憲法12条の会 ― 2022/09/01
「言論の自由」「表現の自由」の名の下に、社会を破壊しよう、秩序をひっくり返そうとする者たちの行動が目に余ります。
— 憲法12条の会 (@tossiee) September 1, 2022
憲法第19条~23条の個別の自由の前提として、第12条が置かれています。
ところが、社会も学校もマスコミも、自由には「公共の福祉」という責任を必然的に負うことを教えません。 pic.twitter.com/EzUyp9LfoP
台風で嫌な気分に ― 2022/09/18
大型で非常に強い台風14号が枕崎に上陸しそうだ。
その進行とともに昔を思い出して、いやーな気持ちになっている。
地元紙の枕崎支局にいたとき、本社の汚元(きたもと)社会部長が台風の様子はどうだと電話してきた。
支局は高台にあるので、市内や港の様子がよく見える。
「いえ、まだ風も雨もありません」と答えると、「そんなはずはなか!」といきなり怒鳴りつけるのだ。
天気予報で台風の進路や風向きを確認もせず、「台風といえば枕崎」というイメージで(いつの話だ!)電話して来て、現地の人間がこの目で見て変わった様子はないと言っても信用しないのだ。
上司として最低ではないか?
私は天気予報で、そのときの台風は志布志方面に影響がありそうだと分かっていたから、内心、そんなことも見てないのか、お前は、と思った。
別の台風の時だったと思うが、私が不在で妻が電話を取った時にも、妻が「いえ、まだ何も変わった様子はありません」と答えると、やはり汚元は「そんなはずはなか!」と、どやしつけたという。
本当、こいつの短気とパワハラには泣かされた。
30年たっても嫌な思いをする。責任を取ってほしい。
その進行とともに昔を思い出して、いやーな気持ちになっている。
地元紙の枕崎支局にいたとき、本社の汚元(きたもと)社会部長が台風の様子はどうだと電話してきた。
支局は高台にあるので、市内や港の様子がよく見える。
「いえ、まだ風も雨もありません」と答えると、「そんなはずはなか!」といきなり怒鳴りつけるのだ。
天気予報で台風の進路や風向きを確認もせず、「台風といえば枕崎」というイメージで(いつの話だ!)電話して来て、現地の人間がこの目で見て変わった様子はないと言っても信用しないのだ。
上司として最低ではないか?
私は天気予報で、そのときの台風は志布志方面に影響がありそうだと分かっていたから、内心、そんなことも見てないのか、お前は、と思った。
別の台風の時だったと思うが、私が不在で妻が電話を取った時にも、妻が「いえ、まだ何も変わった様子はありません」と答えると、やはり汚元は「そんなはずはなか!」と、どやしつけたという。
本当、こいつの短気とパワハラには泣かされた。
30年たっても嫌な思いをする。責任を取ってほしい。
「あいがとさげもす」は大きな間違いです ― 2022/09/19
北海道の知人が先週、初めて鹿児島に遊びに来て、鹿児島弁だといって「あいがとさげもす」を教えられたそうだ。
これは由々しき事態。
鹿児島の人はよく県外の人に鹿児島弁を教えたがるが、間違いを教えてはいけない。
この場合はNHKの大河ドラマ「西郷どん」が悪い。NHKのお墨付きは怖い。
昔は大人が「あいがともっしゃげもした」と話すのをよく聞いたもんです(過去形で使う場合が多い)。
4年前に書いた記事をぜひ読んでください。
↓
http://restart.asablo.jp/blog/2018/01/16/8770932
皆さんのコメント(ブログもfbも)が素晴らしいので、ぜひ全部読んでみてください。
これは由々しき事態。
鹿児島の人はよく県外の人に鹿児島弁を教えたがるが、間違いを教えてはいけない。
この場合はNHKの大河ドラマ「西郷どん」が悪い。NHKのお墨付きは怖い。
昔は大人が「あいがともっしゃげもした」と話すのをよく聞いたもんです(過去形で使う場合が多い)。
4年前に書いた記事をぜひ読んでください。
↓
http://restart.asablo.jp/blog/2018/01/16/8770932
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素晴らしい縄文のデザイン ― 2022/09/23
縄文玉もすごいぞ! ― 2022/09/23
縄文人の魂 ― 2022/09/24
三種の神器、鏡・剣・玉の中で最も重要なものは何か。
やはり鏡だろう。
神社の拝む対象(ご神体?)として、どこの神社にもどーんと置かれていることで明らかだ。
では、鏡とは何か。
もちろん人が自分の姿を映すものであるが、光を照らすもの、すなわち太陽であり、天照大神そのものなのだろう。
次に剣。
これは戦いを表わすものだ。
「神」「戦い」と来て、残る玉は何か。
魂である。
しかも、前回書いたように、鏡と剣が金属器(青銅器・鉄器)として初めは外から伝来してきたのに対して、玉は日本産のヒスイであり、金属器の時代すなわち弥生時代以前の縄文時代から造られてきたものだ。
いわば縄文人の魂だ。
縄文人の魂、心が、三種の神器に含まれていることは実に素晴らしい。
また、三種の神器が「神」「戦い」「魂」を意味するというのは実に美しく、完璧に重大なことだ。
やはり鏡だろう。
神社の拝む対象(ご神体?)として、どこの神社にもどーんと置かれていることで明らかだ。
では、鏡とは何か。
もちろん人が自分の姿を映すものであるが、光を照らすもの、すなわち太陽であり、天照大神そのものなのだろう。
次に剣。
これは戦いを表わすものだ。
「神」「戦い」と来て、残る玉は何か。
魂である。
しかも、前回書いたように、鏡と剣が金属器(青銅器・鉄器)として初めは外から伝来してきたのに対して、玉は日本産のヒスイであり、金属器の時代すなわち弥生時代以前の縄文時代から造られてきたものだ。
いわば縄文人の魂だ。
縄文人の魂、心が、三種の神器に含まれていることは実に素晴らしい。
また、三種の神器が「神」「戦い」「魂」を意味するというのは実に美しく、完璧に重大なことだ。
金製の玉 ― 2022/09/24

三種の神器の一つ、玉。
たいていは翡翠やガラスだが、ここ小郡市の干潟遺跡からは金製の玉が出土している。
径9.4mm、高さ8.0mmの小さなものだが、日本で唯一の出土例だという。
干潟遺跡は古墳時代、7~8世紀にかけての大きな集落遺跡で、その土坑に甕や甑などの大型の土器の破片が大量に捨てられていて、その中にこの金の玉が混じっていた。なぜ土器とともに廃棄されていたかは分からないという。
今、小郡市埋蔵文化財調査センターで開かれている「小郡50年展」で展示されている(12月6日まで)。
たいていは翡翠やガラスだが、ここ小郡市の干潟遺跡からは金製の玉が出土している。
径9.4mm、高さ8.0mmの小さなものだが、日本で唯一の出土例だという。
干潟遺跡は古墳時代、7~8世紀にかけての大きな集落遺跡で、その土坑に甕や甑などの大型の土器の破片が大量に捨てられていて、その中にこの金の玉が混じっていた。なぜ土器とともに廃棄されていたかは分からないという。
今、小郡市埋蔵文化財調査センターで開かれている「小郡50年展」で展示されている(12月6日まで)。
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