天皇家はなぜ続いたのか①2018/09/28



「海人と天皇」、副題が「日本とは何か」。
どうして逆にしなかったのか。

「日本とは何か――海人と天皇」ならもっと読まれ、注目される本となっただろうに。

その疑問は読むうちに解けた。

第1章の1行目は、「数年前から私は『日本とは何か』というテーマについて、一冊の本を書いてみたいと思っていた」から始まる。

ところが、終わりに近い第21章で、「この『日本とは何か』という一連の論考は、ある意味で失敗であった」と白旗を上げている。

「最初立てた原案は狂ってしまった」理由は、「(藤原不比等の娘で、文武天皇の后となった)藤原宮子=海人の娘」説に、「あまりに多くの頁数を割いた」せいである。

私が本棚から20数年ぶりにこの本を取り出し、再読し始めたのは、「天皇家はなぜ続いたのか」という疑問による。

そのカギは藤原不比等が握っているらしい。

第1章には「『古事記』と『日本書紀』の成立を実質的に担った人物は誰であるか、いろいろな説があるが、私と上山春平氏はその人物を藤原不比等とみた。不比等は私たちの説が出るまでは歴史の陰の人物であったが、私たちは不比等を歴史の表に登場させた」と自信満々に書いてあるので、これは期待が持てると思った。

ところが、藤原不比等について概略は分かったものの、本人も言うように、藤原不比等の娘で文武天皇の后となった藤原宮子に、あまりに長く脱線し、私の期待とは大きく外れていった。

上山春平を読むしかあるまい。

ところで、やはり第1章の中の言説だが、哲学者らしく、20数年たっても古びない、現代思潮に関する洞察があるので紹介したい。

「日本の思想は西欧主義から国家主義、国家主義から西欧主義、そしてまた西欧主義から国家主義へと、ほとんど無反省な変転の繰り返しであり、今後もこの繰り返しを続けるであろうと思われる。
ごく大ざっぱに言えば、明治維新以後三十年、いわゆる明治三十七、八年戦役、つまり日露戦争以後が一つの日本の思想的転換のときであろう。そして大正デモクラシーによる巻き返しがあるとはいえ、この国家主義思想は昭和二十年まで日本の中心的思想であった。そして敗戦によってこの国家主義は崩壊したが、また西欧主義は復活する。その西欧主義にはアメリカやヨーロッパを模範とする資本主義とソビエト連邦を模範とする社会主義があったが、私は戦後の日本の知識人の思想は、ほぼすべてどちらかの西欧主義に属していたと思う。
しかし現代日本の経済的台頭とともに、また国家主義の風潮が強くなっている。ちょうど明治維新後三十年経って国家主義が台頭して来たように、戦後三十年、西欧主義が衰えて、国家主義が台頭してくる可能性がある」

さて、現在はもう戦後73年だ。
国家主義と西欧主義は今、愛国主義とグローバリズム(日本否定)に姿を変えて激突しているかに見える。

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