林芙美子は長崎原爆を描いていた2021/08/09

林芙美子は昭和26年6月に急逝したため、連載中の7作が絶筆になってしまった。その中でも「真珠母(しんじゅも)」という作品は注目だ。
主人公の畠中雪子は長崎市内で被爆する。

当日の描写はこうだ。

「丁度十一時頃であったろうか、ピカッと白い光りものがして、赤ん坊の景子を寝かしつけながら、隣家の屋根の方を、ぼんやり見ていた雪子は、ふわっと体が持ち上がるような気がした。隣家の屋根瓦が、五六枚ずつ煎餅をかきよせるように、ひとりでに動く。空が黄いろく昏くなった。耳底の裂けるような、爆音と同時のようだった。雪子はあわてて子供の上に伏さった。ざあっと雨の降るようなもの凄い音が四囲一面にたちこめている。
雪子は、大変なことになったと、景子に敷布をかぶせながら、離れの病室へ走って行くと、離れの柱が急角度にかたむき、叔母も叔父も穴のあいた壁ぎわに抱きあっていた。台所にいた雪子の母も、頭から砂をかぶって、離れへ走って来た。
離れは、土俵の四本柱のように、かたむいた柱があるきりで、屋根は吹きとばされている。
(略)
雪子の家は、浦上から金比羅山を中間にしてへだたっていたので、家にいたものだけは助かったが、叔母の娘達は姉は城山校へ土運びに行き、妹は県庁で、この日亡くなってしまった。」

文中には「長崎医大の、永井隆博士の書かれたもの」が出てくる。
有名な『長崎の鐘』が刊行されたのは昭和24年。林芙美子はそれを昭和26年には読んでいたのだ。

畠中雪子は危うく命は助かった。

「畠中」の名字で分かるように、夫は鹿児島の人間。出征中だったが、終戦後に戦死が分かる。

美しい未亡人の雪子はこれからどうなっていくのか、原爆をテーマにしたこの小説が未完になってしまったのは残念でならない。「雪子」は『浮雲』の「ゆき子」にも通じるから、芙美子はかなり気合を入れてこの小説を書こうとしていたに違いない。
芙美子が最後まで戦争にこだわり続けたことが分かる。

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