山本七平、小林秀雄 ― 2021/12/06
50で会社を辞めてからの日々は、極端に短くまとめて言えば、読書三昧の日々だ。
山田風太郎、松本清張、林芙美子、平泉澄、安彦良和、
文春の東西ミステリーベスト100、
朝日新聞をはじめとする反日・革命勢力の研究、
昭和史、特に戦争に関するもの、、、
数年ごとに好きな作家が変わり、そのつど、もうこれを超える作家は現われないだろうと思った。
今、好きな作家、というか評論家は山本七平と小林秀雄だ。
考えてみれば、どちらももう50年も前、中学生の自分の本棚にあった。
山本七平『日本人とユダヤ人』、小林秀雄『考へるヒント』だ。
中高生の自分はクラブ活動をするわけでもなく、机にぼーっと座っている子供だったから、本棚からこうした本を取り出しては読んでいた。
書いてあることはほとんど分からなかった記憶がある。
自分で買ったわけではない。
では、どうして私の本棚にあったのか。
父親は本が嫌いだった。いや、憎んでさえいた。
だから本好きの母親が、父親に怒られないよう私の本棚に隠しておいたのだと今にして思う。
私は学生だから本があって当然だからだ。
その後ずっと山本七平も小林秀雄も読まなかったから、回り回って戻ってきたのだ。
山本七平は安彦良和がすすめていた『一下級将校の見た帝国陸軍』を読んでみたところ、戦争ものでは出色だった。
そして山本のものをもっと読んでみたくなり、『小林秀雄の流儀』で、小林秀雄を〝再発見〟したというわけだ。
結局この50年間、彼らを超える評論家は現われたのかな?
いわゆる進歩的文化人はゴマンといたが、残らなかった。
だから原点に戻って、久しぶりに評論・批評が読みたくなったのだ。
山田風太郎、松本清張、林芙美子、平泉澄、安彦良和、
文春の東西ミステリーベスト100、
朝日新聞をはじめとする反日・革命勢力の研究、
昭和史、特に戦争に関するもの、、、
数年ごとに好きな作家が変わり、そのつど、もうこれを超える作家は現われないだろうと思った。
今、好きな作家、というか評論家は山本七平と小林秀雄だ。
考えてみれば、どちらももう50年も前、中学生の自分の本棚にあった。
山本七平『日本人とユダヤ人』、小林秀雄『考へるヒント』だ。
中高生の自分はクラブ活動をするわけでもなく、机にぼーっと座っている子供だったから、本棚からこうした本を取り出しては読んでいた。
書いてあることはほとんど分からなかった記憶がある。
自分で買ったわけではない。
では、どうして私の本棚にあったのか。
父親は本が嫌いだった。いや、憎んでさえいた。
だから本好きの母親が、父親に怒られないよう私の本棚に隠しておいたのだと今にして思う。
私は学生だから本があって当然だからだ。
その後ずっと山本七平も小林秀雄も読まなかったから、回り回って戻ってきたのだ。
山本七平は安彦良和がすすめていた『一下級将校の見た帝国陸軍』を読んでみたところ、戦争ものでは出色だった。
そして山本のものをもっと読んでみたくなり、『小林秀雄の流儀』で、小林秀雄を〝再発見〟したというわけだ。
結局この50年間、彼らを超える評論家は現われたのかな?
いわゆる進歩的文化人はゴマンといたが、残らなかった。
だから原点に戻って、久しぶりに評論・批評が読みたくなったのだ。
謝罪がないので忘れられない ― 2021/12/07
時おり思い出しては、とてつもない不快さに全身が襲われる。
その不快感にまた襲われてしまった。
奴は今、新聞社の報道部デスクをしているM。
あろうことか、私と同姓だ。
当時、私は大島支社(名瀬市)の支社長だった。
支社長と言っても部下は一人で、自分も同じように取材に走り回っていた。
当時、徳之島の伊仙町では選挙がらみのいざこざがよくあった。
徳之島にも支局があるのだが、この人は地元の高校の先生上がりで、事件ものは取材しない決まりになっていた。
そこで私が手伝いに行ったのだが、そのあと社会部からもMが応援に来た。
するとMは伊仙の現場で、私に喧嘩を吹っかけてくる。
何に文句があるのか聞いても答えない。
現場の様子は大したことなく、M一人で十分対応できそうだったので、私は後を託して飛行場に向かった。
というのも、ちょうど強い台風が接近しており、その日に帰らないと足止めを食らいそうだったからだ。
何日も足止めされたら、支社を部下1人に任せることになる。何としても帰らなければならない。
飛行場への途中、Mから「大変なことになっている。すぐ戻ってください」と携帯電話があり、急きょ、引き返した。
ところが、戻ってみると何事もない。Mは「今、落ち着きました」という。
もう飛行機は逃したので、今度は船で帰ろうと港へ向かった。
するとまたMから「すぐ戻ってください」と電話が来て、戻る。
ところが、現場は何も起こっていない。
Mは平然としている。
結局、私は帰りの手段を失い、予報通り台風が襲来して空も海も欠航し、その後3日も奄美大島に戻れなかった。
仕事の予定はすべて狂い、私も支社の部員も大変な迷惑を蒙ったのである。
しかし、Mは私の宿に顔も見せず、一言も詫びなかった。
Mは社会部員だが、現場では私が上司(支社長は副部長)であり、「あとを頼む」という指示には従わなければならない。
明らかな業務命令違反である。
社会部長に報告すべきだったが、私はそういうやり方を好まないし、思いつかないほうだ。
Mが反省すると思っていた。
何年か後、Mとまた仕事をする羽目になった。
私が編集部デスク、Mが社会面担当の部員としてである。
その機会にMに嫌がらせをすることもできたが、私はそうせず、嫌悪感に鳥肌立ちながらも穏やかに接し、仕事を進めた。
Mは結局、一言も謝罪しなかった。
Mも今、デスクという立場になって、言うことを聞かない部員に手を焼くこともあるだろう。
そんなとき、徳之島で私にしたことを反省したりするだろうか。
いや、してないだろうな。
Mに真摯な反省と謝罪を求める。
その不快感にまた襲われてしまった。
奴は今、新聞社の報道部デスクをしているM。
あろうことか、私と同姓だ。
当時、私は大島支社(名瀬市)の支社長だった。
支社長と言っても部下は一人で、自分も同じように取材に走り回っていた。
当時、徳之島の伊仙町では選挙がらみのいざこざがよくあった。
徳之島にも支局があるのだが、この人は地元の高校の先生上がりで、事件ものは取材しない決まりになっていた。
そこで私が手伝いに行ったのだが、そのあと社会部からもMが応援に来た。
するとMは伊仙の現場で、私に喧嘩を吹っかけてくる。
何に文句があるのか聞いても答えない。
現場の様子は大したことなく、M一人で十分対応できそうだったので、私は後を託して飛行場に向かった。
というのも、ちょうど強い台風が接近しており、その日に帰らないと足止めを食らいそうだったからだ。
何日も足止めされたら、支社を部下1人に任せることになる。何としても帰らなければならない。
飛行場への途中、Mから「大変なことになっている。すぐ戻ってください」と携帯電話があり、急きょ、引き返した。
ところが、戻ってみると何事もない。Mは「今、落ち着きました」という。
もう飛行機は逃したので、今度は船で帰ろうと港へ向かった。
するとまたMから「すぐ戻ってください」と電話が来て、戻る。
ところが、現場は何も起こっていない。
Mは平然としている。
結局、私は帰りの手段を失い、予報通り台風が襲来して空も海も欠航し、その後3日も奄美大島に戻れなかった。
仕事の予定はすべて狂い、私も支社の部員も大変な迷惑を蒙ったのである。
しかし、Mは私の宿に顔も見せず、一言も詫びなかった。
Mは社会部員だが、現場では私が上司(支社長は副部長)であり、「あとを頼む」という指示には従わなければならない。
明らかな業務命令違反である。
社会部長に報告すべきだったが、私はそういうやり方を好まないし、思いつかないほうだ。
Mが反省すると思っていた。
何年か後、Mとまた仕事をする羽目になった。
私が編集部デスク、Mが社会面担当の部員としてである。
その機会にMに嫌がらせをすることもできたが、私はそうせず、嫌悪感に鳥肌立ちながらも穏やかに接し、仕事を進めた。
Mは結局、一言も謝罪しなかった。
Mも今、デスクという立場になって、言うことを聞かない部員に手を焼くこともあるだろう。
そんなとき、徳之島で私にしたことを反省したりするだろうか。
いや、してないだろうな。
Mに真摯な反省と謝罪を求める。
「百人斬り」で処刑された野田少尉 ― 2021/12/08
昭和22年12月8日、野田毅少尉(鹿児島県肝属郡田代町出身)が、南京郊外で死刑に処せられた。
74年前の今日である。
野田少尉は、昭和12年の南京戦の際、「百人斬り競争」を向井少尉とやったとされた。
拙著『林芙美子が見た大東亜戦争』で、百人斬りは東京日日新聞の浅海一男記者の作り話だったと書いた(p.134-136) 。
山本七平『私の中の日本軍』を読んで驚いた。
文春文庫上下二巻、2017年版でも改版されずに小さな活字のびっしり詰まった本だが、そこで山本は完膚なきまでに「百人斬り競争」が虚報であることを証明しているのだ。
同書が単行本で出たのは昭和50(1975)年。
私も本を書く上で「百人斬り」については調べた(文中に3冊を挙げている)。
しかし、山本が46年も前にすでに完全な考察と証明をしていたとは知らなかった。
手落ちといえば手落ちだが、どうも山本のこの本は左翼の強い出版・言論界にあって隠蔽されているのではないかとの疑いを持つ。

74年前の今日である。
野田少尉は、昭和12年の南京戦の際、「百人斬り競争」を向井少尉とやったとされた。
拙著『林芙美子が見た大東亜戦争』で、百人斬りは東京日日新聞の浅海一男記者の作り話だったと書いた(p.134-136) 。
山本七平『私の中の日本軍』を読んで驚いた。
文春文庫上下二巻、2017年版でも改版されずに小さな活字のびっしり詰まった本だが、そこで山本は完膚なきまでに「百人斬り競争」が虚報であることを証明しているのだ。
同書が単行本で出たのは昭和50(1975)年。
私も本を書く上で「百人斬り」については調べた(文中に3冊を挙げている)。
しかし、山本が46年も前にすでに完全な考察と証明をしていたとは知らなかった。
手落ちといえば手落ちだが、どうも山本のこの本は左翼の強い出版・言論界にあって隠蔽されているのではないかとの疑いを持つ。
北条義時って、どんな人? ― 2021/12/11
来年の大河ドラマの主人公、北条義時。
承久の乱で天皇家と正面衝突。三上皇を島流しにし、仲恭天皇を退位させ、後堀河天皇を擁立した。
NHKが今なぜこの人物を取り上げたのか、注意深く見る必要がありそうだ。
承久の乱で天皇家と正面衝突。三上皇を島流しにし、仲恭天皇を退位させ、後堀河天皇を擁立した。
NHKが今なぜこの人物を取り上げたのか、注意深く見る必要がありそうだ。
高校の必修科目となる「歴史総合」は大丈夫か ― 2021/12/13
来春から高校の必修科目「歴史総合」がスタートする。
これまで別々だった世界史Aと日本史Aを融合させて、近現代史を学ぼうというものだ。
趣旨はいい。
なにしろ現在は世界史だけが必修で、日本史を学ばない生徒も多いというのだから。
しかも誰もが経験していることだが、中高の歴史は近代になると時間切れで、特に誰もが知りたい昭和前期の戦争については学校では何も教えていないと言っていい。
その長年の弱点である日本の近現代史を教えるというのだから、大いにその意欲を買いたい。
私なども最も興味のある分野であり、自分も生徒に教えたいくらいだ。
(でも教職資格を持っていないので、私塾でもやるしかないが…)
では、実際にどういう内容になるのか。
なかなか情報がなく、週刊東洋経済11月20日号「学び直しの近現代史」でごく大まかに知った範囲で書く。
山崎圭一という人が例に取り上げていた「世界恐慌と昭和恐慌」で、ちょっと愕然とした。
「世界恐慌と日本の金解禁、昭和恐慌が一連の流れで理解できる。ファシズムの進展と日本の軍部の台頭も対比的に描かれる」というのだが、コミュニズム(共産主義)という視点が全くないのだ。
ロシア革命でソ連が誕生し、コミンテルンによって世界に共産主義を波及させようとしたのが、第二次大戦期の世界に欠かせない視点だが、全く欠落している。
日本にとって最大の脅威、敵はソ連で、それを何とか緩衝地帯で防衛しようと韓国を併合し、満州国を建国し、結びたくもない日独伊三国同盟を結んだのだ。
ところがあろうことか、アメリカのルーズベルト大統領はソ連の共産主義より日本の台頭にいらだって、ハルノートという最後通牒で日本に宣戦布告した。
ソ連を利したアメリカがその後どれだけ苦しんだか。
そのソ連も今はこの世にないが、アメリカはまたしても日中戦争中に支援した中国に苦しめられている。
旧態依然の「ファシズムの進展と日本の軍部の台頭」で済ませてしまっては、近現代史の半分しか教えていないも同然で、こんな教育では日本の高校生は世界に対抗できない。
これまで別々だった世界史Aと日本史Aを融合させて、近現代史を学ぼうというものだ。
趣旨はいい。
なにしろ現在は世界史だけが必修で、日本史を学ばない生徒も多いというのだから。
しかも誰もが経験していることだが、中高の歴史は近代になると時間切れで、特に誰もが知りたい昭和前期の戦争については学校では何も教えていないと言っていい。
その長年の弱点である日本の近現代史を教えるというのだから、大いにその意欲を買いたい。
私なども最も興味のある分野であり、自分も生徒に教えたいくらいだ。
(でも教職資格を持っていないので、私塾でもやるしかないが…)
では、実際にどういう内容になるのか。
なかなか情報がなく、週刊東洋経済11月20日号「学び直しの近現代史」でごく大まかに知った範囲で書く。
山崎圭一という人が例に取り上げていた「世界恐慌と昭和恐慌」で、ちょっと愕然とした。
「世界恐慌と日本の金解禁、昭和恐慌が一連の流れで理解できる。ファシズムの進展と日本の軍部の台頭も対比的に描かれる」というのだが、コミュニズム(共産主義)という視点が全くないのだ。
ロシア革命でソ連が誕生し、コミンテルンによって世界に共産主義を波及させようとしたのが、第二次大戦期の世界に欠かせない視点だが、全く欠落している。
日本にとって最大の脅威、敵はソ連で、それを何とか緩衝地帯で防衛しようと韓国を併合し、満州国を建国し、結びたくもない日独伊三国同盟を結んだのだ。
ところがあろうことか、アメリカのルーズベルト大統領はソ連の共産主義より日本の台頭にいらだって、ハルノートという最後通牒で日本に宣戦布告した。
ソ連を利したアメリカがその後どれだけ苦しんだか。
そのソ連も今はこの世にないが、アメリカはまたしても日中戦争中に支援した中国に苦しめられている。
旧態依然の「ファシズムの進展と日本の軍部の台頭」で済ませてしまっては、近現代史の半分しか教えていないも同然で、こんな教育では日本の高校生は世界に対抗できない。
恫喝が仕事か新聞記者 ― 2021/12/13
東京都武蔵野市で、外国人も3カ月以上住めば住民投票できるという条例案が市議会に出された。
条例案に反対する人たちが街頭演説していると、「レイシストだ」と執拗に妨害してきたのが神奈川新聞の編集委員だというから驚く。
新聞記者の仕事とは取材・原稿書きだと思っていたが、直接行動しかも人の妨害行為に使命を感じているらしい。
たとえ新聞記者が何かを主張したいとしても、それは誰か新聞社以外の人の口を通して語らせないといけない。
そんなのは記者のイロハのイだ。
ところが、そんなことは不要だ、まどるっこしいとでも言うのか、確信犯的に直接行動する記者が増えているようだ。
東京新聞のアノ人、沖縄タイムスのアノ人…。記者の外道だ。
神奈川新聞の記者の画像が出ていたので見ると、あ~あ、うちの新聞社にもいたいた、と思い出した。
私の上の団塊の世代で、革マル派だと皆が知っていた。
まさか現役活動家ではなく、学生時代の話だろうが…。
それらしさを感じさせたのは、飲んだ時の人を言い負かす激しい口調、そして何度か人を殴って暴力事件を起こした。
それでも最後は編集局次長、部長の上だからそれなりの地位まで出世した。
私みたいな静かな人間はパワハラで追い出されるのにね…。
神奈川新聞はどうしてこんな人間を編集委員にしてるのかと思ったが、うちの社もそうだったわ笑
見た目もいかにもかつての学生運動家出身と同じもの、同じ匂いを感じた。
もちろん団塊の世代よりだいぶ下だろうにね。
あ~怖い、怖い。ヤダヤダ。
※住民投票条例案は今日(13日)、武蔵野市議会総務委員会で可決された。21日の本会議で採決されれば条例案は成立する。また一つ、嫌な世の中になるのか❓
条例案に反対する人たちが街頭演説していると、「レイシストだ」と執拗に妨害してきたのが神奈川新聞の編集委員だというから驚く。
新聞記者の仕事とは取材・原稿書きだと思っていたが、直接行動しかも人の妨害行為に使命を感じているらしい。
たとえ新聞記者が何かを主張したいとしても、それは誰か新聞社以外の人の口を通して語らせないといけない。
そんなのは記者のイロハのイだ。
ところが、そんなことは不要だ、まどるっこしいとでも言うのか、確信犯的に直接行動する記者が増えているようだ。
東京新聞のアノ人、沖縄タイムスのアノ人…。記者の外道だ。
神奈川新聞の記者の画像が出ていたので見ると、あ~あ、うちの新聞社にもいたいた、と思い出した。
私の上の団塊の世代で、革マル派だと皆が知っていた。
まさか現役活動家ではなく、学生時代の話だろうが…。
それらしさを感じさせたのは、飲んだ時の人を言い負かす激しい口調、そして何度か人を殴って暴力事件を起こした。
それでも最後は編集局次長、部長の上だからそれなりの地位まで出世した。
私みたいな静かな人間はパワハラで追い出されるのにね…。
神奈川新聞はどうしてこんな人間を編集委員にしてるのかと思ったが、うちの社もそうだったわ笑
見た目もいかにもかつての学生運動家出身と同じもの、同じ匂いを感じた。
もちろん団塊の世代よりだいぶ下だろうにね。
あ~怖い、怖い。ヤダヤダ。
※住民投票条例案は今日(13日)、武蔵野市議会総務委員会で可決された。21日の本会議で採決されれば条例案は成立する。また一つ、嫌な世の中になるのか❓
何か役に立てる自分でいたい ― 2021/12/30
年を取っていくのは別に嫌じゃなかったのだが、今になって急に時間がたつのが早くなって恐ろしい。
今年なんか何もしないうちにあっという間に終わってしまった。
あと10年なのか、20年生きられるのか、運命だからこればかりは分からないが、あっという間に過ぎ去るのは間違いなさそうだ。
今年夏にやった断捨離は、Facebookをやめたこと。
知り合いのいいねをもらうために、せっせと近況報告してる場合じゃない。
だからと言って何ができるのか。
井の中のFacebookでは抑え気味にしていた政治的発言を、大海のTwitterで思う存分やっているが、これにも疲れてきた。
やっぱりリアルを充実させないと面白くない。
世のため人のために何ができるのかといつも考えている。
来年こそは。。。
(次なる断捨離は、使ってないのに十数年リビングを占領しているマッサージチェアだが、71㎏もあるので自分で処分場に運び込むのは難しそうだ…)
では、よいお年を❕
今年なんか何もしないうちにあっという間に終わってしまった。
あと10年なのか、20年生きられるのか、運命だからこればかりは分からないが、あっという間に過ぎ去るのは間違いなさそうだ。
今年夏にやった断捨離は、Facebookをやめたこと。
知り合いのいいねをもらうために、せっせと近況報告してる場合じゃない。
だからと言って何ができるのか。
井の中のFacebookでは抑え気味にしていた政治的発言を、大海のTwitterで思う存分やっているが、これにも疲れてきた。
やっぱりリアルを充実させないと面白くない。
世のため人のために何ができるのかといつも考えている。
来年こそは。。。
(次なる断捨離は、使ってないのに十数年リビングを占領しているマッサージチェアだが、71㎏もあるので自分で処分場に運び込むのは難しそうだ…)
では、よいお年を❕
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