自民圧勝!!2021/11/01

自民圧勝で本当に良かった。

反日日本人の政党・政策(夫婦別姓やジェンダーフリー、同性婚など道徳や秩序を破壊するものばかり)が支持されるわけがないと思いつつも、マスコミを見てるとまるでそれが正しいかのように人々が思ってしまわないか心配だった。

でも、自民圧勝を信じていた。

菅直人、枝野、原口一博が落ちれば理想的だったが…まあ、欲を言えば切りがない。

反日日本人はもう No thank you 。
これから外交・防衛、憲法改正、ちゃんとした課題に取り組もう❕

人の悪口を言わない2021/11/05

日本ハムの新庄新監督が就任会見で「人の悪口を言わない」と言ったそうで、偉いなあと思った。
このブログは人の悪口だらけですから笑

でも、私も在職中は人の悪口など一度も言ったことがない。
そもそも悪口言ったり愚痴を言ったり、相談したりができない性分なんで。
同僚にも言えないし、飲みに行っても店の女の子に愚痴をこぼすわけでもなし。


退職したら恨みが募ってきて、止まらない。
腹を立てるまでに時間がかかるのかも笑

「友達がいない」発言2021/11/07

10月11日付で、きゃりーぱみゅぱみゅの自分は「ぼっち」だという告白を紹介した。

初めて芸能人が「自分は友達がいない」と話してるのを聞いたのは7、8年ほど前だったか。
確かハーフの若い女の子で、華やかなイメージと違うのと、その正直さに驚いた。

それまで、友達がいないことは恥ずかしいことだというのが〝常識〟で、そんな事を明かす人はいなかった。
あ、それ、言ってもいいんだと勇気づけられたのは確かだ。

それからぽつりぽつりと「自分には友達がいない」とテレビで言う人が増えて、今では「友達がいない芸能人」で検索するとたくさん出てくる。
ここまで多いとまるで流行りのようで、嘘っぽくなるけどね。

私も会社にいる時、友達は同期の二人しかいなかった。
そのうち一人は早く辞めて歯医者になったから、残るは一人だ。

この同期三人は転職組だったから、7月入社だった。
4月に入った新卒の連中は20人くらいいて、一応、彼らも同期ということになった。

そのうち編集局には7人ほど配属になり、慣例で皆、校閲部からスタートした。
私も7月から校閲部に配属になったのだが、早速、4月入社の同期たちにだまされた。

労働組合の班長になってほしいという。
組合の大会は毎年8月で、そこで交代するというのだ。
私は7月入社で組合の研修もなかったから、班長なんてきっと簡単な役なんだろうと安請け合いしてしまった(断れない性分)。

すると思ったより大変な仕事で、それは省略するが、何よりも「だまされた」のは翌年の8月の大会まで代われないということだった。

私以外の同期は翌年4月からそれぞれ取材部に巣立っていったが、私一人は校閲部に取り残されたままだった。若き日の貴重な貴重な1年を棒に振らされたのだ。

この陰謀の中心になった円安という男は調子のいい奴で、今では役員になっている。

こんなこともあった。
円安は、私が奄美大島支社長をやった後釜になったが、赴任前、私に洗濯機、冷蔵庫、掃除機を譲ってくれという。
私は「いいよ」とOKした(断れない性分)。

普通はタダで人から物をもらったら、なにがしかのお礼をすると思うが、円安は全く何もしなかった。

一年たって家の掃除機が壊れたので返してくれと円安に言ったら、掃除機をむき出しでガムテープで縛って送ってきたので壊れていた。


話を元に戻すと、私の残り一人の本当の同期は、私と一緒に選択定年で辞めた。
私はしばらくして引っ越したので、彼とも年に一度電話で話すくらいになった。
あるとき電話が一時間を超えて、私は長電話が世の中で一番嫌いなので、「もう切りたい」と言ったら、それ以来、縁が切れてしまった。

それで私には友達が一人もいないというお話でした。

住み続けたい街、九州で5位2021/11/24

人気ランキングとかには縁のない町だと思っていた。
お隣の佐賀県基山町も上位。

親の病気で一か月休んだ部長2021/11/24

私が勤めていた新聞社は、甘ったれた人間がのさばる会社だった。

文化部デスクをやっていた時、上司のOH,NO!部長は、父親の具合が悪いと言って一カ月以上会社に出てこなかった。

部長といえばもちろんその部の最高責任者である。
それが一カ月以上も職場に顔を出さないばかりか、「どう、変わったことはない?」と心配する電話の一本すらなかった。
父親が亡くなるまで仕事はすべてデスクに放り投げて平気の平左だった。

父親の看病を彼一人が24時間しているわけ?
母親もいるし、会社にはOH,NO!の兄もいた。

しかし、局長や局次長も部長を注意するでもなし。

ふだんからひどい男で、毎年春秋に新聞社主催の短歌大会と俳句大会があって(つまり4回)、それぞれ文化部長が挨拶することになっているのだが、日曜はゴルフをしたいもんだから、4回とも私に挨拶させていた。

私は編集部デスクの時も同じ目に遭った。
同期の寸二郎というデスクがやはり親の病気というんで一カ月ほど会社を休んだ。

私を含め他のデスクが、休日をつぶしてカバーした。
編集部というのは夜勤シフトで4勤2休だが、たいてい特出が入って5勤1休になる。そこに寸二郎の代打が入ると、簡単に10連勤、11連勤になってしまう。大変な負担なのだ。

ちなみに私も編集部デスクの時に父を亡くしたが、死亡当夜まで一日も休まなかった。
だから死に目にも会えなかった。
それが普通だろう。OH,NO!や寸二郎みたいな人間は他に知らない。それが2人とも同じ部にいたフの悪さ(不運)。

付け加えると、編集部にはもう一人同期のデスクがいたが、横暴部長のパワハラで自殺したのは前に書いたとおりだ。
気の小さい人間は自ら命を絶つほど悩み、要領のいい人間は定年まで調子よくすいすい泳いでいく。それが会社というものなのか。