも10年ほどは帝位におられるようにすることである。
それは、いまから決める必要はなく、両殿下の健康状態、雅子様の状態、悠仁様の結婚や子づくりの状況などを総合的に勘案して臨機応変に対応すべきである。
その意味で参考になるのは、ベルギー王室である。ボードワン国王には子がなかったので、皇太子は弟のアルベール殿下だった。しかし、大方の予想は、アルベール殿下は飛ばしてその子であるフィリップになるだろうといわれ、ボードワン国王は各種行事にフィリップを連れて帝王教育をしていた。
しかし、ボードワン国王が早く病死され、フィリップは結婚もしていなかったので、アルベール殿下が急遽、国王になって、のちに、退位してフィリップ殿下が国王になった。
こうした例を参考にして皇室は万全の体制を整えるべきである。
(以上、引用)
大変な問題発言である。
全く危惧していた通り、天皇ご退位の自在な運用を勧めているのだ!
皇太子殿下の早めのご退位を勧めるとは!!
秋篠宮殿下が最低でも10年ほどは帝位におられるようにするためだという!
笑えないのは、この筋書き(ストーリー)が今上天皇の真の狙いのように思えることだ。
ご存じのとおり、今上天皇は憲法重視のリベラル派だ。
偉大なる父君、昭和天皇がまるで悪いことをしてきたかのように戦争の激戦地を訪れて頭を下げてきた。
ところが、今上天皇は最後の最後に自ら憲法違反を行った。
憲法第二条 皇位は、世襲のものであって、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する。
第四条 天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行い、国政に関する権能を有しない。
天皇の地位は「勝手に」やめてはいけないのだ。
日本国の根幹にかかわるからだ。
そこをあえて破ってまでご退位なさるのは、自分と考えの近いリベラルの秋篠宮殿下に皇位継承の道を確定させたかったからではないのか(摂政を置けば、それを見届けられずに崩御されることになる)。
私の「勝手な」想像だ。
私が八幡和郎氏に唯一賛成なのは、悠仁様にきちんとした帝王教育をするということだ。
しかしそれはカトリック信者などではなく、日本の歴史伝統、過去の天皇の業績についてきちんと教えられる人だ。山岡鉄舟が明治天皇を教えたように(西郷隆盛の依頼だ)。
日本がどうして国の根幹を変えずに、世界で最も長く続いているのか。
それを理解していただかないと悠仁様で日本は終わってしまう。
大変な危機にある。
その結果、天皇の「自主的な」退位が認められてしまったのである。「今回限り」と取り繕おうが、前例となる。スクープがなければ、安倍総理ら政府首脳がもっと最善の対応策を取れただろう(摂政を置くよう陛下を説得するとか)。
スクープされれば、世間は「ご高齢でこれまで頑張ってこられたのだから、おっしゃる通りにさせてあげるべきだ」という情緒的な意見が大勢を占めるに決まっている。もう対応策はない。
これから先も天皇陛下のご退位表明はあり得る。陛下に「そうおっしゃらず、我慢してください」と言える者がいるのか。
天皇の代替わりという、日本にとって最重要なことが、ふわふわとあいまいな軽いものになった。
もし皇位継承者全員が即位を断ったらどうなるか。日本から天皇がいなくなれば、それはもう「日本」ではない。ただの国だ。
そう危惧していたら、案の定、とんでもない意見を吐く識者が出てきた。
八幡和郎氏という、かつては歴史家(その頃の著作は私も何冊か持っている)で近年は政治評論?をやっていて一応、保守派のようだがよく分からない人だ。
以下、氏のfacebookへの投稿である。
【悠仁様を皇太子が教育すべきという週刊誌報道と私のコメントについて】女性セブン2018年9月20日号に『小室さんの件を受け悠仁さまに「皇太子ご夫妻下で帝王学」計画』という記事が載っていて、そこに私のコメントが載っている。そこで、少し解説をしておきたい。女性セブンの記事は、「ニュースポストセブン」で見ることができます。
記事の内容の主要点は、以下のようなことである。
①眞子さまと小室圭さんの結婚の行方。小室家の“不都合な事情”が次々に明らかになり、「なぜ眞子さまは小室さんを選んだのか」「なぜ秋篠宮ご夫妻は結婚を認めたのか」ということが話題となり、 「最初に上がったのは、小室氏が“天皇の義兄”にふさわしいのかということでした。さらに、もっと根本的な問題として、秋篠宮家の教育方針を案じる声も出始めた。たとえば、まだ先の話ではありますが、悠仁さまがお妃として、まさか小室氏のような複雑な事情を持つ人物を選びはしないかと。そんな中で、まことしやかに『計画』が囁かれるようになりました」(宮内庁関係者)。
②「その計画とは、悠仁さまを、皇太子さまご夫妻のところへ預けるというものです。皇室典範で認められていない『養子』にするわけではなく、天皇皇后両陛下と生活を共にし、直々に、将来の天皇としての教育を受けてもらおうと考えてのことです。
③もし帝王学を学んでいただくならば、このタイミングしかないと考える有力な皇室関係者もいます。政治的な話にもなりかねないので、事前に政治家にも相談がいっているようで、一部の国会関係者の間でもそのような計画が俎上に上がっているようです」(前出・宮内庁関係者)
そのあとに私のコメントが載っているのだが、取材のときに申し上げた話をコンパクトにまとめたものなので、この問題についての私の見解を少し詳しく書いておきたい。私はそういう話があるがどうかという質問を受けてだいたい、このようなことを申し上げた。
①悠仁さまの帝王教育について、皇太子殿下のときの浜尾侍従のような帝王教育を施す養育係がいないのはよろしくない。多忙な秋篠宮両殿下だけにお任せするのは無理がある。(浜尾侍従については下記のwikipedia 記事がある)。
東京大学工学部応用化学科卒業。熱心なカトリック信者で、1946年(昭和21年)12月21日に東京の世田谷教会で受洗した。洗礼名はセバスチアノ。1951年(昭和26年)に東宮傅育官として皇太子明仁親王に仕え、その後東宮侍従となってからは浩宮徳仁親王・礼宮文仁親王兄弟の幼少時の教育に当たった。多忙な皇太子夫妻に代わって、親王の学校行事・面談に出席することもあった。浩宮・礼宮からは「オーちゃん」の愛称で慕われていた。1971年(昭和46年)に退官する。
②秋篠宮殿下はご自分でも皇太子殿下と違って天皇になるための教育は受けていないと仰っている。殿下は皇太子殿下に比べて世間のことはよくご存じであり、フランクな性格であるのは長所だが、陛下や皇太子殿下のようなほのぼのとしたしゃべり方とか所作とはまた違うのはそういう教育の違いに起因する。そういう意味では、将来の天皇になるべき悠仁さまは、皇太子殿下との接触の機会を多くして皇太子らしさ、天皇らしさを身につけていただく必要はあると思う。
③特に紀子さまは孤軍奮闘の状態である。悠仁さまには、雅子さまの不調から本来は皇太子妃が行うものまで含めた公務の過剰負担に加え、悠仁さまの母親としてだけではなく、皇太子になるための“教育係”の責任も果たされようとしているが、これは過大であり、それが、眞子さまの婚約問題の迷走の原因ではないかと思われる。これは、少し整理した方がよい。
そのためにも、皇太子ご夫妻、秋篠宮ご夫妻、そして、専任の養育係が役割を分担しつつ協力して悠仁さまの帝王教育にあたるべきだ。
④仮に皇太子殿下、秋篠宮殿下、悠仁様が健在でおられたとして、皇太子殿下が今上陛下と同じ85歳で退位されるとすれば、80歳の秋篠宮殿下が即位され、5年後に悠仁様が即位されることになる。しかし、これは、合理的でない。
そこで解決策はふたつある。ひとつは、皇太子殿下から悠仁さまに直接継承することであり、もうひとつは、皇太子殿下が早めに退位され、たとえば、秋篠宮殿下が最低でも10年ほどは帝位におられるようにすることである。
それは、いまから決める必要はなく、両殿下の健康状態、雅子様の状態、悠仁様の結婚や子づくりの状況などを総合的に勘案して臨機応変に対応すべきである。
その意味で参考になるのは、ベルギー王室である。ボードワン国王には子がなかったので、皇太子は弟のアルベール殿下だった。しかし、大方の予想は、アルベール殿下は飛ばしてその子であるフィリップになるだろうといわれ、ボードワン国王は各種行事にフィリップを連れて帝王教育をしていた。
しかし、ボードワン国王が早く病死され、フィリップは結婚もしていなかったので、アルベール殿下が急遽、国王になって、のちに、退位してフィリップ殿下が国王になった。
こうした例を参考にして皇室は万全の体制を整えるべきである。
(以上、引用)
大変な問題発言である。
全く危惧していた通り、天皇ご退位の自在な運用を勧めているのだ!
皇太子殿下の早めのご退位を勧めるとは!!
秋篠宮殿下が最低でも10年ほどは帝位におられるようにするためだという!
笑えないのは、この筋書き(ストーリー)が今上天皇の真の狙いのように思えることだ。
ご存じのとおり、今上天皇は憲法重視のリベラル派だ。
偉大なる父君、昭和天皇がまるで悪いことをしてきたかのように戦争の激戦地を訪れて頭を下げてきた。
ところが、今上天皇は最後の最後に自ら憲法違反を行った。
憲法第二条 皇位は、世襲のものであって、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する。
第四条 天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行い、国政に関する権能を有しない。
天皇の地位は「勝手に」やめてはいけないのだ。
日本国の根幹にかかわるからだ。
そこをあえて破ってまでご退位なさるのは、自分と考えの近いリベラルの秋篠宮殿下に皇位継承の道を確定させたかったからではないのか(摂政を置けば、それを見届けられずに崩御されることになる)。
私の「勝手な」想像だ。
私が八幡和郎氏に唯一賛成なのは、悠仁様にきちんとした帝王教育をするということだ。
しかしそれはカトリック信者などではなく、日本の歴史伝統、過去の天皇の業績についてきちんと教えられる人だ。山岡鉄舟が明治天皇を教えたように(西郷隆盛の依頼だ)。
日本がどうして国の根幹を変えずに、世界で最も長く続いているのか。
それを理解していただかないと悠仁様で日本は終わってしまう。
大変な危機にある。
マイルストーン40年後 ― 2018/09/11
楽天koboから電子書籍2冊出しました ― 2018/09/12
南国日日新聞記者シリーズ第二弾「白い蛙の悲鳴」300円。
「西郷め、許さん!」(副題・島津久光物語)100円。いずれも税込みです。
以上2冊を楽天koboで販売開始しました。
下のURLから、著者名「宮田俊行」で検索するのが早いです。
https://books.rakuten.co.jp/e-book/
「西郷め、許さん!」(副題・島津久光物語)100円。いずれも税込みです。
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https://books.rakuten.co.jp/e-book/
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