閉会式もまたひどかったが、選手たちは素晴らしかった2021/08/09

開会式の感想は「幼稚でチープ、日本らしさがない」だった(7/24参照)。
しかし、まずは五輪が開催されたことをよしとして、我慢して最後まで見た。

それから競技が始まり、前半は日本がずっと金メダル争いのトップを走って、興奮した。
二日間足踏みしたが、後半再びメダルを取り始めた。
チャンネルを頻繁に切り替えながら、毎日ずっと目が離せなかった。

そして金メダル争いは3位をキープして終了。
五輪史上最高の成果を挙げた。

悪のオピニオンリーダー、朝日新聞が「五輪反対」を唱え続けたにもかかわらずだ。
朝日は表向きは、コロナの感染拡大の中、五輪どころではないとしながら、真意はいつもの、五輪を断念させて日本に恥をかかせてやろうという、底意地の悪い反日活動だ。
(それでいて五輪視聴率を一番かせいだのは系列のテレビ朝日だという。コロナで国民を「ゆすり」、五輪で国民に「たかり」、許せない)

しかし、選手たちはマスコミによる「日本はダメだ」の大合唱、そういう自虐史観的なものから自由だった。
日の丸を上げたい、君が代を歌いたいというコメントが目立った。

誇らしい人たちだ。

そして真っ先に「開催に感謝」を口にすることで、上手に気持ちよく批判をかわしていった。
まあ、選手に「開催に感謝」を言わせる社会って、何なのかとは思うが。
練習や競技に集中したいだろうに、そんなことに気をつかわせて。
にもかかわらず、史上最高の成果を挙げたのだ。

そして閉会式。
驚いた。
開会式以上にひどいとは。

日本には相当優秀な演出家が少なからずいるだろうに、どうやってあんなひどいものが作れるのか不思議なくらいだ。
電通が悪いのかどうかは知らないが、誰も台本やリハーサルをチェック、採点しないのだろうか。

やはり日本の文化は左翼系が支配しているから、日本らしさを出すのは苦手中の苦手なのだろう。

こちらはテレビを見なければいいが、あんな退屈なものを長時間見せられて、選手たちが可哀そうだ。
唯一、東京音頭のときだけが皆うれしそうだった。
それ以外、日本文化の発信はゼロに近かった。

日本を背負って戦った選手たちと、日本らしさを少しも出せなかった大会の演出側と。
日本社会の分断は五輪後も続く。
もちろん、日本を誇りに思う側を応援していく❕

林芙美子は長崎原爆を描いていた2021/08/09

林芙美子は昭和26年6月に急逝したため、連載中の7作が絶筆になってしまった。その中でも「真珠母(しんじゅも)」という作品は注目だ。
主人公の畠中雪子は長崎市内で被爆する。

当日の描写はこうだ。

「丁度十一時頃であったろうか、ピカッと白い光りものがして、赤ん坊の景子を寝かしつけながら、隣家の屋根の方を、ぼんやり見ていた雪子は、ふわっと体が持ち上がるような気がした。隣家の屋根瓦が、五六枚ずつ煎餅をかきよせるように、ひとりでに動く。空が黄いろく昏くなった。耳底の裂けるような、爆音と同時のようだった。雪子はあわてて子供の上に伏さった。ざあっと雨の降るようなもの凄い音が四囲一面にたちこめている。
雪子は、大変なことになったと、景子に敷布をかぶせながら、離れの病室へ走って行くと、離れの柱が急角度にかたむき、叔母も叔父も穴のあいた壁ぎわに抱きあっていた。台所にいた雪子の母も、頭から砂をかぶって、離れへ走って来た。
離れは、土俵の四本柱のように、かたむいた柱があるきりで、屋根は吹きとばされている。
(略)
雪子の家は、浦上から金比羅山を中間にしてへだたっていたので、家にいたものだけは助かったが、叔母の娘達は姉は城山校へ土運びに行き、妹は県庁で、この日亡くなってしまった。」

文中には「長崎医大の、永井隆博士の書かれたもの」が出てくる。
有名な『長崎の鐘』が刊行されたのは昭和24年。林芙美子はそれを昭和26年には読んでいたのだ。

畠中雪子は危うく命は助かった。

「畠中」の名字で分かるように、夫は鹿児島の人間。出征中だったが、終戦後に戦死が分かる。

美しい未亡人の雪子はこれからどうなっていくのか、原爆をテーマにしたこの小説が未完になってしまったのは残念でならない。「雪子」は『浮雲』の「ゆき子」にも通じるから、芙美子はかなり気合を入れてこの小説を書こうとしていたに違いない。
芙美子が最後まで戦争にこだわり続けたことが分かる。