謝罪がないので忘れられない2021/12/07

時おり思い出しては、とてつもない不快さに全身が襲われる。
その不快感にまた襲われてしまった。

奴は今、新聞社の報道部デスクをしているM。
あろうことか、私と同姓だ。

当時、私は大島支社(名瀬市)の支社長だった。
支社長と言っても部下は一人で、自分も同じように取材に走り回っていた。

当時、徳之島の伊仙町では選挙がらみのいざこざがよくあった。
徳之島にも支局があるのだが、この人は地元の高校の先生上がりで、事件ものは取材しない決まりになっていた。
そこで私が手伝いに行ったのだが、そのあと社会部からもMが応援に来た。

するとMは伊仙の現場で、私に喧嘩を吹っかけてくる。
何に文句があるのか聞いても答えない。

現場の様子は大したことなく、M一人で十分対応できそうだったので、私は後を託して飛行場に向かった。

というのも、ちょうど強い台風が接近しており、その日に帰らないと足止めを食らいそうだったからだ。
何日も足止めされたら、支社を部下1人に任せることになる。何としても帰らなければならない。

飛行場への途中、Mから「大変なことになっている。すぐ戻ってください」と携帯電話があり、急きょ、引き返した。

ところが、戻ってみると何事もない。Mは「今、落ち着きました」という。

もう飛行機は逃したので、今度は船で帰ろうと港へ向かった。

するとまたMから「すぐ戻ってください」と電話が来て、戻る。
ところが、現場は何も起こっていない。
Mは平然としている。

結局、私は帰りの手段を失い、予報通り台風が襲来して空も海も欠航し、その後3日も奄美大島に戻れなかった。
仕事の予定はすべて狂い、私も支社の部員も大変な迷惑を蒙ったのである。
しかし、Mは私の宿に顔も見せず、一言も詫びなかった。

Mは社会部員だが、現場では私が上司(支社長は副部長)であり、「あとを頼む」という指示には従わなければならない。
明らかな業務命令違反である。
社会部長に報告すべきだったが、私はそういうやり方を好まないし、思いつかないほうだ。
Mが反省すると思っていた。

何年か後、Mとまた仕事をする羽目になった。
私が編集部デスク、Mが社会面担当の部員としてである。
その機会にMに嫌がらせをすることもできたが、私はそうせず、嫌悪感に鳥肌立ちながらも穏やかに接し、仕事を進めた。

Mは結局、一言も謝罪しなかった。

Mも今、デスクという立場になって、言うことを聞かない部員に手を焼くこともあるだろう。
そんなとき、徳之島で私にしたことを反省したりするだろうか。
いや、してないだろうな。

Mに真摯な反省と謝罪を求める。