まんがを描いてみた2019/10/06

昨日、柳川ゆるり旅、「漫画制作体験しながら田中吉政公を知る」に参加した。

吉政公の菩提寺である眞勝寺で、住職の話を聞いてから、そのイメージをマンガに描くというもの。
指導は柳川在住の漫画家もとむらえりさん。

むちゃくちゃハードルが高かった。
あまりに幼稚な絵に自分で愕然。
なんとかキャラにしたのが上の絵。

サルは、田中吉政が手紙に必ず猿の印を押していたというエピソードから。
吉政は柳川の町づくりに注力したが、なんと自ら作業も行ったというので、こういう絵にした。

思いがけず褒められたので、これからも描こうかなと思っているところ。
しかし、もとむらさんのツイッターを見ると、セミプロのような人も来ていたようだ…。

手塚治虫の「描いてはいけない」三原則2019/10/09

「あいちトリエンナーレ・表現の不自由展」に出された作品が、表現の自由として許されるものなのか、あってはならない表現なのか、大きな問題になっている。

私は以前も書いたが、憲法の「表現の自由」は「公共の福祉」に反してはならないという立場だ。
私の考えというより、憲法に明記してある常識だ。
しかし、自由は無制限だと勘違いしている人もまだ多い。

手塚治虫「マンガの描き方」(光文社知恵の森文庫)を読んでいたら、ちょうどこの問題にもあてはまる、漫画を描くうえで絶対に守らなければならないことで本が締めくくられていた。

手塚治虫はもちろん表現者だ。
だから「どんなに痛烈な、どぎつい問題を漫画で訴えてもいい」とする。
だが、「基本的人権だけは、だんじて茶化してはならない」として、三つの禁止事項を挙げているのだ。

一、戦争や災害の犠牲者をからかうようなこと。
一、特定の職業を見くだすようなこと。
一、民族や、国民、そして大衆をばかにするようなこと。

「あいちトリエンナーレ・表現の不自由展」はまさにこの一番目と三番目に反している。
決して擁護できるものではない。

野崎六助「こんな面白い作品は初めて」2019/10/15

私が書いた小説「取材ノートのマンモス」について、野崎六助氏は「(月刊公募ガイドの)講座に寄せられてくる数多の原稿のうちで、こんなに面白い作品に当たるのはおよそ初めてのことでした」と高い評価を与えてくれた。

野崎 六助(のざき ろくすけ、1947年11月9日 - )は、日本の小説家、文芸評論家。 東京都品川区生まれ。京都府立桃山高等学校卒業。コック、大工など多数の職を経る。1992年、『北米探偵小説論』で第45回日本推理作家協会賞(評論その他の部門)受賞。推理小説、推理小説評論を主に書く。日本推理作家協会会員。=『ウィキペディア(Wikipedia)』=

私はこの作品「取材ノートのマンモス」を公募には出さず、親しい友人である鹿児島市の出版社ジャプランの求めに応じて、「現代鹿児島小説大系」中の一篇として提出した。
このため、残念ながら広く手に取りやすい作品とはなっていない。

そこで、もしこれを読みたい方がおられれば、ツールバーにあるメールから連絡をいただければ、定価5000円(税別)のところを半額の2500円(税込み、送料込み)でお分けいたします。

南日本文学大賞受賞者の男性からも「『現代鹿児島小説大系』全4巻の作品の中で、一番面白かった」と言われました。ぜひご一読ください。

◎「取材ノートのマンモス」あらすじ
 江頭順平は南国日日新聞社で長く記者をやってきた。
 ある日、会社が突然、グループ企業を一つにまとめるという名目で新築移転計画を発表した。江頭はその準備室に異動になる。
 内情を知ると移転には金がかかり過ぎており、誰かが不正をしている疑いがある。だが、江頭は立場上、社長の命じるまま新社屋建設を先頭に立って推進しなければならなかった。
 新社屋は完成し、江頭は今度は社史編纂室に配属になる。
 そんなとき、新社屋建設準備室で部下だった平岡が、動物園の象の池で溺れるという怪死事件が起こる。これは事故死か殺人か――。 伝説の英雄ゴウキチが起こした戦の生き残りが創立したという、誇り高い歴史を持つ新聞社は、今や犯罪と疑惑にまみれている――。江頭は葛藤しながら、事件の謎解きに挑む。

「心中倶楽部」という小説2019/10/17

私の埋もれた小説第二弾(笑)。

10年前になりますが、古閑章・鹿児島純心女子大教授が南日本新聞の文芸時評で褒めてくれた「心中倶楽部」です。
(写真はクリックで拡大できます)

古閑さんはこのあと、『新薩摩学 鹿児島の近代文学・散文編』(南方新社)でも、「鹿児島近代文学年表」の中にこの作品を入れて下さいました。

ただ、この小説も、同人誌に発表したものだけに、ほぼ読むことはできません(鹿児島県立図書館にはあるかもしれませんが)。

そこで、前回書いた、「取材ノートのマンモス」所収の「現代鹿児島小説大系第二巻」を頒価でお求めになった方には、おまけとして「心中倶楽部」のコピーを差し上げます(コピー12枚になります)。
ご希望の方はその旨、メールにお書きください。

悪質でしかない「生きている兵隊」2019/10/18

朝日新聞がまた、石川達三の「生きている兵隊」を取り上げたそうだ。
今朝の産経新聞一面コラム「産経抄」にこうある。

「先月末、朝日新聞の天声人語が、作家の石川達三の『生きている兵隊』を取り上げて、この問題(注・検閲)を論じていた。日中戦争に従軍して書き、検閲を恐れて要所を伏せ字にせざるを得なかった作品である。」

まず、産経新聞にも誤りがある。
石川達三は〝従軍〟していない。

日本軍は中華民国の首都・南京を昭和12年12月13日に陥落した。
石川は翌13年1月8日、戦いの終わった南京に到着したのである。

同15日に上海に戻るまで、南京には正味7日間滞在した。20日に上海を発ち、23日に東京に戻った。

帰国後、『中央公論』3月号に発表するために一気に書き上げた『生きている兵隊』には、日本軍の南京攻略戦の残虐性をたっぷり盛り込んだ。
つまり、石川は南京攻略戦を実際に見聞したわけではなく、南京と上海での取材・伝聞・想像で書いたのである。

「産経抄」の続き。
「ただ石川が、戦前の言論統制の被害者と決めつけるのは早計だ。『言論統制』(佐藤卓己著)には、石川が雑誌に発表したこんな文章が引用されている。『極端に言ふならば私は、小説といふものがすべて国家の宣伝機関となり政府のお先棒をかつぐことになつても構はないと思ふ』」

これは、石川が戦中の1943年、『文藝』12月号に発表した文章だが、つまり、石川は政治的プロパガンダ小説を肯定していたのだ。

実際、石川は死去する少し前の昭和60(1985)年、インタビューに答えて、南京大虐殺について「いっぺんも見ていない」と否定している。
つまり、『生きている兵隊』は〝でっちあげ〟の非常に悪質で無責任な小説なのだ。
今も中公文庫で出ているので、読んでもらえば分かるが、実に醜悪な小説である。
第一回の芥川賞受賞作家とは思えない、グロ小説だ。とてもまともには読めない。日本軍に悪意があって書いたとしか思えず、発禁処分になったのは当然だ。
朝日の記者も、産経の記者も読んでから書いているのだろうか。
「検閲」以前の問題である。

しかも、これが、日本の歴史上最悪のスパイである尾崎秀実(朝日新聞記者)によって中国に広まるのである。
朝日新聞記者である河原理子が書いた『戦争と検閲――石川達三を読み直す』(岩波新書、2015年)が期せずしてその事実を浮き彫りにしている。

本ブログ9/26日付「中沢けいに反論する」にも書いたが、朝日新聞や朝日系の作家が石川の『生きている兵隊』をまるで「まともな作品」であるかのように持ち上げるのはもうやめてほしい。

祝・即位礼正殿の儀!2019/10/22

昨日は御即位記念五百円硬貨を銀行でゲット。
福岡市役所でお祝いの記帳をした。

今日は西鉄の記念乗車券を10時ちょうどに地元の駅でゲットした。
令和ゆかりの坂本八幡宮に近い、都府楼前駅は今日から「令和の里」という冠が付いて呼ばれる。
西鉄沿線の方はどうぞ、お早めに。

帰りはジュウガツザクラがお祝いするように綺麗に咲いていた。

2学年違い、ほぼ同世代の天皇陛下万歳!
私と誕生日が一緒の皇后陛下万歳!

太宰府で川柳ひねる2019/10/27

昨日は、「歩かんね太宰府」の中の「作曲家岩崎先生と川柳を楽しみましょう」に参加してきた。

太宰府の観世音寺に集合。
戒壇院や同寺を見学・散策の後、近くの岩崎記代子音楽記念館(岩崎さんのご自宅)へ。
参加は5人で、スタッフの方が多く、総勢は十数人となった。

アドバイスもなく、いきなり川柳を作ることになり焦った。
何しろ初めてである。
なんとか3句ひねり出した。

太宰府で初めてお宅におじゃまする

ぼんやりと歩いた後で筆記試験

小字「御所」記憶新たな即位礼

最後の句は説明が必要だが、写真のように途中、「旧小字 御所ノ内」という碑があったのだ。
「御所」というからには天皇が住んでいたはずだが、そこははっきりしないらしい。
しかし、先日、天皇の即位礼があったばかりだし、ここ太宰府は元号「令和」ゆかりの地でもある。
それを詠むことができたのは、ちょっと会心の気分だった。

できた句は皆に回覧し、気に入ったら丸を付ける。
ランチ(軽食)を出していただき、楽しく懇談。
岩崎先生は80のおばあちゃまだが、とても元気で愉快な方だ。
ピアノでフランク・シナトラの「マイウェイ」他2曲を演奏して下さった。

その後、点数を発表。
私の句も4票、9票、8票と高評価をいただいた。
(一番は10票。惜しい!)

なごやかで大変楽しかった。先生、ありがとうございました。
来春もまた参加しようかな。